史記 / 周本紀
夫榮公好專利而不知大難。夫利,百物之所生也,天地之所載也,而有專之,其害多矣。天地百物皆將取焉,何可專也?所怒甚多,不備大難。以是教王,王其能久乎?夫王人者,將導利而布之上下者也。使神人百物無不得極,猶日怵惕懼怨之來也。故《頌》曰『思文后稷,克配彼天,立我蒸民,莫匪爾極』。大雅曰『陳錫載周』。是不布利而懼難乎,故能載周以至于今。今王學專利,其可乎?匹夫專利,猶謂之盜,王而行之,其歸鮮矣。榮公若用,周必敗也。」厲王不聽,卒以榮公為卿士,用事。王行暴虐侈傲,國人謗王。召公諫曰:「民不堪命矣。」王怒,得衛巫,使監謗者,以告則殺之。其謗鮮矣,諸侯不朝。三十四年,王益嚴,國人莫敢言,道路以目。厲王喜,告召公曰:「吾能弭謗矣,乃不敢言。」召公曰:「是鄣之也。防民之口,甚於防水。水壅而潰,傷人必多,民亦如之。是故為水者決之使導,為民者宣之使言。故天子聽政,使公卿至於列士獻詩,瞽獻曲,史獻書,師箴,瞍賦,矇誦,百工諫,庶人傳語,近臣盡規,親戚補察,瞽史教誨,耆艾修之,而後王斟酌焉,是以事行而不悖。民之有口也,猶土之有山川也,財用於是乎出:猶其有原隰衍沃也,衣食於是乎生。
新字:夫栄公好専利而不知大難。夫利,百物之所生也,天地之所載也,而有専之,其害多矣。天地百物皆将取焉,何可専也?所怒甚多,不備大難。以是教王,王其能久乎?夫王人者,将導利而布之上下者也。使神人百物無不得極,猶日怵惕懼怨之来也。故《頌》曰『思文后稷,克配彼天,立我蒸民,莫匪爾極』。大雅曰『陳錫載周』。是不布利而懼難乎,故能載周以至于今。今王学専利,其可乎?匹夫専利,猶謂之盗,王而行之,其帰鮮矣。栄公若用,周必敗也。」厲王不聴,卒以栄公為卿士,用事。王行暴虐侈傲,国人謗王。召公諫曰:「民不堪命矣。」王怒,得衛巫,使監謗者,以告則殺之。其謗鮮矣,諸侯不朝。三十四年,王益厳,国人莫敢言,道路以目。厲王喜,告召公曰:「吾能弭謗矣,乃不敢言。」召公曰:「是鄣之也。防民之口,甚於防水。水壅而潰,傷人必多,民亦如之。是故為水者決之使導,為民者宣之使言。故天子聴政,使公卿至於列士献詩,瞽献曲,史献書,師箴,瞍賦,矇誦,百工諫,庶人伝語,近臣尽規,親戚補察,瞽史教誨,耆艾修之,而後王斟酌焉,是以事行而不悖。民之有口也,猶土之有山川也,財用於是乎出:猶其有原隰衍沃也,衣食於是乎生。
書き下し
夫れ栄公は利を専らにするを好みて大難を知らず。夫れ利は、百物の生ずる所なり、天地の載する所なり。而るに之を専らにする有らば、其の害多からん。天地百物皆将に焉を取らんとす、何ぞ専らにす可けんや。怒る所甚だ多くして、大難に備へず。是を以て王に教ふ、王其れ能く久しからんや。夫れ人に王たる者は、将に利を導きて之を上下に布かんとする者なり。神人百物をして極を得ざる無からしむるも、猶ほ日に怵惕して怨みの来たるを懼る。故に頌に曰く『思文なる后稷、克く彼の天に配す。我が蒸民を立つるは、爾の極に匪ざるは莫し』と。大雅に曰く『陳錫して周を載す』と。是れ利を布きて難を懼るるにあらずや、故に能く周を載せて以て今に至る。今王専利を学ぶ、其れ可ならんや。匹夫利を専らにすら、猶ほ之を盗と謂ふ。王にして之を行はば、其の帰する鮮からん。栄公若し用ゐられなば、周必ず敗れん」と。厲王聴かず、卒に栄公を以て卿士と為し、事を用ゐしむ。