十八史略 / 『十八史略』東晋・元帝・江左に管夷吾あり、新亭の涙
桓彝避亂過江見睿微弱憂之既而見導退謂周顗曰江左有管夷吾吾無憂矣諸名士遊宴新亭顗中坐而歎曰風景不殊擧目有江河之異因相視流涕導曰當勠力王室共復神州何至作楚囚對泣邪
新字:桓彝避乱過江見睿微弱憂之既而見導退謂周顗曰江左有管夷吾吾無憂矣諸名士遊宴新亭顗中坐而嘆曰風景不殊挙目有江河之異因相視流涕導曰当勠力王室共復神州何至作楚囚対泣邪
書き下し
桓彝、乱を避けて江を過り、睿の微弱なるを見て之を憂う。既にして導を見、退きて周顗に謂いて曰く、江左に管夷吾有り、吾憂い無し、と。諸名士、新亭に遊宴す。顗、中坐にして歎じて曰く、風景殊ならず、目を挙ぐれば江河の異有り、と。因りて相視て涙を流す。導曰く、当に力を王室に勠せ、共に神州を復すべし。何ぞ楚囚と作りて相対して泣くに至らんや、と。
現代語訳
桓彝は戦乱を避けて長江を渡り、司馬睿の勢いが弱いのを見て心配しました。ところがその後、王導に会い、退出してから周顗に言いました。「江南には管仲のような人物がいる。もう心配はない」。のちに名士たちが新亭で宴を開いたとき、周顗は座の中ほどで嘆いて言いました。「景色は昔と変わらないのに、目を上げれば山河が違っている」。人々は顔を見合わせて涙を流しました。すると王導は言いました。「力を合わせて王室のために尽くし、中原を取り戻すべきです。どうして囚人のように向かい合って泣いていられましょうか」。
解説
王導は、斉の名宰相管仲になぞらえられるほど、亡命政権の安定を一身に担った人物です。弱い主君を見た桓彝の不安は、王導という人材を知って消えました。組織の信頼は、トップの強さより、それを支える人の確かさに宿ることがあります。新亭の場面も示唆に富みます。嘆く気持ちは誰にも分かりますが、全員が泣いて立ち止まれば何も進みません。王導は感情を否定せず、次の行動へ切り替えを促しました。苦境のとき、空気を変える一言を言えるかどうか。管理職に問われる器の一つです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
王導管夷吾新亭楚囚対泣周顗神州
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