十八史略 / 『十八史略』後漢・董宣・強項令、権力に屈せず
主有蒼頭殺人匿主家吏不能得洛陽令董宣候主出行奴驂乘叱下車格殺之主入訴上上大怒召宣欲捶殺之宣曰縱奴殺人何以治天下臣不須捶請自殺即以頭叩楹流血被面上令小黃門持之使叩頭謝主宣兩手據地終不肯上敕強項令出賜錢三十萬
新字:主有蒼頭殺人匿主家吏不能得洛陽令董宣候主出行奴驂乗叱下車格殺之主入訴上上大怒召宣欲捶殺之宣曰縦奴殺人何以治天下臣不須捶請自殺即以頭叩楹流血被面上令小黄門持之使叩頭謝主宣両手拠地終不肯上勅強項令出賜銭三十万
書き下し
主に蒼頭有りて人を殺し、主の家に匿る。吏、得る能わず。洛陽令董宣、主の出行するを候う。奴、驂乗す。叱して車より下らしめ、之を格殺す。主、入りて上に訴う。上、大いに怒り、宣を召して捶殺せんと欲す。宣曰く、奴を縦にして人を殺さしむ。何を以て天下を治めん。臣、捶つを須いず。請う、自殺せん、と。即ち頭を以て楹を叩き、血を流して面を被う。上、小黄門をして之を持せしめ、頭を叩きて主に謝せしむ。宣、両手もて地に拠り、終に肯んぜず。上、強項令に出でよと敕し、銭三十万を賜う。
現代語訳
公主の家には蒼頭(召使)がいて、人を殺し、主人の屋敷にかくまわれていました。役人は捕らえることができませんでした。洛陽令の董宣は、公主が外出するときを待ちました。その召使が公主の車に同乗していたので、叱りつけて車から降ろし、打ち殺しました。公主は宮中に入って帝に訴えました。帝は大いに怒り、董宣を呼んで打ち殺そうとしました。董宣は言いました。「召使を野放しにして人を殺させて、どうして天下を治められましょうか。打たれるには及びません。自ら死なせてください」。そしてすぐに頭で柱を打ち、血を流して顔を覆いました。帝は小黄門に命じて董宣を押さえさせ、頭を下げて公主に謝らせようとしました。董宣は両手で地面を押さえて、とうとう承知しませんでした。帝は「強項令(首の曲がらない令)を退出させよ」と命じ、銭三十万を賜りました。
解説

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『臣軌』卷上 公正章人を理むるの道は万端なるも、之を行う所以は一に在り。一とは何ぞや。公のみ。唯だ公心のみ以て国を奉ず可く、唯だ公心のみ以て家を理む可し。公道行わるれば、則ち神明労せずして邪自ずから息み、私道行わるれば、則ち刑罰繁くして邪禁ぜられず。故に公の道為るや、言甚だ少なくして用甚だ博し。夫れ心なる者は、神明の主、万理の統なり。動きて正を失わざれば、天地も感ず可し、而るを況んや人に於いてをや。故に古の君子は、先ず其の心を正す。
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『武士訓』卷三・第18段むかし晉悼公の大夫祁奚年老たりしかば。悼公祁奚にむかひて。汝が後役にたれをかなすべきやと問れしに。答て解狐しかるべしとまうす。悼公それは其方と中あしきものにあらずやとありしに。祁奚がいはく。君はわが後役によろしかるべきものを問給ふ。中あしきを問なふにあらず。是によりて解狐をさしまうすと答ふ。悼公また國の尉にはたれかしかるべからんと有しに。こたえていはく午よろしかるべし。悼公いはくそれは其方が子にあらずや。祁奚いはく。君はその役にしかるべきものを問給ふ。子を問たまふにあらず。これによりてこたえ奉ること右のごとしとまうせり。外仇讐を避ず。内親戚を避ず。至て公なりと。そのころの人感じたりとなり。今おもふに。祁奚が外仇讐を避けざるは後人まなんで可なり。内親戚を避ざるは悼公祁奚は可なり。後人まなぶに遠慮あるべし。