王暴虐侈傲を行ひ、国人王を謗る。召公諫めて曰く、「民命に堪へず」と。王怒り、衛巫を得、謗る者を監せしめ、告ぐるを以て則ち之を殺す。其の謗り鮮し、諸侯朝せず。三十四年、王益厳しく、国人敢へて言ふ莫く、道路目を以てす。厲王喜び、召公に告げて曰く、「吾能く謗りを弭めたり、乃ち敢へて言はず」と。召公曰く、「是れ之を鄣ぐなり。民の口を防ぐは、水を防ぐよりも甚だし。水壅がりて潰ゆれば、人を傷つくること必ず多し。民も亦之の如し。是の故に水を為むる者は之を決して導かしめ、民を為むる者は之を宣べて言はしむ。故に天子政を聴くに、公卿より列士に至るまで詩を献ぜしめ、瞽は曲を献じ、史は書を献じ、師は箴し、瞍は賦し、矇は誦し、百工は諫め、庶人は語を伝へ、近臣は規を尽くし、親戚は補察し、瞽史は教誨し、耆艾は之を修め、而る後に王焉を斟酌す。是を以て事行はれて悖らず。民の口有るや、猶ほ土の山川有るがごときなり、財用是に於て出づ。猶ほ其の原隰衍沃有るがごときなり、衣食是に於て生ず。
現代語訳
そもそも栄公は利益を独り占めすることを好み、それが大きな災いを招くことを知らない。利益とは、万物が生み出すもの、天地が載せ育むものである。それを独り占めすれば、害が多くなる。天地のあらゆるものはみなそこから取ろうとしているのに、どうして独り占めできようか。怒らせる相手が非常に多いのに、大きな災いに備えていない。こんなことを王に教えているのでは、王が長く位を保てようか。そもそも人々の王たる者は、利益を導き出して上下にあまねく分け与える者である。神も人も万物も、みな最もふさわしいところを得られるようにしても、なお日々恐れ慎んで怨みが来ることを心配するものだ。だから頌に『文徳ある后稷は、よく天に並ぶ。我が民を立たせたのは、あなたの恵みによらないものはない』とあり、大雅に『恵みを広く施して周を興した』とある。これこそ利益を分け与えて災いを恐れたということではないか。だからこそ周を興して今に至ることができた。今、王は利益の独り占めを学んでいるが、それでよいはずがない。一介の庶民が利益を独り占めしても盗人と呼ばれる。王がそれを行えば、王に心を寄せる者はわずかになってしまう。栄公がもし用いられれば、周は必ず滅びる。」厲王は聞き入れず、ついに栄公を卿士(執政)として政務を任せた。王は暴虐で驕り高ぶったので、国の人々は王を謗った。召公は諫めて言った。「民は王の命令に堪えられなくなっている。」王は怒り、衛の国の巫女を得て、謗る者を監視させ、報告があればその者を殺した。そうすると謗る者は少なくなったが、諸侯は朝見しなくなった。三十四年、王はますます厳しくなり、国の人々は誰もものを言わず、道で会っても目で合図するだけになった。厲王は喜んで召公に告げた。「私は謗りをやめさせることができた。もう誰も口にしない。」召公は言った。「それは口をふさいだだけのことだ。民の口を防ぐのは、川の水を防ぐよりも危うい。水がせき止められて堤が崩れれば、必ず多くの人が傷つく。民もまた同じである。だから水を治める者は流れを切り開いて導き、民を治める者は言いたいことを言わせる。だから天子が政治を行うには、公卿から列士に至るまで詩を献上させ、盲目の楽師は歌を献じ、史官は書を献じ、楽官の長は戒めの言葉を述べ、盲人は詩を朗誦し、目の見えぬ者は諷詠し、職人たちは諫め、庶民は言葉を伝え、近臣は正しい道を尽くして述べ、親族は王の欠点を補って察し、楽師や史官は教え諭し、老臣はそれらをまとめ整え、その後で王がそれを取捨して決める。だから政治が行われても道理にもとることがない。民に口があるのは、大地に山や川があるようなもので、財貨はそこから生まれる。大地に高原や湿地や平野や肥えた土地があるようなもので、衣食はそこから生まれる。
