智囊 / 威克・班超
超怒曰:「吉凶決於今日,從事文俗吏,聞此必恐而謀泄,死無所名,非壯士也。」眾曰:「善。」初夜,遂將吏士往奔虜營,會天大風,超令十人持鼓,藏虜舍後,約曰:「見火然後鳴鼓大呼。」餘人悉持弓弩,夾門而伏,超乃順風縱火,前後鼓噪。虜眾驚亂,超手格殺三人,吏兵斬其使及從士三十餘級,餘眾百許人,悉燒死。明日乃還告郭恂,恂大驚,既而色動,超知其意,舉手曰:「掾雖不行,班超何心獨擅之乎?」恂乃悅,超於是召鄯善王廣,以虜使首示之。一國震怖,超曉告撫慰,遂納子為質,還奏於竇固。固大喜,具上超功效,並求更選使使西域,帝壯超節,詔固曰:「吏如班超,何故不遣而更選乎?今以超為軍司馬,令遂前功。」超復受使,因欲益其兵,超曰:「願將本所從三十餘人足矣。如有不虞,多益為累。」
新字:超怒曰:「吉凶決於今日,従事文俗吏,聞此必恐而謀泄,死無所名,非壮士也。」衆曰:「善。」初夜,遂将吏士往奔虜営,会天大風,超令十人持鼓,蔵虜舎後,約曰:「見火然後鳴鼓大呼。」余人悉持弓弩,夾門而伏,超乃順風縦火,前後鼓噪。虜衆驚乱,超手格殺三人,吏兵斬其使及従士三十余級,余衆百許人,悉焼死。明日乃還告郭恂,恂大驚,既而色動,超知其意,舉手曰:「掾雖不行,班超何心独擅之乎?」恂乃悦,超於是召鄯善王広,以虜使首示之。一国震怖,超暁告撫慰,遂納子為質,還奏於竇固。固大喜,具上超功効,並求更選使使西域,帝壮超節,詔固曰:「吏如班超,何故不遣而更選乎?今以超為軍司馬,令遂前功。」超復受使,因欲益其兵,超曰:「願将本所従三十余人足矣。如有不虞,多益為累。」
書き下し
超怒りて曰く、「吉凶は今日に決す。従事は文俗の吏なり、此れを聞かば必ず恐れて謀泄れん。死して名とする所無きは、壮士に非ざるなり」と。衆曰く、「善し」と。初夜、遂に吏士を将いて虜営に往き奔る。会たま天大いに風ふき、超十人をして鼓を持たしめ、虜舎の後ろに蔵し、約して曰く、「火を見て然る後に鼓を鳴らして大いに呼べ」と。余の人は悉く弓弩を持ち、門を夾みて伏す。超乃ち風に順いて火を縦ち、前後に鼓噪す。虜衆驚き乱る。超手ずから三人を格殺し、吏兵は其の使及び従士三十余級を斬り、余衆百許りは悉く焼死す。明日乃ち還りて郭恂に告ぐ。恂大いに驚き、既にして色動く。超其の意を知り、手を挙げて曰く、「掾行かずと雖も、班超何の心ありてか独り之を擅にせんや」と。恂乃ち悦ぶ。超是に於いて鄯善王広を召し、虜使の首を以て之に示す。一国震怖す。超暁告して撫慰し、遂に子を納れて質と為す。還りて竇固に奏す。固大いに喜び、具さに超の功効を上り、並びに更に使を選びて西域に使いせしめんことを求む。帝は超の節を壮とし、固に詔して曰く、「吏の班超の如きは、何の故に遣らずして更に選ぶや。今超を以て軍司馬と為し、前功を遂げしめよ」と。超復た使いを受け、因りて其の兵を益さんと欲するも、超曰く、「願わくは本より従う所の三十余人を将いれば足れり。如し不虞あらば、多きは益ます累いと為らん」と。
現代語訳
班超は怒って言った。「吉か凶かは今日で決まる。郭従事は文書仕事に慣れた俗吏だ。この話を聞けば必ず恐れて、計画が漏れてしまうだろう。そうなれば死んでも名を残せない。それでは壮士とは言えない」。一同は「その通りだ」と言った。夜の初めに、班超は役人と兵士を率いて匈奴の陣営へ攻め込んだ。ちょうど大風が吹いていたので、班超は十人に太鼓を持たせて敵の宿舎の裏に隠れさせ、「火が上がるのを見てから太鼓を打ち、大声で叫べ」と取り決めた。残りの者は皆、弓や弩を持って門を挟んで伏せた。班超は風上から火を放ち、前と後ろで太鼓を鳴らして鬨の声を上げた。敵は驚き乱れた。班超は自ら三人を打ち殺し、部下の兵は匈奴の使者と従者三十余人の首を斬り、残る百人ほどは皆焼け死んだ。翌日、班超は戻って郭恂に事の次第を告げた。郭恂は大いに驚き、やがて顔色を曇らせた。班超はその心を察して手を挙げて言った。「あなたが行かなかったとはいえ、私が手柄を独り占めする気などありましょうか」。郭恂はそこで喜んだ。