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神皇正統記 / 巻四 第六十六代 一条院

昔もいかなるゆゑにか、昭宣公の三男にて貞信公、々々々の二男にて師輔の大臣のながれ、師輔の三男にて東三条のおとゞ、東三条の三男にてこのおとゞ、みな父の立たる嫡子ならで、自然に家をつがれたり。祖神のはからはせ給へる道にこそ侍りけめ。此御代にはさるべき上達部・諸道の家々・顕密の僧までもすぐれたる人おほかりき。されば御門も「われ人を得たることは延喜・天暦にまされり。」とぞ自歎ぜさせ給ける。天下を治給こと二十五年。御病の程に譲位ありて出家せさせ給。三十三歳おまし〳〵き。

新字:昔もいかなるゆゑにか、昭宣公の三男にて貞信公、々々々の二男にて師輔の大臣のながれ、師輔の三男にて東三条のおとゞ、東三条の三男にてこのおとゞ、みな父の立たる嫡子ならで、自然に家をつがれたり。祖神のはからはせ給へる道にこそ侍りけめ。此御代にはさるべき上達部・諸道の家々・顕密の僧までもすぐれたる人おほかりき。されば御門も「われ人を得たることは延喜・天暦にまされり。」とぞ自嘆ぜさせ給ける。天下を治給こと二十五年。御病の程に譲位ありて出家せさせ給。三十三歳おまし〳〵き。

書き下し

昔もいかなるゆゑにか、昭宣公の三男にて貞信公、々々々の二男にて師輔の大臣のながれ、師輔の三男にて東三条のおとゞ、東三条の三男にてこのおとゞ、みな父の立たる嫡子ならで、自然に家をつがれたり。祖神のはからはせ給へる道にこそ侍りけめ。此御代にはさるべき上達部・諸道の家々・顕密の僧までもすぐれたる人おほかりき。されば御門も「われ人を得たることは延喜・天暦にまされり。」とぞ自歎ぜさせ給ける。天下を治給こと二十五年。御病の程に譲位ありて出家せさせ給。三十三歳おましましき。

現代語訳

昔もどういう理由であろうか、昭宣公の三男の貞信公(忠平)、貞信公の二男の師輔大臣の流れ、師輔の三男の東三条の大臣(兼家)、東三条の三男のこの大臣(道長)と、みな父が立てた嫡子でないのに、自然に家を継がれた。祖神(天児屋命)がお計らいになった道なのであろう。この御代には、しかるべき上達部(公卿)、諸道の家々、顕教・密教の僧までもすぐれた人が多かった。だから帝も「われが人を得たことは延喜・天暦にまさっている」と自ら感嘆なさったという。天下を治められたこと二十五年。ご病気の間に譲位されて出家なさった。三十三歳まで存命であった。

解説

摂関家の継承について、親房が一つの規則性を見出す段である。忠平は基経の三男、師輔は忠平の二男、兼家は師輔の三男、道長は兼家の三男。四代続けて、父が跡継ぎに立てた嫡子ではない者が「自然に家をつがれたり」。親房はこれを祖神の計らいと見る。皇位について傍系からの即位を天命と呼んだのと同じ見方が、臣の家にも当てはめられている。長男であることが家を継ぐ資格なのではなく、ふさわしい者に自然と家が回っていく。後半では、一条天皇の世にすぐれた公卿や学者、僧が多く、天皇自ら延喜・天暦にまさって人を得たと喜んだと記す。この時代に宮廷の文化が大きく花開いたことは、一般によく知られている。後継は生まれの順ではなく器で決まり、国の盛りは人材の厚みで決まる。この書が繰り返し語る二つのことが、一つの段に並んでいる。

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