十八史略 / 『十八史略』五代・後周世宗・高平の戦、世宗の親征
契丹遣將楊袞將萬騎北漢主自將三萬人來周主欲自將禦之群臣皆諫主曰崇幸大喪輕朕年少新立此必自來朕不可不往以吾兵力之強破崇如山壓卵耳馮道力爭惟王溥勸行北漢主軍于高平周前鋒擊之北漢兵卻王慮其遁去趣諸軍亟進後軍未至眾心危懼而主志氣益銳合戰未幾周右軍將樊愛能何徽先遁右軍潰步軍千餘解甲降主見軍勢危自引親兵犯矢石督戰宿衛將趙匡胤曰主危如此吾屬何得不致死又謂禁兵將張永德曰賊氣驕可破也公引兵乘高西出為左翼我為右翼以擊之國家安危在此一舉永德從之各將二千人進戰匡胤身先士卒馳犯其鋒士卒死戰無不一當百北漢兵大敗楊袞不敢救北漢主晝夜北走僅得入晉陽
新字:契丹遣将楊袞将万騎北漢主自将三万人来周主欲自将禦之群臣皆諫主曰崇幸大喪軽朕年少新立此必自来朕不可不往以吾兵力之強破崇如山圧卵耳馮道力争惟王溥勧行北漢主軍于高平周前鋒撃之北漢兵却王慮其遁去趣諸軍亟進後軍未至衆心危懼而主志気益鋭合戦未幾周右軍将樊愛能何徽先遁右軍潰歩軍千余解甲降主見軍勢危自引親兵犯矢石督戦宿衛将趙匡胤曰主危如此吾属何得不致死又謂禁兵将張永徳曰賊気驕可破也公引兵乗高西出為左翼我為右翼以撃之国家安危在此一舉永徳従之各将二千人進戦匡胤身先士卒馳犯其鋒士卒死戦無不一当百北漢兵大敗楊袞不敢救北漢主昼夜北走僅得入晋陽
書き下し
契丹、将の楊袞を遣わして万騎を将いしむ。北漢の主、自ら三万人を将いて来たる。周主、自ら将いて之を禦がんと欲す。群臣皆諫む。主曰く、崇は大喪に幸いして、朕の年少く新たに立つを軽んず。此れ必ず自ら来たらん。朕、往かざるべからず。吾が兵力の強きを以て崇を破らんこと、山の卵を圧するが如きのみ、と。馮道、力めて争う。惟だ王溥のみ行くを勧む。北漢の主、高平に軍す。周の前鋒、之を撃つ。北漢の兵、卻く。王、其の遁去せんことを慮り、諸軍を趣して亟かに進ましむ。後軍未だ至らず、衆心危懼す。而れども主の志気益ます鋭し。合戦して未だ幾ばくならず、周の右軍の将、樊愛能・何徽、先ず遁げ、右軍潰え、歩軍千余、甲を解きて降る。主、軍勢の危うきを見て、自ら親兵を引き、矢石を犯して督戦す。宿衛の将趙匡胤曰く、主の危うきこと此の如し。吾が属、何ぞ死を致さざるを得んや、と。又、禁兵の将張永徳に謂いて曰く、賊の気驕れり、破るべきなり。公、兵を引き、高きに乗じて西に出で、左翼と為れ。我は右翼と為りて以て之を撃たん。国家の安危、此の一挙に在り、と。永徳、之に従い、各おの二千人を将いて進み戦う。匡胤、身ら士卒に先んじ、馳せて其の鋒を犯す。士卒死戦し、一にして百に当たらざる無し。北漢の兵大いに敗れ、楊袞、敢えて救わず。北漢の主、昼夜北に走り、僅かに晋陽に入るを得たり。
現代語訳
契丹は将軍の楊袞を派遣し、一万の騎兵を率いさせました。北漢の主は、みずから三万の兵を率いて攻めてきます。周の皇帝は自分で出陣して迎え撃とうとしましたが、群臣はみな止めました。皇帝は言いました。「劉崇は、先帝の大喪につけこみ、年若く即位したばかりの朕を軽く見ている。これは必ず自ら攻めてくる。朕が行かないわけにはいかない。わが軍の強さで劉崇を破るのは、山で卵を押しつぶすようなものだ」。馮道は強く反対しましたが、ただ王溥だけが出陣を勧めました。北漢の主は高平に陣を敷き、周の先鋒がこれを攻めると、北漢の兵はしりぞきました。皇帝は敵が逃げ去ることを心配し、諸軍に急いで進むよう促しました。後続の軍はまだ着かず、人々の心は不安と恐れに揺れましたが、皇帝の気力はますます鋭くなっていました。戦いが始まってまもなく、周の右軍の将、樊愛能と何徽が真っ先に逃げ、右軍は崩れ、歩兵千人あまりが甲冑を脱いで降伏しました。皇帝は軍勢の危うさを見て、自ら親衛兵を率い、矢や石の飛びかう中に入って督戦しました。宿衛の将、趙匡胤は言いました。「主君がこれほど危うい。われらはどうして命を懸けずにいられようか」。さらに禁軍の将、張永徳に言いました。「敵は気がおごっている。破れるはずだ。あなたは兵を率いて高所に乗り、西に出て左翼となってください。私は右翼となって攻めます。国家の安危はこの一戦にあります」。永徳はこれに従い、それぞれ二千人を率いて進み戦いました。匡胤は自ら兵士の先頭に立ち、敵の鋭鋒に突入しました。兵士たちも死に物狂いで戦い、一人で百人に当たらない者はありません。北漢の兵は大敗し、楊袞は救援しようとせず、北漢の主は昼夜を問わず北へ逃げて、やっと晋陽に入ることができました。
解説

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