十八史略 / 『十八史略』後漢・班超・虎穴に入らずんば虎子を得ず
固使假司馬班超使西域超至鄯善其王禮之甚備匈奴使來頓疏懈超會吏士三十六人曰不入虎穴不得虎子奔虜營斬其使及從士三十餘級鄯善一國震怖超告以威德使勿復與虜通超復使于寘其王亦斬虜使以降於是諸國皆遣子入侍西域復通
新字:固使仮司馬班超使西域超至鄯善其王礼之甚備匈奴使来頓疏懈超会吏士三十六人曰不入虎穴不得虎子奔虜営斬其使及従士三十余級鄯善一国震怖超告以威徳使勿復与虜通超復使于寘其王亦斬虜使以降於是諸国皆遣子入侍西域復通
書き下し
固、仮司馬班超をして西域に使いせしむ。超、鄯善に至る。其の王、之を礼すること甚だ備わる。匈奴の使い来たるや、頓に疏懈す。超、吏士三十六人を会して曰く、虎穴に入らずんば、虎子を得ず、と。虜営に奔り、其の使い及び従士三十余級を斬る。鄯善一国、震怖す。超、告ぐるに威徳を以てし、復た虜と通ずること勿からしむ。超、復た于寘に使いす。其の王も亦虜の使いを斬りて以て降る。是に於いて諸国皆子を遣わして入侍せしむ。西域復た通ず。
現代語訳
竇固は、仮司馬の班超を西域へ使いに出しました。班超が鄯善に着くと、王は礼をつくして、きわめて丁重にもてなしました。ところが匈奴の使者が来ると、王の態度は急に冷たくなりました。班超は部下の三十六人を集めて言いました。「虎の穴に入らなければ、虎の子は得られない」。そして匈奴の陣営に突入し、その使者と従者三十余人を斬りました。鄯善の国中は震え上がりました。班超は漢の威徳を説き、二度と匈奴と通じないようにさせました。班超はさらに于寘にも使いしました。その王も匈奴の使者を斬って降伏しました。こうして西域の諸国はみな子を人質として送り、漢に仕えさせ、西域との道は再び通じました。
解説

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『智囊』威克・班超竇固は匈奴を出撃し、班超を以て仮司馬と為し、兵を将いて別に伊吾を撃たしむ。蒲類海に戦い、多く首虜を斬りて還る。固は以て能と為し、遣わして従事郭恂と俱に西域に使いせしむ。超は鄯善に到る。鄯善王広は超を奉ずるに礼敬甚だ備わる。後に忽ち更に疏懈す。超は其の官属に謂いて曰く、「寧ぞ広の礼意の薄きを覚えるか。此れ必ず北虜の使い来たる有りて、狐疑して未だ従う所を知らざるが故なり。明者は未萌を睹る、況んや已に著かなるをや」と。乃ち侍胡を召し、之を詐りて曰く、「匈奴の使い来たりて数日、今安くにか在る」と。侍胡は惶恐して、具に其の状を服す。超は乃ち侍胡を閉じ、悉く其の吏士三十六人を会し、与に共に飲む。酒酣にして、因りて之を激怒して曰く、「卿曹は我と俱に西域に在り、大功を立てて以て富貴を求めんと欲す。今、虜使の到ること数日にして、王広の礼敬は即ち廃す。如し鄯善をして吾が属を収めて匈奴に送らしめば、骸骨は長く豺狼の食と為らん。之を奈何せん」と。官属は皆な曰く、「今は危亡の地なり。死生は司馬に従わん」と。超曰く、「虎穴に入らずんば、焉んぞ虎子を得ん。当今の計は、独り夜に因りて火を以て虜を攻め、彼をして我が多少を知らざらしむる有るのみ。必ず大いに震怖し、殄尽す可し。此の虜を滅ぼせば、則ち鄯善は胆を破り、功成り事立たん」と。衆曰く、「当に従事と議すべし」と。
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『智囊』威克・班超超怒りて曰く、「吉凶は今日に決す。従事は文俗の吏なり、此れを聞かば必ず恐れて謀泄れん。死して名とする所無きは、壮士に非ざるなり」と。衆曰く、「善し」と。初夜、遂に吏士を将いて虜営に往き奔る。会たま天大いに風ふき、超十人をして鼓を持たしめ、虜舎の後ろに蔵し、約して曰く、「火を見て然る後に鼓を鳴らして大いに呼べ」と。余の人は悉く弓弩を持ち、門を夾みて伏す。超乃ち風に順いて火を縦ち、前後に鼓噪す。虜衆驚き乱る。超手ずから三人を格殺し、吏兵は其の使及び従士三十余級を斬り、余衆百許りは悉く焼死す。明日乃ち還りて郭恂に告ぐ。恂大いに驚き、既にして色動く。超其の意を知り、手を挙げて曰く、「掾行かずと雖も、班超何の心ありてか独り之を擅にせんや」と。恂乃ち悦ぶ。超是に於いて鄯善王広を召し、虜使の首を以て之に示す。一国震怖す。超暁告して撫慰し、遂に子を納れて質と為す。還りて竇固に奏す。固大いに喜び、具さに超の功効を上り、並びに更に使を選びて西域に使いせしめんことを求む。帝は超の節を壮とし、固に詔して曰く、「吏の班超の如きは、何の故に遣らずして更に選ぶや。今超を以て軍司馬と為し、前功を遂げしめよ」と。超復た使いを受け、因りて其の兵を益さんと欲するも、超曰く、「願わくは本より従う所の三十余人を将いれば足れり。如し不虞あらば、多きは益ます累いと為らん」と。
