十八史略 / 『十八史略』斉・孟嘗君・孟嘗君と鶏鳴狗盗
靖郭君田嬰者宣王之庶弟也封於薛有子曰文食客數千人名聲聞於諸侯號為孟嘗君秦昭王聞其賢乃先納質於齊以求見至則止因欲殺之孟嘗君使人抵昭王幸姬求解姬曰願得君狐白裘蓋孟嘗君嘗以獻昭王無他裘矣客有能為狗盜者入秦藏中取裘以獻姬姬為言得釋即馳去變姓名夜半至函谷關關法雞鳴方出客恐秦王後悔追之客有能為雞鳴者雞盡鳴遂發傳出食頃追者果至而不及
新字:靖郭君田嬰者宣王之庶弟也封於薛有子曰文食客数千人名声聞於諸侯号為孟嘗君秦昭王聞其賢乃先納質於斉以求見至則止因欲殺之孟嘗君使人抵昭王幸姫求解姫曰願得君狐白裘蓋孟嘗君嘗以献昭王無他裘矣客有能為狗盗者入秦蔵中取裘以献姫姫為言得釈即馳去変姓名夜半至函谷関関法鶏鳴方出客恐秦王後悔追之客有能為鶏鳴者鶏尽鳴遂発伝出食頃追者果至而不及
書き下し
靖郭君田嬰は、宣王の庶弟なり。薛に封ぜられ、子有り、文と曰う。食客数千人、名声諸侯に聞こえ、号して孟嘗君と為す。秦の昭王、其の賢を聞き、乃ち先ず質を斉に納めて、以て見えんことを求む。至れば則ち止め、因りて之を殺さんと欲す。孟嘗君、人をして昭王の幸姫に抵らしめ、解かんことを求む。姫曰く、「願わくは君の狐白裘を得ん」と。蓋し孟嘗君、嘗て以て昭王に献じ、他の裘無きなり。客に能く狗盗を為す者有り、秦の蔵中に入りて裘を取り、以て姫に献ず。姫、為に言い、釈かるるを得て、即ち馳せ去り、姓名を変え、夜半に函谷関に至る。関の法、鶏鳴きて方に出だす。客、秦王の後悔して之を追わんことを恐る。客に能く鶏鳴を為す者有り、鶏尽く鳴き、遂に伝を発して出づ。食頃にして追う者果たして至るも、及ばず。
現代語訳
靖郭君の田嬰は、宣王の腹違いの弟で、薛に封じられました。子に文がいて、食客が数千人もおり、名声は諸侯に聞こえて、孟嘗君と呼ばれました。秦の昭王はその賢さを聞き、まず人質を斉に差し出して会いたいと求めました。ところが孟嘗君が着くと、昭王は彼を足止めして、殺そうとしました。孟嘗君は人を遣わして、昭王の寵姫に助けを求めました。寵姫は言いました。「あなたの狐白裘がほしい」。孟嘗君はかつてその衣を昭王に献上しており、ほかには持っていませんでした。すると食客の中に、盗みの得意な者がいて、秦の蔵に入って裘を取り、寵姫に献上しました。寵姫が口添えしたので釈放され、すぐ馬を走らせ、姓名を変え、夜中に函谷関に着きました。関の決まりでは鶏が鳴かなければ開けません。客は、秦王が後悔して追ってくることを恐れました。すると客の中に、鶏の鳴き真似が上手な者がおり、それに合わせて鶏が残らず鳴いたので、通行証を示して関を出ました。しばらくして追っ手が到着しましたが、間に合いませんでした。
解説

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『墨子』親士故に賢君有りと雖も、功無きの臣を愛せず。慈父有りと雖も、益無きの子を愛せず。是の故に其の任に勝えずして其の位に處るは、此の位の人に非ざるなり。其の爵に勝えずして其の祿に處るは、此の祿の主に非ざるなり。良弓は張り難し、然れども以て髙きに及び深きに入る可し。良馬は乗り難し、然れども以て重きに任じ逺きに致す可し。良才は令し難し、然れども以て君を致して尊ばれしむ可し。是の故に江河は小谷の己を滿たすを惡まず、故に能く大なり。聖人は、事に辭すること無く、物に違うこと無し、故に能く天下の器と為る。是の故に江河の水は、一源に非ざるなり。千鎰の裘は、一狐の白に非ざるなり。夫れ惡んぞ同方を取り、同じからざるを取らざる者有らんや。盖し兼王の道に非ざるなり。
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『新論』守禦(古は賢才を挙ぐるに、限るに門流を以てせず。大宝の制令に至りても、亦た国学をして大学に入りて試用せらるるを得しむ。且つ虞夏商周の如きも、学制亦た備はれり。而して諸侯にも亦た貢士の法有り。皆天下の俊賢を旁く羅して遺さざる所以なり。天下の事は、固より一端ならず。而るに士を取ること一国一都に止まれば、則ち其の国都の間、俗の慣習する所、風尚素より同じくして、其の謀議布陳する所も、亦た甚だしくは相遠からず、言多く雷同し、其の天下の事に於ける、偏へに一端を挙げて、天下の善を兼ぬる能はず。故に聖賢は天下の賢俊を致す所以に於て尤も心を尽くす。故に禹曰く、万邦の黎献、惟れ帝時れを挙げよ。帝時れをせずんば、敷く同じくして日に奏すとも功罔からん、と。苟も能く思ひを此に致さば、則ち舜の人に取りて以て善を為す所以の者と、其の無為にして治まる所以の者とも、亦た見るべきなり。)
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史記 孟嘗君列伝復た卒に孟嘗君をして秦に入らしむ、昭王即ち孟嘗君を以て秦の相と為す。人或ひと秦の昭王に説きて曰く、「孟嘗君は賢にして、また斉の族なり。今秦に相たらば、必ず斉を先にして秦を後にせん、秦それ危ふからん」と。是に於いて秦の昭王乃ち止む。孟嘗君を囚へ、謀りてこれを殺さんと欲す。孟嘗君、人をして昭王の幸姫に抵りて解かんことを求めしむ。幸姫曰く、「妾願はくは君の狐白裘を得ん」と。此の時孟嘗君に一狐白裘有り、直千金、天下に双び無し、秦に入りてこれを昭王に献じ、更に他の裘無し。孟嘗君これを患へ、遍く客に問ふも、能く対ふる莫し。最も下坐に能く狗盗を為す者有り、曰く、「臣能く狐白裘を得ん」と。乃ち夜狗と為り、以て秦宮の臧中に入り、献ずる所の狐白裘を取りて至り、以て秦王の幸姫に献ず。幸姫為に昭王に言ひ、昭王孟嘗君を釈く。孟嘗君出づるを得、即ち馳せ去り、封伝を更め、名姓を変へて以て関を出でんとす。夜半函谷関に至る。秦の昭王、後に孟嘗君を出だせしを悔い、これを求むるに已に去る、即ち人をして伝に馳せてこれを逐はしむ。孟嘗君関に至る、関の法は鶏鳴きて客を出だす。孟嘗君追ひの至らんことを恐る。客の下坐に居る者に能く鶏鳴を為す者有り、而して鶏斉しく鳴く、遂に伝を発して出づ。出でて食頃の如くして、秦の追ひ果たして関に至る、已に孟嘗君の出づるに後れ、乃ち還る。始め孟嘗君この二人を賓客に列するや、賓客尽くこれを羞づ。孟嘗君に秦の難有るに及び、卒にこの二人これを抜く。是より後、客皆服す。
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