班超は鄯善王の広を呼び、匈奴の使者の首を見せた。国中が震え上がった。班超は言い聞かせて安心させ、王はついに王子を人質として差し出した。帰って竇固に報告すると、竇固は大いに喜び、班超の功績を詳しく上奏し、あわせて別の使者を選んで西域へ派遣することを願い出た。帝は班超の節操を壮とし、竇固に詔して言った。「班超のような人物がいるのに、どうして彼を遣わさずに別の者を選ぶのか。今、班超を軍司馬に任じ、前の功を成し遂げさせよ」。班超は再び使命を受け、兵を増やそうという話になったが、班超は言った。「もとから連れている三十余人で十分です。もし不測の事態が起きれば、人数が多いとかえって足手まといになります」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・立節斉の崔杼荘公を弑す。邢蒯瞶晋に使いして反る。其の僕曰わく、「崔杼荘公を弑せり、子将に奚くにか如かんとす」と。邢蒯瞶曰わく、「之を駆れ、将に入りて死して君に報いん」と。其の僕曰わく、「君の無道なるや、四鄰の諸侯聞かざる莫し。夫子を以て之に死するは亦難からずや」と。邢蒯瞶曰わく、「善く能く言えり。然れども亦晩し。子早く我に言わば、我能く之を諫めん。諫めて聴かれずんば我能く去らん。今既に諫めず又去らず。吾聞く、其の禄を食む者は其の事に死すと。吾既に乱君の禄を食めり、又安んぞ君を治めて之に死するを得んや」と。遂に車を駆りて死に入る。其の僕曰わく、「人乱君有りて、人猶お之に死す。我治長有り、死する毋かる可けんや」と。乃ち轡を結びて車上に自刎す。君子之を聞きて曰わく、「邢蒯瞶節を守り義に死すと謂う可し。死は人の難んずる所なり。僕夫の死するや、未だ義に合う能わずと雖も、然れども亦志有るの意なり。詩に云う、『夙夜懈らず、以て一人に事う』と、邢生の謂いなり。孟子曰わく、『勇士は其の元を喪うを忘れず』と、僕夫の謂いなり」と。
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史記 李斯列伝荀卿に辞して曰く、「斯聞く、時を得ては怠ること無かれと。今、万乗方に時を争ひ、游ぶ者事を主る。今、秦王天下を呑み、帝と称して治めんと欲す。此れ布衣の馳騖の時にして游説者の秋なり。卑賤の位に処りて計為さざる者は、此れ禽鹿の肉を視、人面にして能く彊ひて行く者のみ。故に詬は卑賤より大なるは莫く、而して悲しみは窮困より甚だしきは莫し。久しく卑賤の位、困苦の地に処り、世を非として利を悪み、自ら無為に託するは、此れ士の情に非ざるなり。故に斯将に西のかた秦王に説かんとす」と。秦に至り、会々荘襄王卒す。李斯乃ち求めて秦の相文信侯呂不韋の舎人と為る。不韋之を賢とし、任じて以て郎と為す。李斯因りて以て説くを得、秦王に説きて曰く、「胥人は、其の幾を去る。大功を成す者は、瑕釁に因りて遂に之を忍ぶに在り。昔者秦の穆公の霸たる、終に東のかた六国を并せざりし者は、何ぞや。諸侯尚ほ衆く、周の徳未だ衰へず。故に五伯迭ひに興り、更々周室を尊ぶ。秦の孝公より以来、周室卑微にして、諸侯相兼ね、関東を六国と為す。秦の勝に乗じて諸侯を役すること、蓋し六世なり。今諸侯秦に服すること、譬へば郡県の若し。夫れ秦の彊、大王の賢を以て、竈上を騒除するに由り、以て諸侯を滅ぼし、帝業を成し、天下を一統と為すに足る。此れ万世の一時なり。今怠りて急に就かずんば、諸侯復た彊く、相聚まりて従を約せば、黄帝の賢有りと雖も、并す能はざるなり」と。秦王乃ち斯を拝して長史と為し、其の計を聴き、陰かに謀士を遣はし金玉を齎持して以て諸侯に游説せしむ。諸侯の名士の財を以て下すべき者は、厚く遺りて之に結び、肯ぜざる者は、利剣もて之を刺す。其の君臣の計を離し、秦王乃ち其の良将をして其の後に随はしむ。秦王斯を拝して客卿と為す。会々韓人鄭国来たりて秦を間し、以て注漑渠を作る。已にして覚る。
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