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神皇正統記 / 巻四 第六十六代 一条院

第六十六代、第三十六世、一条院。諱は懐仁、円融第一の子。御母皇后藤原詮子、摂政太政大臣兼家の女なり。花山の御門神器をすてゝ宮を出給しかば、太子の外祖にて兼家の右大臣おはせしが、内にまゐり、諸門をかためて譲位の儀をおこなはれき。新主もをさなくまし〳〵しかば、摂政の儀ふるきがごとし。丙戌年即位、丁亥に改元。そのゝち摂政病により嫡子内大臣道隆に譲て出家、猶准三宮の宣を蒙。此道隆始て大臣を辞て前官にて関白せられき。病ありて其子内大臣伊周しばらく相かはりて内覧せられしが、相続して関白たるべきよしを存ぜられけるに、道隆かくれて、やがて弟右大臣道兼なられぬ。七日と云しにあへなくうせられにき。其弟にて道長、大納言にておはせしが内覧の宣をかうぶりて左大臣までいたられしかど、延喜・天暦の昔をおぼしめしけるにや、関白はやめられにき。三条の御時にや、関白して、後一条の御世の初、外祖にて摂政せらる。兄弟おほくおはせしに、此大臣のながれ一に摂政関白はし給ぞかし。

書き下し

第六十六代、第三十六世、一条院。諱は懐仁、円融第一の子。御母皇后藤原詮子、摂政太政大臣兼家の女なり。花山の御門神器をすてゝ宮を出給しかば、太子の外祖にて兼家の右大臣おはせしが、内にまゐり、諸門をかためて譲位の儀をおこなはれき。新主もをさなくましまししかば、摂政の儀ふるきがごとし。丙戌年即位、丁亥に改元。そのゝち摂政病により嫡子内大臣道隆に譲て出家、猶准三宮の宣を蒙。此道隆始て大臣を辞て前官にて関白せられき。病ありて其子内大臣伊周しばらく相かはりて内覧せられしが、相続して関白たるべきよしを存ぜられけるに、道隆かくれて、やがて弟右大臣道兼なられぬ。七日と云しにあへなくうせられにき。其弟にて道長、大納言にておはせしが内覧の宣をかうぶりて左大臣までいたられしかど、延喜・天暦の昔をおぼしめしけるにや、関白はやめられにき。三条の御時にや、関白して、後一条の御世の初、外祖にて摂政せらる。兄弟おほくおはせしに、此大臣のながれ一に摂政関白はし給ぞかし。

現代語訳

第六十六代、第三十六世、一条院。諱は懐仁、円融院の第一皇子である。母は皇后藤原詮子で、摂政太政大臣藤原兼家の娘である。花山院が神器を捨てて宮を出られたので、皇太子の外祖父として兼家右大臣がおられたが、内裏に参り、諸門を固めて譲位の儀を行われた。新帝も幼くあられたので、摂政の儀は昔のとおりである。丙戌の年(九八六年)に即位し、丁亥の年に改元した。その後、摂政は病により嫡子の内大臣道隆に譲って出家し、なお准三宮の宣旨を受けた。この道隆が初めて大臣を辞して前官のまま関白をされた。病があって、その子の内大臣伊周がしばらく代わって内覧されたが、相続して関白となるべきものと思っておられたところ、道隆が亡くなって、すぐに弟の右大臣道兼が関白になられた。七日というときにあっけなく亡くなられた。その弟の道長は大納言でおられたが、内覧の宣旨を受けて左大臣まで至られたけれども、延喜・天暦の昔を思われたのであろうか、関白は置かれなかった。三条院の御時であろうか、関白して、後一条院の御代の初めに、外祖父として摂政された。兄弟が多くおられた中で、この大臣の流れが一筋に摂政関白をされるのである。

解説

一条天皇の即位と、藤原氏の中での摂関の継承を述べる段である。花山天皇が「神器をすてゝ宮を出給」うと、外祖父の兼家はすぐに内裏の門を固め、譲位の儀を行った。天皇が姿を消しても、神器と儀式を押さえれば位は途切れない。親房がここで神器に触れているのは偶然ではない。後半は兼家の子たちの争いである。道隆の子伊周は父の後を継ぐつもりでいたが、叔父の道兼が関白となり、その道兼はわずか七日で亡くなった。結局、末に近い弟の道長が内覧として実権を握り、その流れだけが摂関を継ぐことになる。親房は誰が正しかったとは言わず、経過だけを並べる。本人が当然と思っていた相続が外れ、思いがけない者に回っていく。一族の中の後継争いは、予想や思惑どおりには決して進まないことを、この段は淡々と示している。

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