解説
関連する章句
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史記 周本紀口の言を宣ぶるや、善敗是に於て興る。善を行ひて敗に備ふるは、財用衣食を産する所以の者なり。夫れ民之を心に慮りて之を口に宣べ、成して之を行ふ。若し其の口を壅がば、其の与すること能く幾何ぞ」と。王聴かず。是に於て国敢へて言を出す莫く、三年にして、乃ち相与に畔き、厲王を襲ふ。厲王出でて彘に奔る。厲王の太子静召公の家に匿る。国人之を聞き、乃ち之を囲む。召公曰く、「昔吾驟王を諫むれども、王従はず、以て此の難に及ぶ。今王の太子を殺さば、王其れ我を以て讎と為して懟怒せんか。夫れ君に事ふる者は、険にして讎懟せず、怨みて怒らず。況んや王に事ふるをや」と。乃ち其の子を以て王の太子に代ふ。太子竟に脱るるを得たり。召公・周公の二相政を行ひ、号して共和と曰ふ。共和十四年、厲王彘に死す。太子静召公の家に長じ、二相乃ち共に之を立てて王と為す。是を宣王と為す。宣王即位し、二相之を輔け、政を修め、文・武・成・康の遺風に法り、諸侯復た周を宗とす。十二年、魯の武公来朝す。宣王籍を千畝に修めず。虢の文公諫めて不可と曰ふも、王聴かず。三十九年、千畝に戦ひ、王の師姜氏の戎に敗績す。宣王既に南国の師を亡ひ、乃ち民を太原に料る。仲山甫諫めて曰く、「民は料る可からず」と。宣王聴かず、卒に民を料る。四十六年、宣王崩じ、子幽王宮𣵀立つ。幽王の二年、西周の三川皆震ふ。伯陽甫曰く、「周将に亡びんとす。夫れ天地の気は、其の序を失はず。若し其の序を過たば、民之を乱すなり。陽伏して出づる能はず、陰迫りて蒸す能はず、是に於て地震有り。今三川実に震ふ、是れ陽其の所を失ひて陰を填むるなり。陽失ひて陰に在れば、原必ず塞がる。原塞がれば、国必ず亡ぶ。夫れ水土演べて民用ふるなり。
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呂氏春秋・達鬱②周の厲王、民を虐げ、國人皆謗る。召公以て告げて曰く、「民、命に堪えず。」王、衛の巫をして謗る者を監せしめ、得れば則ち之を殺す。國敢て言うもの莫く、道路目を以てす。王喜びて、以て召公に告げて曰く、「吾能く謗りを弭めたり。」召公曰く、「是れ之を障ぐなり、之を弭むるに非ざるなり。民の口を防ぐは、川を防ぐよりも甚だし。川壅がりて潰ゆれば、人を敗ること必ず多し。夫れ民は猶ほ是のごときなり。是の故に川を治むる者は之を決して導かしめ、民を治むる者は之を宣べて言わしむ。是の故に天子は政を聽けば、公卿列士をして正諫し、好學博聞をして詩を獻じ、矇をして箴し師をして誦し、庶人をして傳語し、近臣をして規を盡くし、親戚をして察を補せしめ、而る後王、焉を斟酌す。是を以て下に遺善無く、上に過舉無し。今、王、下の口を塞ぎて、上の過ちを遂ぐ。恐らくは社稷の憂いと為らん。」王聽かざるなり。三年にして、國人、王を彘に流す。此れ鬱の敗なり。鬱とは陽ならざるなり。周の鼎、鼠を著わし、馬をして之を履ましむ。其の陽ならざるが為なり。陽ならざる者は、亡國の俗なり。