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『春秋左氏伝』昭公十四年 古の遺直冬十二月、蒲餘侯茲夫莒の公子意恢を殺す。郊公齊に奔る。公子鐸庚與を齊に逆ふ。齊の隰黨・公子鉏之を送り、賂田有り。晉の邢侯雍子と鄐の田を爭ひ、久しくして成る無し。士景伯楚に如き、叔魚理を攝す。韓宣子命じて舊獄を斷ぜしむ。罪雍子に在り。雍子其の女を叔魚に納る。叔魚罪を邢侯に蔽す。邢侯怒り、叔魚と雍子とを朝に殺す。宣子其の罪を叔向に問ふ。叔向曰く、「三人罪を同じくす。生けるを施し死せるを戮して可なり。雍子自ら其の罪を知りて、賂して以って直を買ふ。鮒や獄を鬻ぐ。邢侯專ら殺す。其の罪一なり。己惡しくして美を掠むるを昏と為し、貪りて以って官を敗るを墨と為し、人を殺して忘れざるを賊と為す。夏書に曰く、『昏・墨・賊は殺す』と。皋陶の刑なり。請ふ之に從はん」と。乃ち邢侯を施して、雍子と叔魚とを市に尸す。仲尼曰く、「叔向は、古の遺直なり。國を治め刑を制するに、親に隱さず。三たび叔魚の惡を數へて、末減を為さず。曰く、義なるかな、直と謂ふ可し。平丘の會に、其の賄を數へて、以って衛國を寬くし、晉暴を為さず。魯の季孫を歸すに、其の詐を稱して、以って魯國を寬くし、晉虐を為さず。邢侯の獄に、其の貪を言ひて、以って刑書を正し、晉頗を為さず。三たび言ひて三惡を除き、三利を加ふ。親を殺して榮を益す、猶ほ義なるかな」と。
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『春秋左氏伝』宣公十六年 民の多幸は国の不幸十六年春、晉の士會師を帥ゐて赤狄の甲氏及び留吁・鐸辰を滅ぼす。三月、狄の俘を獻ず。晉侯王に請ひ、戊申、黻冕を以て士會に命じて中軍に將とし、且つ大傅と為す。是に於て晉國の盜、逃れて秦に奔る。羊舌職曰く、「吾之を聞く、禹善人を稱げて、不善人遠ざかると。此の謂なり。夫れ詩に曰く、『戰戰兢兢として、深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如し』と。善人上に在るなり。善人上に在れば、則ち國に幸民無し。諺に曰く、『民の幸多きは、國の不幸なり』と。是れ善人無きの謂なり」と。夏、成周の宣榭火あり、人之に火するなり。凡そ火は、人火を火と曰ひ、天火を災と曰ふ。秋、郯の伯姬來り歸る、出されたるなり。毛・召の難の故の為に、王室復た亂る。王孫蘇晉に奔る、晉人之を復す。冬、晉侯士會をして王室を平がしむ。定王之を享し、原襄公禮を相く。殽烝す。武子私かに其の故を問ふ。王之を聞き、武子を召して曰く、「季氏、而聞かざるか。王の享には體薦有り、宴には折俎有り。公は享に當り、卿は宴に當る、王室の禮なり」と。武子歸りて典禮を講求し、以て晉國の法を脩む。
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『武家家訓集』朝倉敏景十七箇条「追書(役人の私と他国の悪党)」一、諸沙汰在所の時、理非少しも曲げらるまじく候。もし役人わたくしも致し候由聞き及ばれ候はば、同罪に堅く申し付けらるべく候。しよちうつろをぎんみ申し候沙汰致し候へば、他国の悪党出でぬものなり。みだりがはしき所と知られ候へば、他家より手を入るるものにて候。
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