十八史略 / 『十八史略』後漢・虞詡・盤根錯節に遇いて利器を知る
時邊軍多事鄧騭欲棄涼州并力北邊郎中虞詡以為不可曰關西出將關東出相烈士武夫多出涼州衆皆從詡議騭惡詡欲陷之會朝歌賊攻殺長吏州郡不能禁以詡為朝歌長故舊皆弔之詡曰不遇盤根錯節無以別利器及到官募壯士攻劫者為上傷人偸盜者次之收得百餘人使入賊中誘令劫掠伏兵殺數百人又潛遣貧人能縫者傭作賊衣以絲線縫其裾有出市里者輒禽之賊駭散縣境皆平
新字:時辺軍多事鄧騭欲棄涼州并力北辺郎中虞詡以為不可曰関西出将関東出相烈士武夫多出涼州衆皆従詡議騭悪詡欲陥之会朝歌賊攻殺長吏州郡不能禁以詡為朝歌長故旧皆弔之詡曰不遇盤根錯節無以別利器及到官募壮士攻劫者為上傷人偸盗者次之収得百余人使入賊中誘令劫掠伏兵殺数百人又潜遣貧人能縫者傭作賊衣以糸線縫其裾有出市里者輒禽之賊駭散県境皆平
書き下し
時に辺軍事多し。鄧騭、涼州を棄て、力を北辺に并せんと欲す。郎中虞詡、以て不可と為し、曰く、関西は将を出だし、関東は相を出だす。烈士武夫、多く涼州より出ず、と。衆、皆詡の議に従う。騭、詡を悪み、之を陥れんと欲す。会ま朝歌の賊、長吏を攻め殺す。州郡、禁ずる能わず。詡を以て朝歌長と為す。故旧、皆之を弔う。詡曰く、盤根錯節に遇わずんば、以て利器を別つ無し、と。官に到るに及び、壮士を募り、攻劫する者を上と為し、人を傷つくる者・偸盗する者を之に次ぐとし、収め得ること百余人。賊中に入らしめ、誘いて劫掠せしめ、兵を伏せて数百人を殺す。又潜かに貧人の能く縫う者を遣わし、傭いて賊衣を作らしめ、絲線を以て其の裾に縫う。市里に出づる者有れば、輒ち之を禽にす。賊駭き散じ、県境皆平らぐ。
現代語訳
そのころ辺境の軍事が多く、鄧騭は涼州を放棄して、力を北の辺境に集中させようとしました。郎中の虞詡はこれに反対して言いました。「関西は将軍を出し、関東は宰相を出します。烈士や武人は、多く涼州から出ています」。人々はみな虞詡の意見に従いました。鄧騭は虞詡を憎み、陥れようと考えました。ちょうど朝歌の賊が長吏を攻め殺し、州や郡では抑えられずにいました。そこで虞詡を朝歌の長に任じました。旧友たちは皆、これを弔いの言葉で見送りました。虞詡は言いました。「根が曲がりくねり節が入り組んだ難しい木に当たらなければ、刃物の切れ味はわからない」。着任すると、壮士を募り、略奪を働いた者を上位とし、人を傷つけた者や盗みをした者をその次に採用して、百余人を集めました。彼らを賊の中に潜り込ませ、誘って略奪をさせ、伏兵を置いて数百人を討ちました。さらに、ひそかに裁縫のできる貧しい者を雇って賊の衣服を作らせ、糸で裾を縫わせました。その衣を着て市中に出る者がいれば、すぐに捕らえました。賊は驚いて散り、県の境内はすべて平穏になりました。
解説

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『智囊』經務・虞詡永初四年、羌胡は反乱し、並、涼を残破す。大将軍の鄧騭は軍役方に費え、事は相い贍わざるを以て、涼州を棄てて、力を並せて北辺に注がんと欲す。譬えば衣の敗るれば、用て以て相い補い、猶お完き所有るがごとし、然らずんば、将に両つながら保つ所無からんとす。議する者は咸な以て然りと為す。詡は太尉の李修に説きて曰く、「竊かに公卿の策を定むるを聞くに、当に涼州を棄つべしと。夫れ涼州既に棄つれば、即ち三輔を以て塞と為す。三輔を塞と為せば、則ち園陵は単外となる、此れ不可の甚だしき者なり。諺に曰く、『関西は将を出だし、関東は相を出だす』と。其の兵を習うこと壮勇なるを観るに、実に余州に過ぐ。今、羌胡の敢えて三輔に入り据り、腹心の害を為さざる所以は、涼州の後に在るを以ての故なり。其の土人の鋒を摧き鋭を執りて反顧の心無き所以は、漢に臣属するが為の故なり。若し其の境域を棄て、其の人庶を徙さば、土に安んじ遷るを重んずるもの、必ず異念を生ぜん。