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神皇正統記 / 巻四 第六十代 醍醐天皇

善相公清行朝臣はこの事いまだきざゝざりしに、かねてさとりて菅氏に災をのがれ給べきよしを申けれど、さたなくて此事出来にき。さきにも申はべりし、我国には幼主の立給こと昔はなかりしこと也。貞観・元慶の二代始て幼にて立玉ひしかば、忠仁公・昭宣公摂政にて天下を治らる。此君ぞ十四にてうけつぎ給て、摂政もなく御みづから政をしらせまし〳〵ける。猶御幼年のゆゑにや、左相の讒にもまよはせ給けん。聖も賢も一失はあるべきにこそ。其趣経書にみえたり。されば曾子は、「吾日三省吾躬。」と云、季文子は「三思。」とも云ふ。聖徳のほまれましまさんにつけてもいよ〳〵つゝしみましますべきこと也。昔応神天皇も讒をきかせ玉ひて、武内の大臣を誅せられんとしき。彼はよくのがれてあきらめられたり。このたびのこと凡慮およびがたし。ほどなく神とあらはれて、今にいたるまで霊験無双なり。末世の益をほどこさんためにや。讒を入し大臣はのちなくなりぬ。同心ありけるたぐひもみな神罰をかうぶりにき。

新字:善相公清行朝臣はこの事いまだきざゝざりしに、かねてさとりて菅氏に災をのがれ給べきよしを申けれど、さたなくて此事出来にき。さきにも申はべりし、我国には幼主の立給こと昔はなかりしこと也。貞観・元慶の二代始て幼にて立玉ひしかば、忠仁公・昭宣公摂政にて天下を治らる。此君ぞ十四にてうけつぎ給て、摂政もなく御みづから政をしらせまし〳〵ける。猶御幼年のゆゑにや、左相の讒にもまよはせ給けん。聖も賢も一失はあるべきにこそ。其趣経書にみえたり。されば曽子は、「吾日三省吾躬。」と云、季文子は「三思。」とも云ふ。聖徳のほまれましまさんにつけてもいよ〳〵つゝしみましますべきこと也。昔応神天皇も讒をきかせ玉ひて、武内の大臣を誅せられんとしき。彼はよくのがれてあきらめられたり。このたびのこと凡慮およびがたし。ほどなく神とあらはれて、今にいたるまで霊験無双なり。末世の益をほどこさんためにや。讒を入し大臣はのちなくなりぬ。同心ありけるたぐひもみな神罰をかうぶりにき。

書き下し

善相公清行朝臣はこの事いまだきざゝざりしに、かねてさとりて菅氏に災をのがれ給べきよしを申けれど、さたなくて此事出来にき。さきにも申はべりし、我国には幼主の立給こと昔はなかりしこと也。貞観・元慶の二代始て幼にて立玉ひしかば、忠仁公・昭宣公摂政にて天下を治らる。此君ぞ十四にてうけつぎ給て、摂政もなく御みづから政をしらせましましける。猶御幼年のゆゑにや、左相の讒にもまよはせ給けん。聖も賢も一失はあるべきにこそ。其趣経書にみえたり。されば曾子は、「吾日三省吾躬。」と云、季文子は「三思。」とも云ふ。聖徳のほまれましまさんにつけてもいよいよつゝしみましますべきこと也。昔応神天皇も讒をきかせ玉ひて、武内の大臣を誅せられんとしき。彼はよくのがれてあきらめられたり。このたびのこと凡慮およびがたし。ほどなく神とあらはれて、今にいたるまで霊験無双なり。末世の益をほどこさんためにや。讒を入し大臣はのちなくなりぬ。同心ありけるたぐひもみな神罰をかうぶりにき。

現代語訳

善相公(三善)清行朝臣は、このことがまだ兆しもしないうちに、前もって悟って、菅原氏に災いを逃れられるようにと申し上げたが、何の処置もなくてこのことが起こった。先にも申したが、わが国には幼い君主が立たれることは昔はなかった。貞観(清和)・元慶(陽成)の二代に初めて幼くして立たれたので、忠仁公(良房)・昭宣公(基経)が摂政として天下を治められた。この君は十四歳で継がれて、摂政もなく御自ら政をお執りになった。やはり御幼年のためであろうか、左大臣の讒言にも惑わされたのであろう。聖人も賢人も一つの過ちはあるものである。その趣旨は経書に見えている。だから曾子は「吾日に三たび吾が身を省みる」と言い、季文子は「三たび思う」とも言った。聖徳の誉れがおありになるにつけても、いよいよ慎まれるべきことである。昔、応神天皇も讒言を聞かれて、武内宿禰を誅しようとされた。彼はよく逃れて、身の潔白を明らかにされた。この度のことは凡人の思慮の及ぶところではない。道真はほどなく神として現れて、今に至るまで霊験は並ぶものがない。末の世に利益を施すためであろうか。讒言をした大臣は後継ぎが絶えた。心を同じくした者たちもみな神罰を受けた。

解説

道真の左遷を受けて、君主の慎みを説く段である。親房は、醍醐天皇が十四歳で摂政なしに政を執ったため、幼さゆえに讒言に惑わされたのだろうと見る。そして「聖も賢も一失はあるべきにこそ」、聖人にも賢人にも一つの過ちはあると言い、『論語』から、日に三たび我が身を省みるという曾子の言葉と、三たび思ってから行ったという季文子の話を引く。聖徳の誉れがあるほど、いよいよ慎め、というのである。この書が、幼くして即位した後村上天皇に宛てて書かれたことを思えば、この段は遠い昔の話ではなく、目の前の若い君への直接の戒めとして読める。讒言は、賢い君主をも迷わせる。だから人の告げ口を聞いたときこそ立ち止まれ。前もって危うさを察して道真に忠告した三善清行の名を書き留めているのも、耳の痛い進言をする者の価値を示すためだろう。

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