十八史略 / 『十八史略』東晋・王敦・伯仁、我に由りて死す
隗協勸帝盡誅王氏帝不許導率宗族每旦詣臺待罪周顗將入導呼之曰伯仁以百口累卿顗不顧入見帝言導忠誠申救甚至帝納其言顗醉而出導又呼顗不與言顧左右曰今年殺諸賊奴取金印如斗大繫肘後既出又上表明導無罪導不知恨之帝召見導導稽首曰亂臣賊子何代無之不意今者近出臣族帝跣而執其手曰茂弘方寄卿以百里之命以為前鋒大都督敦至石頭城擾之曰吾不復得為盛德事矣協隗等分道出戰大敗而還帝令百官詣石頭見敦敦殺周顗導不救後料檢中書故事見顗表執之流涕曰吾雖不殺伯仁伯仁由我而死幽冥之間負此良友敦不朝而去還武昌
新字:隗協勧帝尽誅王氏帝不許導率宗族毎旦詣台待罪周顗将入導呼之曰伯仁以百口累卿顗不顧入見帝言導忠誠申救甚至帝納其言顗酔而出導又呼顗不与言顧左右曰今年殺諸賊奴取金印如斗大繋肘後既出又上表明導無罪導不知恨之帝召見導導稽首曰乱臣賊子何代無之不意今者近出臣族帝跣而執其手曰茂弘方寄卿以百里之命以為前鋒大都督敦至石頭城擾之曰吾不復得為盛徳事矣協隗等分道出戦大敗而還帝令百官詣石頭見敦敦殺周顗導不救後料検中書故事見顗表執之流涕曰吾雖不殺伯仁伯仁由我而死幽冥之間負此良友敦不朝而去還武昌
書き下し
隗・協、帝に王氏を尽く誅せんことを勧む。帝許さず。導、宗族を率い、毎旦台に詣りて罪を待つ。周顗、将に入らんとす。導、之を呼びて曰く、伯仁、百口を以て卿に累わす、と。顗、顧みずして入り、帝に見ゆ。導の忠誠なるを言い、救いを申ぶること甚だ至れり。帝、其の言を納る。顗、酔いて出ず。導、又顗を呼ぶも、顗、与に言わず。左右を顧みて曰く、今年、諸賊奴を殺し、金印の斗の如く大なるを取りて、肘後に繋けん、と。既に出で、又表を上りて導の罪無きを明らかにす。導、知らずして之を恨む。帝、導を召し見る。導、稽首して曰く、乱臣賊子、何れの代にか之無からん。意わざりき、今者近く臣が族より出ずるとは、と。帝、跣にして其の手を執りて曰く、茂弘、方に卿に百里の命を寄す、と。以て前鋒大都督と為す。敦、石頭城に至り、之を歎じて曰く、吾、復た盛徳の事を為すを得ず、と。協・隗等、道を分かちて出で戦い、大いに敗れて還る。帝、百官をして石頭に詣りて敦に見えしむ。敦、周顗を殺す。導、救わず。後、中書の故事を料検し、顗の表を見る。之を執りて涕を流して曰く、吾、伯仁を殺さずと雖も、伯仁は我に由りて死せり。幽冥の間、此の良友に負く、と。敦、朝せずして去り、武昌に還る。
現代語訳
劉隗と刁協は、皇帝に王氏の一族を皆殺しにするよう勧めましたが、帝は許しませんでした。王導は一族を率いて毎朝、宮廷の前で処罰を待ちました。周顗が参内しようとすると、導は呼びかけて言いました。「伯仁よ、一族百人の命をあなたに預ける」。周顗は振り向きもせず入って帝に会い、導の忠誠を述べて懸命に救おうとし、帝もそれを聞き入れました。周顗は酒に酔って退出し、導がまた呼びかけても口をきかず、左右を見て「今年、賊どもを殺して、斗のように大きな金印を肘にぶら下げてやる」と言いました。退出後、さらに上表して導に罪がないことを明らかにしましたが、導は知らずに恨んでいました。帝は導を呼び、導は額ずいて言いました。「反逆の臣は、どの時代にもいます。まさか今、私の一族から出るとは思いませんでした」。帝は裸足のまま導の手を取り、「茂弘よ、今あなたに百里の国を預けるほどの任を託したい」と言って、前鋒の大都督としました。王敦は石頭城に着くと嘆いて言いました。「もう盛徳の事業はできなくなった」。劉隗と刁協は軍を分けて出撃しましたが大敗して戻り、帝は百官を石頭に遣わして敦に謁見させました。敦は周顗を殺し、導は救いませんでした。のちに導が中書の古い文書を調べていて周顗の上表を見つけ、それを手にして涙を流して言いました。「私は伯仁を殺しはしなかったが、伯仁は私のせいで死んだ。あの世で、この良き友に申し訳が立たない」。敦は朝廷に参内せず、武昌へ戻りました。
解説

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十八史略・『十八史略』東晋・元帝・江左に管夷吾あり、新亭の涙桓彝、乱を避けて江を過り、睿の微弱なるを見て之を憂う。既にして導を見、退きて周顗に謂いて曰く、江左に管夷吾有り、吾憂い無し、と。諸名士、新亭に遊宴す。顗、中坐にして歎じて曰く、風景殊ならず、目を挙ぐれば江河の異有り、と。因りて相視て涙を流す。導曰く、当に力を王室に勠せ、共に神州を復すべし。何ぞ楚囚と作りて相対して泣くに至らんや、と。
