十八史略 / 『十八史略』周・厲王・民の口を防ぐ厲王
夷王崩子厲王胡立無道暴虐侈傲得衛巫使監國人之謗者以告則殺之道路以目王喜曰吾能弭謗矣或曰是障也防民之口甚於防川水壅而潰傷人必多王弗聽於是國人相與畔王出奔彘二相周召共理國事曰共和者十四年而王崩于彘子宣王靜立任賢使能有召穆公方叔尹吉甫仲山甫等為政於內外王化復行周室中興焉
新字:夷王崩子厲王胡立無道暴虐侈傲得衛巫使監国人之謗者以告則殺之道路以目王喜曰吾能弭謗矣或曰是障也防民之口甚於防川水壅而潰傷人必多王弗聴於是国人相与畔王出奔彘二相周召共理国事曰共和者十四年而王崩于彘子宣王静立任賢使能有召穆公方叔尹吉甫仲山甫等為政於内外王化復行周室中興焉
書き下し
夷王崩じ、子の厲王胡立つ。無道にして暴虐、侈傲なり。衛の巫を得て、国人の謗る者を監せしめ、以て告ぐれば則ち之を殺す。道路目を以てす。王喜びて曰く、「吾能く謗を弭めたり」と。或るひと曰く、「是れ障ぐなり。民の口を防ぐは、川を防ぐより甚だし。水壅がれて潰ゆれば、人を傷つくること必ず多し」と。王聴かず。是に於いて国人相与に王に畔き、王、彘に出奔す。二相、周・召、共に国事を理む。共和と曰う者、十四年。而して王、彘に崩ず。子の宣王靜立つ。賢に任じ能を使い、召穆公・方叔・尹吉甫・仲山甫等有りて、政を内外に為す。王化復た行われ、周室中興す。
現代語訳
夷王が亡くなり、子の厲王胡が即位しました。道理に外れて乱暴で、おごり高ぶっていました。衛の巫を手に入れて、国人の悪口を言う者を監視させ、告げられれば殺しました。道行く人は目だけで合図するようになりました。王は喜んで言いました。「私は悪口をやめさせることができた」。ある人が言いました。「それは塞いでいるだけです。民の口を防ぐのは、川を防ぐより難しいことです。水が堰き止められてあふれれば、必ず多くの人を傷つけます」。王は聞き入れませんでした。そこで国人はそろって王に背き、王は彘に逃れました。周と召の二人の宰相がともに国政を執り、これを共和といい、十四年続きました。やがて王は彘で亡くなりました。子の宣王の靜が立ちました。宣王は賢者を任じ、才能ある者を用い、召穆公・方叔・尹吉甫・仲山甫らが内政と外政を担い、王の徳化がふたたび行われて、周の王室は中興しました。
解説

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群書治要・『群書治要』史記上・民の口を防ぐは水を防ぐより甚だし王、暴虐侈傲を行い、国人王を謗る。召公諫めて曰く、民は命に堪えず、と。王怒り、衛の巫を得て、謗る者を監せしめ、以て告ぐれば則ち之を殺す。其の謗ること鮮し。諸侯朝せず、王益ます厳しくし、国人敢えて言う莫く、道路目を以てす。王喜び、召公に告げて曰く、吾能く謗りを弭めたり、と。召公曰く、是れ之を鄣(ふさ)ぐなり。民の口を防ぐは、水を防ぐより甚だし。水壅がれて潰ゆれば、人を傷つくること必ず多し。民も亦た之の如し。是の故に水を為むる者は、決して之を導かしめ、民を為むる者は、宣べて之を言わしむ。故に民の口有るは、猶お土の山川有るがごとし。財用是に於いて出づ、猶お其の原隰衍沃有るがごとし。衣食是に於いて生ず、口の宣言するなり。善敗是に於いて興る。夫れ民は之を心に慮り、而して之を口に宣べ、成して行う。若し其の口を壅がば、其の与に能く幾何ぞ。王聴かず。是に於いて国に敢えて言を出だす莫く、三年にして乃ち相与に叛き、王を襲う。王出でて彘に奔る。宣王即位し、政を修め、文・武・成・康の遺風に法り、諸侯復た周を宗とす。