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『智囊』威克・班超是の時于闐王広徳は新たに莎車を攻め破り、遂に南道に雄張し、而して匈奴は使いを遣わして其の国を監護せしむ。超既に西し、先ず于闐に至る。広徳は礼意甚だ疏く、且つ其の俗は巫を信ず。巫言う、「神怒れり。何の故に漢に向かわんと欲す。漢使に騧馬有り、急ぎ求め取りて以て我を祠れ」と。広徳乃ち使いを遣わして超に就きて馬を請う。超密かに其の状を知り、之を報許す。而して巫をして自ら来たりて馬を取らしむ。有頃にして巫至る。超即ち其の首を斬りて以て広徳に送り、因りて之を辞譲す。広徳は素より超の鄯善に在りて虜使を誅滅せしを聞き、大いに惶恐し、即ち匈奴の使いを攻め殺して超に降る。超は重く其の王以下に賜い、因りて鎮撫す。〔馮述評〕必ず班定遠の如くにして、方に是れ満腹皆な兵、渾身是れ胆なり。趙子龍、姜伯約は道うに足らざるなり。遼東の管家荘に、長男子舎に在らざるとき、建州の虜至り、其の妻子を駆りて去る。三数日にして壮者帰れば、室は皆な空しく、以て生を為す無し。人に傭工せんと欲するも、售れず。乃ち虜地に入りて之を伺わんと謀り、其の妻の出でて汲むを見て、密かに夜に薪を以て舎の戸外に積みて焚かんと約し、並びに薪を積みて以て其の屋角を焚く。火発し、賊驚き覚む。裸体にして起ちて戸を出ずれば、壮者之を射、賊皆な死す。其の妻子を挈え、賊の有する所を取りて帰る。是の後、他の賊之を憚り、敢えて其の荘を過ぎずと云う。此の壮者の胆勇、一時何ぞ班定遠に減ぜん。室家をして恙無からしめば、或いは傭工して售れば、亦た且つ安然として図らざらん。人急にして計生ずとは、信なるかな。
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『長短経』五間昔、漢の西域都護班超、初め将長史と為る。悉く諸国の歩騎二万五千を発して莎車を撃つ。莎車、救いを亀茲に求む。亀茲王、左将軍を遣わして温宿・姑墨・尉頭を発し、合わせて五万人もて之を助けしむ。超、部曲及び于闐・疏勒王を召して議して曰く「兵少なくして敵せず。計は各々解散して去るに如くは莫し。于闐は此より東し、長史も亦た此より西に帰らん。夜半に鼓声を聞きて発せしめよ」と。衆皆以て然りと為す。乃ち陰かに擒え得たる生口を緩む。生口帰り、超の言を以て亀茲に告ぐ。亀茲之を聞きて喜び、左将軍をして万騎を将いて西界に超を遮らしめ、温宿王をして八千騎を将いて東界に于闐王を遮らしむ。人定まりて後、超密かに諸司馬に令して、兵を勒し士を励ます。鶏鳴に至りて、馳せて莎車の軍営に赴き、之を掩覆す。胡皆驚き走る。首五千級を斬る。莎車遂に降る。
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『智囊』億中・班超班超、西域に久しく、上疏して生きて玉門関に入らんことを願う。乃ち超を召し還し、戊己校尉任尚を以て之に代わらしむ。尚、超に謂いて曰く、「君侯は外域に在ること三十餘年、而して小人は猥りに君の後を承く。任は重く慮は浅し、宜しく以て之を誨うる有るべし」と。超曰く、「塞外の吏士は、本より孝子順孫に非ず、皆な罪過を以て徙されて辺屯に補せらる。而して蛮夷は鳥獣の心を懐き、養い難く敗れ易し。今、君の性は厳急なり。水清ければ魚無く、察政は下と和せず。宜しく蕩佚簡易にして、小過を寛くし、大綱を総ぶるのみ」と。超去りて後、尚は私かに親しむ所に謂いて曰く、「我、班君に尚お奇策有りと以為いしに、今の言う所は平平のみ」と。尚は留まること数年にして西域反叛し、超の戒むる所の如し。
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『智囊』不戰・趙充國遂に西のかた西部都尉府に至り、日々軍士を饗し、士は皆用を為さんことを欲す。虜は数々戦いを挑むも、充国は堅く守る。初め、罕開の豪靡当児は弟の雕庫をして都尉に告げしめて曰く、「先零将に反せんとす。」と。後数日にして、果たして反す。雕庫の種人は頗る先零の中に在り、都尉は即ち雕庫を留めて質と為す。充国は罪なしと以為い、遣わし帰して種豪に告げしむ、「大兵は罪ある者を誅す、並び滅ぼさるるを取るなかれ。能く相捕らえ斬る者は、罪を除く。大豪の罪ある者を斬る一人には、銭四十万を賜い、中豪は十五万、下豪は二万、大男は三千、女子及び老小は千銭。また捕らえる所の妻子財物を以てこれに与えん。」と。威信を以て罕開及び劫略せられし者を招降し、虜の謀を解散せしめんと欲す。酒泉太守辛武賢は上言す、「今、虜は朝夕に寇を為し、土地は寒苦にして、漢馬は冬を能くせず。馬食を益し、七月上旬を以て三十日の糧を齎し、兵を分かち張掖、酒泉より並び出でて、合して罕開を撃つべし。」と。天子はその議を下す。充国は以為らく、「駝は三十日の食を負い、また衣装兵器あり、以て追逐し難し。前の険に据り、後の阨を守り、以て糧道を絶てば、必ず傷危の患あらん。かつ先零は首として畔逆を為す、宜しく罕開の闇昧の過ちを捐て、先ず先零を誅して以てこれを震動すべし。」と。朝議は謂う、「先零は兵盛んにして罕開の助けを負う。先ず罕開を破らざれば、則ち先零は未だ図るべからず。」と。