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『長短経』大体昔者、周の厲王、利を好み栄公に近づく。芮良夫諫めて曰く「王室其れ将に卑からんとするか。栄公は専利を好みて大難を知らず。夫れ利は百物の生ずる所なり、天地の載する所なり。而るに或いは之を専らにせば、其の害多し。天地百物は皆将に焉より取らんとす、何ぞ専らにす可けんや。怨む所甚だ多くして大難に備えず、是を以て王に教うるは、其れ能く久しからんや」と。後に厲王果たして敗る。魏の文侯、御廩に災あり、素服して正殿を避け、群臣皆哭す。公子成父趨り入りて賀して曰く「臣聞く、天子は四海に蔵し、諸侯は境内に蔵す。其の蔵する所に非ざれば、火災有らずんば必ず人患有り。幸いに人患無し、亦た善からずや」と。孔子曰く「百姓足らば、君孰と与にか足らざらん」と。周諺に言える有り「嚢漏るるも儲は中にあり」と。是に由りて之を言えば、夫れ聖王は其の地を以て封じ、其の財を以て賞し、人と利を争わず。乃ち能く主道に通ず。是れ其の有に非ざるを用うる者なり。〕
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史記 周本紀敢へて業を怠らず、時に其の徳を序し、其の緒を遵ひ修め、其の訓典を修め、朝夕恪勤し、守るに敦篤を以てし、奉ずるに忠信を以てす。奕世徳を載ひ、前人を忝めず。文王・武王に至り、前の光明を昭らかにして之に加ふるに慈和を以てし、神に事へ民を保ち、欣喜せざる無し。商王帝辛大いに民に悪まれ、庶民忍びず、武王を訢載して、以て戎を商の牧に致す。是の故に先王は武を務むるに非ず、民の隠を勤恤して其の害を除くなり。夫れ先王の制、邦内は甸服、邦外は侯服、侯衛は賓服、夷蛮は要服、戎翟は荒服。甸服の者は祭り、侯服の者は祀り、賓服の者は享し、要服の者は貢し、荒服の者は王とす。日に祭り、月に祀り、時に享し、歳に貢し、終に王とす。先王の順祀や、祭らざる有れば則ち意を修め、祀らざる有れば則ち言を修め、享せざる有れば則ち文を修め、貢せざる有れば則ち名を修め、王とせざる有れば則ち徳を修め、序成りて至らざる有れば則ち刑を修む。是に於て祭らざるを刑し、祀らざるを伐ち、享せざるを征し、貢せざるを譲め、王とせざるに告ぐる有り。是に於て刑罰の辟有り、攻伐の兵有り、征討の備有り、威譲の命有り、文告の辞有り。令を布き辞を陳べて至らざる有れば、則ち増して徳を修め、民を遠きに勤むること無し。是を以て近きは聴かざる無く、遠きは服せざる無し。今大畢・伯士の終はりしより、犬戎氏其の職を以て来王す。天子曰く、『予必ず享せざるを以て之を征し、且つ之に兵を観さん』と。乃ち先王の訓を廃して、王幾ど頓れんか。吾聞く、犬戎は敦を樹て、旧徳に率ひて終はりを守ること純固なりと。其れ以て我を御ぐ有らん」と。王遂に之を征し、四白狼・四白鹿を得て以て帰る。是れより荒服の者至らず。諸侯睦まざる者有り。甫侯王に言ひ、修刑辟を作る。王曰く、「吁、来たれ。国有り土有るもの、汝に祥刑を告げん。