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史記 周本紀口の言を宣ぶるや、善敗是に於て興る。善を行ひて敗に備ふるは、財用衣食を産する所以の者なり。夫れ民之を心に慮りて之を口に宣べ、成して之を行ふ。若し其の口を壅がば、其の与すること能く幾何ぞ」と。王聴かず。是に於て国敢へて言を出す莫く、三年にして、乃ち相与に畔き、厲王を襲ふ。厲王出でて彘に奔る。厲王の太子静召公の家に匿る。国人之を聞き、乃ち之を囲む。召公曰く、「昔吾驟王を諫むれども、王従はず、以て此の難に及ぶ。今王の太子を殺さば、王其れ我を以て讎と為して懟怒せんか。夫れ君に事ふる者は、険にして讎懟せず、怨みて怒らず。況んや王に事ふるをや」と。乃ち其の子を以て王の太子に代ふ。太子竟に脱るるを得たり。召公・周公の二相政を行ひ、号して共和と曰ふ。共和十四年、厲王彘に死す。太子静召公の家に長じ、二相乃ち共に之を立てて王と為す。是を宣王と為す。宣王即位し、二相之を輔け、政を修め、文・武・成・康の遺風に法り、諸侯復た周を宗とす。十二年、魯の武公来朝す。宣王籍を千畝に修めず。虢の文公諫めて不可と曰ふも、王聴かず。三十九年、千畝に戦ひ、王の師姜氏の戎に敗績す。宣王既に南国の師を亡ひ、乃ち民を太原に料る。仲山甫諫めて曰く、「民は料る可からず」と。宣王聴かず、卒に民を料る。四十六年、宣王崩じ、子幽王宮𣵀立つ。幽王の二年、西周の三川皆震ふ。伯陽甫曰く、「周将に亡びんとす。夫れ天地の気は、其の序を失はず。若し其の序を過たば、民之を乱すなり。陽伏して出づる能はず、陰迫りて蒸す能はず、是に於て地震有り。今三川実に震ふ、是れ陽其の所を失ひて陰を填むるなり。陽失ひて陰に在れば、原必ず塞がる。原塞がれば、国必ず亡ぶ。夫れ水土演べて民用ふるなり。
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国語・周語上厲王(れいおう)虐なり。国人王を謗(そし)る。邵公(しょうこう)告げて曰く、「民命に堪えず」と。王怒り、衛の巫(ふ)を得て、謗る者を監(み)しめ、告ぐるを以て則ち之を殺す。国人敢えて言うこと莫く、道路目を以てす。王喜び、邵公に告げて曰く、「吾能く謗りを弭(や)めたり、乃ち敢えて言わず」と。邵公曰く、「是れ之を障(ふせ)ぐなり。民の口を防ぐは、川を防ぐよりも甚だし。川壅(ふさ)がりて潰(つい)ゆれば、人を傷つくること必ず多し。民も亦之の如し。是の故に川を為(おさ)むる者は之を決して導かしめ、民を為むる者は之を宣(の)べて言わしむ。故に天子政を聴くに、公卿より列士に至るまで詩を献ぜしめ、瞽(こ)は曲を献じ、史は書を献じ、師は箴(しん)し、瞍(そう)は賦し、矇(もう)は誦し、百工は諫め、庶人は語を伝え、近臣は規(ただ)すことを尽くし、親戚は補察し、瞽・史は教誨し、耆(き)・艾(がい)は之を修め、而る後に王斟酌す。是を以て事行われて悖(もと)らず。民の口有るは、猶お土の山川有るがごときなり、財用是に於いてか出ず。猶お其の原隰(げんしつ)の衍沃(えんよく)有るがごときなり、衣食是に於いてか生ず。口の言を宣ぶるや、善敗是に於いてか興る。善を行いて敗に備うるは、其の財用・衣食を阜(おお)いにする所以の者なり。夫れ民之を心に慮りて之を口に宣べ、成して之を行う、胡(なん)ぞ壅ぐ可けんや。若し其の口を壅がば、其れ与(とも)に能く幾何(いくばく)ぞ」と。王聴かず。是に於いて国に敢えて言を出だすもの莫し。三年にして、乃ち王を彘(てい)に流す。