如し豪傑をして相い聚め、席捲して東せしめば、賁、育を卒と為し、太公を将と為すと雖も、猶お当御するに足らざるを恐る。議者は喻うるに衣を補いて猶お完き所有りと為すも、詡は疽の食い浸淫して限極無きを恐る。之を棄つるは計に非ず」と。修曰く、「然らば則ち計は将に安くにか出でん」と。詡曰く、「今、涼土は擾動し、人情は安からず、竊かに卒然として非常の変有らんことを憂う。誠に宜しく四府九卿をして各おの彼の州の数人を辟かしめ、其の牧守令長の子弟を、皆な除して冗官と為し、外は以て勧励して、其の功勤に答え、内は以て拘制して、其の邪計を防ぐべし」と。修は其の言を善しとし、更めて四府を集め、皆な詡の議に従う。是に於いて西川の豪傑を辟きて掾属と為し、牧守長吏を拝して郎と為し、以て之を安慰す。
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『智囊』詰奸・張敞・虞詡長安の市に偸盗多く、百賈之に苦しむ。張敞、既に事を視るや、長安の父老に求め問う。偸盗の酋長数人、居は皆温厚にして、出づれば重騎に従い、閭里以て長者と為す。敞、皆召し見えて責め問い、因りて其の罪を貰し、其の宿負を把りて、諸偸を致して以て自ら贖わしむ。偸長曰く、「今、一旦府に召詣せば、諸偸の驚駭せんことを恐る。願わくは一切署を受けしめよ」と。敞、皆以て吏と為し、遣わして帰休せしむ。酒を置くに、小偸悉く来たりて賀し、且つ飲みて酔う。偸長、赭を以て其の衣裾を汚す。吏、里閭に坐して出づる者を閲し、赭の汚すを見れば、輒ち収縛す。一日に数百人を捕らう。窮め治めて犯す所あり、市盗遂に絶ゆ。朝歌の賊寧季等数千人、長吏を攻め殺し、屯聚すること連年、州郡禁ずる能わず。乃ち詡を以て朝歌の長と為す。始めて到るや、河内太守馬稜に謁し、轡策を仮して、拘閡する所有らしむる勿かれと願う。官に及びて、三科を設けて以て壮士を募る。掾史より下、各おの知る所を挙げよ。其の攻劫する者を上と為し、人を傷つけ偸盗する者を次とし、家業を事とせざる者を下と為す。収め得ること百余人、詡、饗会を為し、悉く其の罪を貰し、賊中に入らしめ、誘いて劫掠せしむ。乃ち兵を伏せて以て待ち、遂に賊数百人を殺す。又潜かに貧人の能く縫う者を遣わして賊衣に傭作せしめ、彩線を以て其の裾に縫いて識と為す。市里に出づる者有らば、吏輒ち之を擒う。賊是に由りて駭き散ず。
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『智囊』詭道・孫臏・虞詡羌、武都に寇す。虞詡を遷して武都太守と為す。羌乃ち衆数千を率い、詡を陳倉の崤谷に遮る。詡の軍、車を停めて進まず、而して宣言す、「上書して兵を請い、到るを須ちて乃ち発せん」と。羌これを聞き、乃ち分かれて旁県を鈔す。詡、其の兵の散ずるに因り、日夜道を進み、兼行すること百余里、軍士をして各々両灶を作らしめ、日に増すこと倍す。羌敢えて逼らず。或るひと問いて曰く、「孫臏は灶を減じ、而るに君は増す。兵法に、『行くこと三十里を過ぎず』と曰うに、而るに且に二百里ならしむるは、何ぞや」と。詡曰く、「虜は衆く我は寡し。徐行すれば則ち及ばるること易く、速進すれば則ち彼の測らざる所なり。虜、吾が灶の日に増すを見ば、必ず郡兵の迎えに来たれりと謂い、衆多くして行くこと速きに、必ず憚りて我を追わざらん。孫臏は弱を見せ、吾は今強を示す。勢い同じからざるなり」と。郡に到るに、兵は三千に満たず、而るに羌の衆は万余、赤亭を攻囲すること数十日。詡乃ち軍中をして強弩を勿発せしめ、而して潜かに小弩を発せしむ。羌、矢力弱くして至る能わずと以い、兵を並べて急に攻む。詡、是に於いて二十の強弩をして共に一人を射せしめ、発して中らざる無し。羌大いに震え退く。詡因りて出でて奮撃し、殺傷する所多し。明日、悉く其の衆を陣し、東郭門より出で、北郭門より入り、衣服を貿易し、回転すること数周せしむ。羌、其の数を知らず、更々相恐動す。詡、賊の当に退くべきを計り、乃ち潜かに五百余人を遣わして、浅水に伏を設け、其の走路を候わしむ。虜果たして大いに奔る。因りて掩撃し、大いにこれを破る。