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『長短経』覇図中宗元皇帝睿、乃ち江東に興る。〈睿は字は景文、宣帝の曽孫なり。元帝、幼くして聡敏なり。中原の喪乱に及び、乃ち王敦等と江を渡りて江左を撫綏す。甚だ衆心を得たり。後に王敦、武昌に於て反し、石頭に至る。帝、之を攻むるも克たず。乃ち政を敦に委ぬ。敦、還りて武昌に鎮す。〉帝、位に在ること十六年にして崩ず。太子紹立つ。〈紹は字は道畿、是を粛宗明皇帝と為す。〉王敦の威、内外に振るう。将に逆を為さんことを謀る。粛宗、征して之を破る。〈温嶠等を用いて計を決して之を征す。初め、敦の謀反するや、温嶠、其の従事中郎と為り、夙夜に其の府事を綜べ、偽りて相い親善す。京兆尹缺く。嶠、敦に説きて曰く「宜しく自ら腹心を樹てて、以て人主を間構すべし。愚謂えらく銭鳳用う可し」と。敦曰く「君に若くは莫し」と。嶠、偽りて辞譲す。別れに臨むの際、嶠、自ら起ちて酒を行らす。嶠、偽り酔いて、手板を以て銭鳳の幘を撃つ。幘、之が為に堕つ。乃ち色を作して曰く「銭世儀は何人ぞ。温太真、自ら酒を行らすに敢えて飲まざるか」と。鳳、悦ばず。酔いを以て解と為す。明日、嶠、将に発せんとす。鳳、敦に説きて之を留めんとす。敦曰く「嶠、常に云う、銭世儀は精神腹に満つと。昨、小しく声色を加う。豈に此を以て相い讒せんや」と。嶠、都に至り、敦の反逆の状を陳ぶ。〉
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『智囊』億中・王應王敦既に死し、王含、王舒に投ぜんと欲す。其の子応、側に在り、含に勧めて彬に投ぜしむ。含曰く、「大将軍は平素彬と云何。汝は之に帰せんと欲するか。」応曰く、「此れ乃ち宜しく投ずべき所以なり。江州は人の強盛に当たりては、能く異同を立つ。此れ常識の及ぶ所に非ず。衰危を睹ては、必ず慈愍を興す。荊州は文を守る。豈に能く意外の事を行わんや。」含従わず、径ちに舒に投ず。舒は果たして含の父子を江に沈む。彬は初め応の来たるを聞き、為に密かに船を具えて待つ。待てども至らず。深く以て恨みと為す。〔馮述評〕凌弱を好む者は必ず強に附し、能く強を折く者は必ず弱を扶く。応は逆敦を嗣ぎ、本より佳児に非ず。但だ此の論は世情に深徹し、「老婢」より差や強し。敦は毎に兄含を呼びて「老婢」と為す。晋の中行文子、亡げ出で、県邑を過ぐ。従者曰く、「此れ嗇夫、公の故人なり。奚ぞ休舎して、且く後車を待たざる。」文子曰く、「吾嘗て音を好む。此の人は我に鳴琴を遺れり。吾佩を好む。此の人は我に玉環を遺れり。是れ我の過ちを振して以て我に容れられんことを求むる者なり。吾其の我を以て人に容れられんことを求むるを恐る。」乃ち之を去る。果たして文子の後車二乗を収めて其の君に献ず。
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『智囊』權奇・王導・程嬰王敦は威望素より著し。一旦、兵を挙げて内に向かい、衆、咸な危懼す。適たま敦、寝疾あり。王導、便ち子弟を率いて哀を発す。衆、聞きて、敦死すと謂い、咸な奮志有り。
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『長短経』君徳東晋、元帝より以下、何の主か賢と為す。虞南曰く「晋は都を江左に遷してより、強臣命を擅にす。垂拱して南面すれど、政は己より出でず。王敦は盤石の宗を以て、上流の要に居り、才を負み地を矜り、志に鼎を問うを懐く。粛祖の明断、王導の忠誠に非ずんば、則ち晋の祚は其れ王氏に移らん。若し年を降すこと永久にして、群賢に仗任し、瀍・澗の遺黎に因り、劉・石の衰運に乗ぜしめば、則ち中原を克復すること、図り難からざるなり」と。〔元帝、天下の崩離に値い、江左に創立す。後に粛祖即位す。大将軍王敦、威は内外を震わし、将に逆を謀らんとす。帝、王導・温嶠らと敦を征するを決計す。敦、敗死せり。〕
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『智囊』權奇・爰種・溫嶠・高歡爰盎、常に大体を引きて慷慨す。宦者趙談、数々幸せらるるを以て、常に盎を害す。盎これを患う。兄の子種、常侍騎と為り、盎に謂いて曰く、「君、衆の中にてこれを辱めよ。後に君を悪く言うと雖も、上は復た信ぜざらん」と。是に於て上、東宮に朝し、趙談驂乗す。盎、車前に伏して曰く、「臣聞く、天子の与に六尺の輿を共にする所の者は、皆天下の英豪なりと。今、漢乏人なりと雖も、陛下独り奈何ぞ刀鋸の余と共に載せたまうか」と。是に於て上笑い、趙談を下ろす。談泣きて車より下る。王敦、温嶠を用いて丹陽尹と為し、酒を置きて別れを為す。嶠、銭鳳の後言有るを懼れ、因りて酒を行るに鳳に至り、未だ飲まざるに、嶠偽り酔い、手板を以てこれを撃ちて幘を堕とし、色を作して曰く、「銭鳳何人ぞ。温太真酒を行る。敢えて飲まざるか」と。鳳悦ばず。敦以て酔いと為し、両つながらこれを釈く。明日、鳳曰く、「嶠は朝廷と甚だ密なり。未だ必ずしも信ずべからず。宜しく更にこれを思うべし」と。敦曰く、「太真昨は酔い、小しく声色を加えしのみ。豈に此れを以て便ち相讒貳するを得んや」と。是に由り嶠は都に還るを得、尽く敦の逆謀を以て帝に告ぐ。