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『塩鉄論』取下篇賢良曰く、古者、上取るに量有り、自ら養うに度有り、樂歲には盜まず、年饑うれば則ち肆す。民の力を用うること、歲に三日を過ぎず、籍斂は、十一を過ぎず。君篤く愛し、臣力を盡くし、上下交々讓りて、天下平らかなり。『浚く爾の私を發せ』とは、上の下に讓るなり。『遂に我が私に及ぶ』とは、公職を先にするなり。孟子曰く、『未だ仁にして其の親を遺つる者、義にして其の君を後にする者有らざるなり』と。君君たり臣臣たり、何為れぞ其れ禮義無からんや。周の末塗に及びて、德惠塞がりて嗜欲眾く、君は奢侈にして上求むること多く、民は下に困しみ、上公に怠る、是を以て履畝の稅有りて、碩鼠の詩作れるなり。衛の靈公、隆冬に當たりて眾を興して池を穿つ。海春諫めて曰く、『天寒く、百姓凍餒す、願わくは公の役を罷めんことを』と。公曰く、『天寒きかな。我何ぞ寒からざるや』と。人の言に曰く、『安き者は危きを恤む能わず、飽く者は饑うるを食わしむる能わず』と。故に粱肉に余りある者は隱約を言い難く、佚樂に處る者は勤苦を言い難し。夫れ高堂邃宇、廣廈洞房なる者は、專屋狹廬、上漏り下濕る者の窘しみを知らず。馬を系ぐこと百駟、貨財內に充ち、陳きを儲え新しきを納るる者は、旦有りて暮無く、稱貸する者の急を知らず。廣第唐園、良田連比なる者は、運踵の業無く、宅に竄頭する者の役を知らず。原馬山を被い、牛羊谷に滿つる者は、孤豚瘠犢すら無き者の窶しきを知らず。枕を高くして談臥し、叫號無き者は、私責と吏正とに憂え戚しむ者の愁いを知らず。紈を被り韋を躡み、粱を搏り肥を嚙む者は、短褐の寒き、糠の苦きを知らず。房闈の間に從容として、垂拱して案食を持する者は、耒を跖みて躬ら耕す者の勤めを知らず。堅きに乘り良きを驅り、騎を列ねて行を成す者は、檐を負いて步行する者の勞を知らず。匡床旃席、侍御側に滿つる者は、輅を負い船を挽き、高きに登り流れを絕つ者の難きを知らず。輕暖を衣、美裘を被り、溫室に處り、安車に載る者は、邊城に乘り、胡・代に飄い、清風に鄉かう者の危寒を知らず。妻子好合し、子孫之を保つ者は、老母の憔悴、匹婦の悲恨を知らず。耳に五音を聽き、目に弄優を視る者は、流矢を蒙り、敵を方外に距ぐ者の死を知らず。東に向かいて几に伏し、筆を振るいて文を調うるが如き者は、木索の急、棰楚せらるる者の痛みを知らず。旃茵の上に坐し、圖籍の言を易きが若く然りと安んずる者も、亦た步涉する者の難きを知らざるなり。昔、商鞅の秦に任ぜらるるや、人を刑すること菅茅を刈るが若く、師を用うること彈丸の若し。軍に從う者は骨を長城に暴し、戍漕する者は輦車相い望む。生きて往き、死して旋る、彼れ獨り人の子に非ざらんや。故に君子は仁もて以て恕し、義もて以て度り、好惡する所は天下と之を共にし、不仁なる者には施さざる所なり。公劉は貨を好みて、居る者に積有り、行く者に囊有り。太王は色を好みて、內に怨女無く、外に曠夫無し。文王は刑を作りて、國に怨獄無し。武王は師を行りて、士は樂しみて之が為に死し、民は樂しみて之が為に用いらる。斯くの若くんば、則ち民何ぞ苦しみて怨み、何をか求めて譏らんや。
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