十八史略 / 『十八史略』東晋・元帝・聞鶏起舞と中流撃楫
逖少有大志嘗與劉琨同寢中夜聞鷄聲蹴琨起曰此非惡聲也因起舞及睿南渡請兵於睿睿素無北伐之志以逖為豫州刺史與兵千人不給鎧伏逖渡江中流擊楫而誓曰祖逖不能清中原而復濟者有如此江
新字:逖少有大志嘗与劉琨同寝中夜聞鶏声蹴琨起曰此非悪声也因起舞及睿南渡請兵於睿睿素無北伐之志以逖為予州刺史与兵千人不給鎧伏逖渡江中流撃楫而誓曰祖逖不能清中原而復済者有如此江
書き下し
逖、少くして大志有り。嘗て劉琨と寝を同じくし、中夜に鶏声を聞き、琨を蹴りて起こして曰く、此れ悪声に非ざるなり、と。因りて起ちて舞う。睿の南渡するに及び、兵を睿に請う。睿、素より北伐の志無し。逖を以て豫州刺史と為し、兵千人を与うるも、鎧仗を給せず。逖、江を渡り、中流にて楫を撃ちて誓いて曰く、祖逖、中原を清めて復た済らざる者は、有如此の江、と。
現代語訳
祖逖は若いころから大きな志を持っていました。あるとき劉琨と同じ寝所で寝ていた真夜中、鶏の鳴き声を聞くと、琨を蹴って起こし、「これは悪い声ではない」と言って、起き上がって剣の舞を舞いました。司馬睿が南へ渡ると、祖逖は兵を貸してほしいと願い出ました。睿はもともと北伐をする気がなく、祖逖を豫州刺史に任じて兵千人を与えただけで、鎧や武器は支給しませんでした。祖逖は長江を渡る途中、舟の中ほどで楫を打ち鳴らして誓いました。「祖逖が中原を清めずに再びこの川を渡るようなことがあれば、この大江が証人となるだろう」と。
解説
「聞鶏起舞」と「中流撃楫」の故事成語で知られる場面です。祖逖は晋の北方が異民族に奪われた時代に、江南に逃れた朝廷から北伐を託されました。ただし朝廷の主は北伐に本気ではなく、兵は千人、武具もなしという支援でした。それでも祖逖は退路を断つ誓いを立てて出発し、のちに黄河以南の地の多くを取り戻したと伝えられます。会社でも、上が掛け声だけで資源を出さない案件は珍しくありません。その時に不満を並べるのか、自分の覚悟を先に示すのか。祖逖の姿は、与えられた条件の乏しさと、本人の本気とは別物だと教えてくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
祖逖劉琨聞鶏起舞中流撃楫北伐中原
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