神皇正統記 / 巻五 守護と地頭
かくて平氏滅亡してしかば、天下もとのごとく君の御まゝなるべきかとおぼえしに、頼朝勲功まことにためしなかりければ、みづからも権をほしきまゝにす。君も又うちまかせられにければ、王家の権はいよ〳〵おとろへにき。諸国に守護をゝきて、国司の威をおさへしかば、吏務と云こと名ばかりに成ぬ。
書き下し
かくて平氏滅亡してしかば、天下もとのごとく君の御まゝなるべきかとおぼえしに、頼朝勲功まことにためしなかりければ、みづからも権をほしきまゝにす。君も又うちまかせられにければ、王家の権はいよいよおとろへにき。諸国に守護をゝきて、国司の威をおさへしかば、吏務と云こと名ばかりに成ぬ。
現代語訳
こうして平氏が滅亡したので、天下はもとのように君のお心のままになるかと思われたのに、頼朝の勲功はまことに前例がないほどだったので、自分でも権力をほしいままにした。君もまた任せきりにされたので、王家の権威はいよいよ衰えた。諸国に守護を置いて国司の威を抑えたので、国司の職務は名ばかりになった。
解説
鎌倉幕府の成立を、朝廷の側から冷静に記述した一段である。感情的な非難はほとんどない。事実の順序だけが並ぶ。第一に、頼朝の功績が前例のない大きさだったこと。第二に、そのため本人が権力を握ったこと。第三に「君も又うちまかせられにければ」——朝廷の側が任せきりにしたこと。第四に、守護が置かれて国司が空洞化したこと。三番目の一句が効いている。奪われたというより、渡してしまった、という書き方である。功が大きすぎる者が現れたとき、任せるほかなくなり、任せた結果として仕組みが空洞化する。「吏務と云こと名ばかりに成ぬ」——役職は残るのに中身がなくなる。組織で実権が移る過程は、たいてい制度の廃止ではなく空洞化として進む。
この章句が説くこと
守護と地頭頼朝空洞化実権の移動
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