十八史略 / 『十八史略』東晋・桓温・流芳百世か遺臭万年か
晉桓溫陰蓄不臣之志嘗撫枕歎曰男子不能流芳百世亦當遺臭萬年欲先立功還受九錫及枋頭之敗威名頓挫郗超勸溫行伊霍之事以立大威權溫遂入朝白太后廢帝
新字:晋桓温陰蓄不臣之志嘗撫枕嘆曰男子不能流芳百世亦当遺臭万年欲先立功還受九錫及枋頭之敗威名頓挫郗超勧温行伊霍之事以立大威権温遂入朝白太后廃帝
書き下し
晋の桓温、陰かに不臣の志を蓄う。嘗て枕を撫して歎じて曰く、男子、芳を百世に流す能わずんば、亦た当に臭を万年に遺すべし、と。先ず功を立て、還りて九錫を受けんと欲す。枋頭の敗に及び、威名頓に挫く。郗超、温に伊・霍の事を行い、以て大威権を立つることを勧む。温、遂に入朝し、太后に白して帝を廃す。
現代語訳
晋の桓温は、ひそかに臣下の分を超える志を抱いていました。ある時、枕をなでて嘆いて言いました。「男子たるもの、良い名を百代に流すことができないなら、いっそ悪名を万年に残すべきだ」。まず功績を立ててから帰還し、九錫という最高の栄誉を受けようと考えていました。ところが枋頭での大敗により、その威名は急に傷つきました。そこで郗超は、桓温に、殷の伊尹や漢の霍光のように君主を廃立して大きな権威を立てることを勧めました。桓温はついに朝廷に入り、太后に申し上げて帝を廃しました。
解説
「流芳百世、遺臭万年」の出どころとして知られる一節です。桓温は野心家でしたが、北伐の失敗で威信を失うと、挽回のために皇帝の廃立という強引な手段に出ました。ここには、功績で名声を得られなければ、別の形で存在感を示そうとする心理が見えます。評価を求めるあまり、手段を選ばなくなる危うさは、現代の組織にも当てはまります。成果が出ないときに、他人を押しのけて地位だけを守ろうとしていないか。名を残すことの意味を、自分に問い直す材料になる話です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
桓温遺臭万年流芳百世九錫枋頭郗超
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