神皇正統記 / 巻五 第八十二代 後鳥羽院
其後将門がみだれに右衛門督忠文朝臣征東将軍を兼て節刀を給しよりこのかた久くたえて任ぜられず。義仲ぞ初てなりにける。あまりなることおほくて、上皇御いきどほりのゆゑにや、近臣の中に軍をおこし対治せんとせしに事不成して中々あさましき事なんいできにし。東国の頼朝、弟範頼・義経等をさしのぼせしかば、義仲はやがて滅ぬ。さてそれより西国へむかひて、平氏をばたひらげしなり。天命きはまりぬれば、巨猾もほろびやすし。人民のやすからぬことは時の災難なれば、神も力およばせ給はぬにや。
書き下し
其後将門がみだれに右衛門督忠文朝臣征東将軍を兼て節刀を給しよりこのかた久くたえて任ぜられず。義仲ぞ初てなりにける。あまりなることおほくて、上皇御いきどほりのゆゑにや、近臣の中に軍をおこし対治せんとせしに事不成して中々あさましき事なんいできにし。東国の頼朝、弟範頼・義経等をさしのぼせしかば、義仲はやがて滅ぬ。さてそれより西国へむかひて、平氏をばたひらげしなり。天命きはまりぬれば、巨猾もほろびやすし。人民のやすからぬことは時の災難なれば、神も力およばせ給はぬにや。
現代語訳
その後、平将門の乱の時に右衛門督忠文朝臣が征東将軍を兼ねて節刀を賜ってからこのかた、長く途絶えて任じられなかった。義仲が初めて任じられたのである。あまりにひどいふるまいが多くて、上皇(後白河法皇)のお怒りのゆえであろうか、近臣の中で軍を起こして討とうとしたが、事は成らず、かえって嘆かわしい事が起こった。東国の頼朝が弟の範頼・義経らを差し上らせたので、義仲はたちまち滅んだ。そしてそれから西国へ向かって、平氏を平らげたのである。天命が尽きてしまえば、大悪人も滅びやすい。人民が安らかでないことは時の災難であるから、神も力がお及びにならないのであろうか。
解説
関連する章句
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