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『智囊』經務・虞詡〔馮述評〕虞詡の涼州の議は、李修の公に成り、徳裕の維州の議は、僧孺の私憾に格がる。夫れ国家の為に万全を図らず、而して自ら其の私を快くし、以て後世に噬臍の悔を貽すは、斯れ不忠の大なるものなり。河套棄てられて陝右警しみ、西河棄てられて甘州危うく、太寧棄てられて薊州逼り、三岔河棄てられて遼東悚す。国朝の往事は、寒心す可し。昔、単于冒頓は愛する所の名馬と女子を惜しまずして、必ず千里の棄地を争い、遂に因りて以て東胡を滅ぼし、諸王を並せたり。堂堂たる中国にして、謀は醜虜の下に出で、恬として恥を知らざるは、何ぞや。涼州の議は、尤も妙は其の豪傑を辟きて之を用うるに在り、此れ玄徳の両川を安んぜし所以なり。嘉靖の東南の倭警に、漕台の鄭暁は奏す、「倭寇は類ね多く中国の人にして、其の間に尽く勇智の用う可き者有り、每に身を資するに策無きに苦しみ、遂に心に賊に従うに甘んじ、為に嚮導と為る。乞う、各おの巡撫官に命じ、軍民の白衣の中に於いて、毎歳、勇力智謀の者数十人を査挙し、与うるに『義勇』の名色を以てし、月ごとに米一石を給し、其れをして無事なれば則ち人を率いて盗を捕らえ、有事なれば則ち兵を領して賊を殺し、功有れば則ち之に官せしめん。此の如くせば、唯だ中国の人は賊の用と為らざるのみならず、且つ将材の其の間より出づる有らん。其の賊に従う者は諭して帰降せしめ、如し才力の用う可きものあらば、一体に功を立てて敘遷せしめん。然らずんば、数年の後に或いは盧循、孫恩、黄巣、王仙芝の如き者有りて、益ます滋蔓に至り、撥滅し難からん」と。愚は謂う、端簡公の此の策は、今日正に宜しく採用すべし。
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『長短経』変通虞詡、武都郡に薦めらる。羌、衆を率いて詡を陳倉の崤谷に遮る。詡、吏士をして各々両竈を作らしめ、日に之を増倍す。羌敢えて逼らず。或るひと問いて曰く「孫子は竈を減じ、而して君は之を増す。兵法に『日に行くこと三十里、以て不虞を戒む』と。今且に行くこと二百里ならんとす。何ぞや」と。詡曰く「虜の衆既に多し。吾徐ろに行けば則ち及ぼさるること易く、疾く行けば則ち彼之を測らず。且つ虜は吾が竈の多きを見て、郡兵来たり至ると謂う。孫子は弱きを見わし、吾は強きを示す。勢い同じからざるなり」と。〔昔、王濬蜀に在り、船を作りて呉を伐たんと欲し、預め柹を江中に流して以て之を威す。唐の将李靖、荊州を伐ちて、蕭銑を襲わんと欲するに至りては、乃ち柹を江中に投じて、蕭銑をして之を見しむ。靖尋いで兵を以て柹に随いて下る。蕭銑備えず、遂に之を虜にし、荊州を平らぐ。夫れ兵法の変通は、一を執るべからず。諸君之を得たり。〕
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十八史略・『十八史略』後漢・班超・虎穴に入らずんば虎子を得ず固、仮司馬班超をして西域に使いせしむ。超、鄯善に至る。其の王、之を礼すること甚だ備わる。匈奴の使い来たるや、頓に疏懈す。超、吏士三十六人を会して曰く、虎穴に入らずんば、虎子を得ず、と。虜営に奔り、其の使い及び従士三十余級を斬る。鄯善一国、震怖す。超、告ぐるに威徳を以てし、復た虜と通ずること勿からしむ。超、復た于寘に使いす。其の王も亦虜の使いを斬りて以て降る。是に於いて諸国皆子を遣わして入侍せしむ。西域復た通ず。