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史記 周本紀夫れ栄公は利を専らにするを好みて大難を知らず。夫れ利は、百物の生ずる所なり、天地の載する所なり。而るに之を専らにする有らば、其の害多からん。天地百物皆将に焉を取らんとす、何ぞ専らにす可けんや。怒る所甚だ多くして、大難に備へず。是を以て王に教ふ、王其れ能く久しからんや。夫れ人に王たる者は、将に利を導きて之を上下に布かんとする者なり。神人百物をして極を得ざる無からしむるも、猶ほ日に怵惕して怨みの来たるを懼る。故に頌に曰く『思文なる后稷、克く彼の天に配す。我が蒸民を立つるは、爾の極に匪ざるは莫し』と。大雅に曰く『陳錫して周を載す』と。是れ利を布きて難を懼るるにあらずや、故に能く周を載せて以て今に至る。今王専利を学ぶ、其れ可ならんや。匹夫利を専らにすら、猶ほ之を盗と謂ふ。王にして之を行はば、其の帰する鮮からん。栄公若し用ゐられなば、周必ず敗れん」と。厲王聴かず、卒に栄公を以て卿士と為し、事を用ゐしむ。王暴虐侈傲を行ひ、国人王を謗る。召公諫めて曰く、「民命に堪へず」と。王怒り、衛巫を得、謗る者を監せしめ、告ぐるを以て則ち之を殺す。其の謗り鮮し、諸侯朝せず。三十四年、王益厳しく、国人敢へて言ふ莫く、道路目を以てす。厲王喜び、召公に告げて曰く、「吾能く謗りを弭めたり、乃ち敢へて言はず」と。召公曰く、「是れ之を鄣ぐなり。民の口を防ぐは、水を防ぐよりも甚だし。水壅がりて潰ゆれば、人を傷つくること必ず多し。民も亦之の如し。是の故に水を為むる者は之を決して導かしめ、民を為むる者は之を宣べて言はしむ。故に天子政を聴くに、公卿より列士に至るまで詩を献ぜしめ、瞽は曲を献じ、史は書を献じ、師は箴し、瞍は賦し、矇は誦し、百工は諫め、庶人は語を伝へ、近臣は規を尽くし、親戚は補察し、瞽史は教誨し、耆艾は之を修め、而る後に王焉を斟酌す。是を以て事行はれて悖らず。民の口有るや、猶ほ土の山川有るがごときなり、財用是に於て出づ。猶ほ其の原隰衍沃有るがごときなり、衣食是に於て生ず。
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呂氏春秋・達鬱②周の厲王、民を虐げ、國人皆謗る。召公以て告げて曰く、「民、命に堪えず。」王、衛の巫をして謗る者を監せしめ、得れば則ち之を殺す。國敢て言うもの莫く、道路目を以てす。王喜びて、以て召公に告げて曰く、「吾能く謗りを弭めたり。」召公曰く、「是れ之を障ぐなり、之を弭むるに非ざるなり。民の口を防ぐは、川を防ぐよりも甚だし。川壅がりて潰ゆれば、人を敗ること必ず多し。夫れ民は猶ほ是のごときなり。是の故に川を治むる者は之を決して導かしめ、民を治むる者は之を宣べて言わしむ。是の故に天子は政を聽けば、公卿列士をして正諫し、好學博聞をして詩を獻じ、矇をして箴し師をして誦し、庶人をして傳語し、近臣をして規を盡くし、親戚をして察を補せしめ、而る後王、焉を斟酌す。是を以て下に遺善無く、上に過舉無し。今、王、下の口を塞ぎて、上の過ちを遂ぐ。恐らくは社稷の憂いと為らん。」王聽かざるなり。三年にして、國人、王を彘に流す。此れ鬱の敗なり。鬱とは陽ならざるなり。周の鼎、鼠を著わし、馬をして之を履ましむ。其の陽ならざるが為なり。陽ならざる者は、亡國の俗なり。
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国語・周語上彘(てい)の乱に、宣王邵公(しょうこう)の宮に在り。国人之を囲む。邵公曰く、「昔吾驟(しばしば)王を諫むれども、王従わず。是を以て此の難に及ぶ。今王子を殺さば、王其れ我を以て懟(うら)むと為して怒らんか。夫れ君に事うる者は、険にして懟まず、怨みて怒らず。況んや王に事うるをや」と。乃ち其の子を以て宣王に代う。宣王長じて之を立つ。