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十八史略 / 『十八史略』宋・高祖・劉裕の出自と寄奴の逸話

宋高祖武皇帝姓劉氏名裕彭城人也相傳為漢楚元王交之後裕生而母死父僑居京口將棄之從母救而乳之及長勇健有大志僅識字小字寄奴嘗行遇大蛇擊傷之後至其所見有群兒擣藥裕問何為荅曰吾王為劉寄奴所傷裕曰何不殺之兒曰寄奴王者不死裕叱之即散不見初參劉牢之軍事嘗遣覘賊遇賊數千人裕奮長刀獨驅之衆軍因乘勢進擊大破之裕由是知名其後為將相二十餘年誅桓玄平孫恩盧循滅南燕後秦卒受晉禪

新字:宋高祖武皇帝姓劉氏名裕彭城人也相伝為漢楚元王交之後裕生而母死父僑居京口将棄之従母救而乳之及長勇健有大志僅識字小字寄奴嘗行遇大蛇撃傷之後至其所見有群児擣薬裕問何為荅曰吾王為劉寄奴所傷裕曰何不殺之児曰寄奴王者不死裕叱之即散不見初参劉牢之軍事嘗遣覘賊遇賊数千人裕奮長刀独駆之衆軍因乗勢進撃大破之裕由是知名其後為将相二十余年誅桓玄平孫恩盧循滅南燕後秦卒受晋禅

書き下し

宋の高祖武皇帝、姓は劉氏、名は裕、彭城の人なり。相伝えて漢の楚の元王交の後と為す。裕、生まれて母死し、父の僑、京口に居る。将に之を棄てんとするに、従母、救いて之を乳す。長ずるに及び、勇健にして大志有り。僅かに字を識る。小字は寄奴。嘗て行きて大蛇に遇い、之を撃ち傷つく。後、其の所に至るに、群児の薬を擣つ有るを見る。裕、何の為なるかを問う。荅えて曰く、吾が王、劉寄奴の傷つくる所と為れり、と。裕曰く、何ぞ之を殺さざる、と。児曰く、寄奴は王者なれば死せず、と。裕、之を叱す。即ち散じて見えず。初め劉牢之の軍事に参ず。嘗て賊を覘わしむるに遇い、賊数千人に遇う。裕、長刀を奮い、独り之を駆る。衆軍、因りて勢いに乗じて進撃し、大いに之を破る。裕、是より名を知らる。其の後、将相たること二十余年。桓玄を誅し、孫恩・盧循を平らげ、南燕を滅ぼし、後秦を卒え、晋の禅を受く。

現代語訳

宋の高祖武皇帝は姓を劉、名を裕といい、彭城の人です。漢の楚の元王の交の子孫だと伝えられています。裕は生まれてすぐに母が亡くなり、父の僑は京口に住んでいましたが、家が貧しく、子を捨てようとしたところ、母方の叔母が救い、乳を与えて育てました。成長すると勇ましく、大志を抱きましたが、読み書きはわずかしかできませんでした。幼名は寄奴といいます。あるとき道で大蛇に出会って傷つけました。後日その場所に行くと、子どもたちが薬を搗いていたので理由を尋ねると、「私たちの王が劉寄奴に傷つけられたので、薬を作っているのです」と答えました。裕が「なぜ殺さなかったのか」と言うと、子どもたちは「寄奴は王になる人だから、死なないのです」と言いました。裕が叱ると、子どもたちは消えました。初め劉牢之の軍に加わり、偵察に出て数千の賊に遭遇しました。裕は長い刀を振るって一人で賊を追い払い、味方が勢いに乗って進撃し、賊を大破しました。裕はこれで名を知られました。その後、二十年あまり将軍・宰相として、桓玄を討ち、孫恩・盧循を平らげ、南燕を滅ぼし、後秦を終わらせて、晋から禅譲を受けました。

解説

劉裕は、貧しい家の生まれで学問も乏しい人物でありながら、乱世で実力を示して宋を建てました。この一節は、出自の貧しさと逸話の神秘性を並べて、のちの天下取りを予感させる書き方です。蛇の逸話は史実というより、王者になる人物に伝説が付く典型で、読み手は割り引いて受け止める必要があります。確かなのは、偵察で数千の賊に遭遇した時に、一人で突っ込んで味方の士気を上げた行動です。学歴や出身に恵まれなくても、現場で見せた実績が評価を変える。若手の可能性を見る目を考えさせられます。
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この章句が説くこと

劉裕寄奴劉牢之桓玄禅譲南朝

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