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十八史略 / 『十八史略』周・周公(魯)・周公の戒めと魯斉の治め方

魯姬姓周公子伯禽之所封也周公誨成王王有過則撻伯禽伯禽就封公戒之曰我文王之子武王之弟今王之叔父然我一沐三握髮一飯三吐哺起以待士猶恐失天下賢人子之魯慎無以國驕人太公封於齊五月而報政周公曰何疾也曰吾簡其君臣禮從其俗伯禽至魯三年而報政周公曰何遲也曰變其俗革其禮喪三年而後除之周公曰後世其北面事齊乎夫政不簡不易民不能近平易近民民必歸之

新字:魯姫姓周公子伯禽之所封也周公誨成王王有過則撻伯禽伯禽就封公戒之曰我文王之子武王之弟今王之叔父然我一沐三握髪一飯三吐哺起以待士猶恐失天下賢人子之魯慎無以国驕人太公封於斉五月而報政周公曰何疾也曰吾簡其君臣礼従其俗伯禽至魯三年而報政周公曰何遅也曰変其俗革其礼喪三年而後除之周公曰後世其北面事斉乎夫政不簡不易民不能近平易近民民必帰之

書き下し

魯は姫姓、周公の子伯禽の封ぜらるる所なり。周公、成王を誨え、王に過ち有れば則ち伯禽を撻つ。伯禽、封に就く。公之を戒めて曰く、「我は文王の子、武王の弟、今王の叔父なり。然れども我、一たび沐するに三たび髪を握り、一たび飯するに三たび哺を吐き、起ちて以て士を待つも、猶お天下の賢人を失わんことを恐る。子、魯に之かば、慎みて国を以て人に驕ること無かれ」と。太公、斉に封ぜられ、五月にして政を報ず。周公曰く、「何ぞ疾きや」と。曰く、「吾、其の君臣の礼を簡にし、其の俗に従えばなり」と。伯禽、魯に至り、三年にして政を報ず。周公曰く、「何ぞ遅きや」と。曰く、「其の俗を変え、其の礼を革め、喪三年にして後に之を除けばなり」と。周公曰く、「後世、其れ北面して斉に事えんか。夫れ政、簡ならざれば易ならず。民、近づくこと能わず。平易にして民に近づかば、民必ず之に帰せん」と。

現代語訳

魯は姫姓の国で、周公の子の伯禽が封じられた土地です。周公は成王を教え導き、王に過ちがあれば伯禽を鞭打ちました。伯禽が封地に赴くとき、周公は戒めて言いました。「私は文王の子、武王の弟、そして今の王の叔父だ。それでも私は、一度の洗髪の間に三度髪を握って出迎え、一度の食事の間に三度食べ物を吐き出して立ち、士を待った。それでも天下の賢人を失うのではと恐れている。お前は魯に行ったら、国の地位を理由に人に驕ってはならない」。太公が斉に封じられて五か月で政務を報告すると、周公は「なぜそんなに早いのか」と言い、太公は「君臣の礼を簡素にし、土地の習俗に従ったからです」と答えました。伯禽は魯に着いて三年で報告したので、周公は「なぜ遅いのか」と言い、伯禽は「その習俗を変え、礼を改め、喪を三年経てから除いたからです」と答えました。周公は言いました。「後の世に、魯は北面して斉に仕えることになるだろう。そもそも政治は簡素でなければ易しくなく、民は近づくことができない。平易で民に近い政治なら、民は必ず帰順する」。

解説

周公が子の伯禽を魯に送り出すときの戒めと、斉に封じられた太公望との対照です。周公は、自分は王の叔父という高い地位にありながら、洗髪や食事の途中でも訪ねてきた士を迎えたと語り、地位を理由に驕るなと伝えます。続いて、斉は五か月で政を報告し、魯は三年かかったという逸話が置かれます。ここで周公は、簡素で民が近づきやすい政治が人を集めると述べ、魯の将来を案じています。現代の組織でも、手続きや決まりを増やし過ぎると、現場は近づきにくくなります。権限を持つ人ほど、人を待たせない姿勢が信頼を生みます。
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この章句が説くこと

周公伯禽握髪吐哺太公望簡易礼

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