十八史略 / 『十八史略』秦・孝公(商鞅)・商鞅の徙木の信
令既具未布立三丈之木於國都市南門募民有能徙北門者予十金民怪之莫敢徙復曰能徙者予五十金有一人徙之輒予五十金乃下令太子犯法鞅曰法之不行自上犯之君嗣不可施刑刑其傅公子虔黥其師公孫賈秦人皆趨令行之十年道不拾遺山無盜賊家給人足民勇於公戰怯於私鬭鄉邑大治
新字:令既具未布立三丈之木於国都市南門募民有能徙北門者予十金民怪之莫敢徙復曰能徙者予五十金有一人徙之輒予五十金乃下令太子犯法鞅曰法之不行自上犯之君嗣不可施刑刑其傅公子虔黥其師公孫賈秦人皆趨令行之十年道不拾遺山無盗賊家給人足民勇於公戦怯於私闘郷邑大治
書き下し
令既に具わるも、未だ布かず。三丈の木を国都の市の南門に立て、民の能く北門に徙す者有らば、十金を予うと募る。民之を怪しみ、敢えて徙す莫し。復た曰く、「能く徙す者には五十金を予う」と。一人有りて之を徙す。輒ち五十金を予う。乃ち令を下す。太子、法を犯す。鞅曰く、「法の行われざるは、上より之を犯せばなり。君嗣には刑を施すべからず」と。其の傅公子虔を刑し、其の師公孫賈を黥す。秦人皆な令に趨き、之を行うこと十年。道に遺ちたるを拾わず、山に盗賊無く、家給し人足り、民、公戦に勇にして私闘に怯え、郷邑大いに治まる。
現代語訳
新しい法令の準備が整いましたが、まだ公布していませんでした。そこで三丈の木を国都の市場の南門に立て、「これを北門に移した者には十金を与える」と民に呼びかけました。民は怪しんで、誰も移そうとしません。そこで「移した者には五十金を与える」と言い直すと、一人が移しました。すぐに五十金を与えました。その上で法令を公布しました。やがて太子が法を犯しました。商鞅は言いました。「法が行われないのは、上の者が犯すからだ。太子に刑を加えることはできない」。そこで太子の傅である公子虔を罰し、師である公孫賈の顔に入れ墨の刑を加えました。秦の人々は皆、法令に従うようになり、これを行って十年がたつと、道に落ちたものを拾う者はなく、山に盗賊はおらず、家は豊かで人は満ち足り、民は国のための戦いには勇ましく、私的な争いには臆病になり、村や町はよく治まりました。
解説

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呂氏春秋・愼小⑤吳起、西河を治め、其の信を民に諭らかにせんと欲す。夜日、表を南門の外に置き、邑中に令して曰く、「明日、人の能く南門の外表を僨す者有らば、長大夫に仕えしめん。」明日、日晏るるも、表を僨す者有る莫し。民相謂いて曰く、「此れ必ず信ならず。」一人有りて曰く、「試みに往きて表を僨さん。賞を得ざるのみ。何ぞ傷まん。」往きて表を僨し、來たり呉起に謁ぐ。呉起自ら見んとして出で、之を長大夫に仕えしむ。夜日、又復た表を立て、又邑中に令すること前の如し。邑人、門を守りて表を爭う。表、植を加え、賞する所を得ず。是れ自りの後、民は呉起の賞罰を信ず。賞罰、民に信ぜらるれば、何事として成らざらん。豈に獨り兵のみならんや。
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