神皇正統記 / 巻四 第六十代 醍醐天皇
此君久く世をたもたせ給て、徳政をこのみ行はせ玉ふこと上代にこえたり。天下泰平民間安穏にて、本朝仁徳のふるき跡にもなぞらへ、異域堯舜のかしこき道にもたぐへ申き。延喜七年丁卯年、もろこしの唐滅て梁と云国にうつりにけり。うちつゞき後唐・晉・漢・周となん云五代ありき。此天皇天下を治給こと三十三年。四十四歳おまし〳〵き。
新字:此君久く世をたもたせ給て、徳政をこのみ行はせ玉ふこと上代にこえたり。天下泰平民間安穏にて、本朝仁徳のふるき跡にもなぞらへ、異域堯舜のかしこき道にもたぐへ申き。延喜七年丁卯年、もろこしの唐滅て梁と云国にうつりにけり。うちつゞき後唐・晋・漢・周となん云五代ありき。此天皇天下を治給こと三十三年。四十四歳おまし〳〵き。
書き下し
此君久く世をたもたせ給て、徳政をこのみ行はせ玉ふこと上代にこえたり。天下泰平民間安穏にて、本朝仁徳のふるき跡にもなぞらへ、異域堯舜のかしこき道にもたぐへ申き。延喜七年丁卯年、もろこしの唐滅て梁と云国にうつりにけり。うちつゞき後唐・晋・漢・周となん云五代ありき。此天皇天下を治給こと三十三年。四十四歳おましましき。
現代語訳
この君は長く世を保たれて、徳のある政治を好んで行われたことは上代を超えていた。天下泰平、民間安穏で、わが国の仁徳天皇の古い跡にもなぞらえ、異国の堯・舜の賢い道にも比べ申し上げた。延喜七年丁卯(九〇七年)、中国の唐が滅んで梁という国に移った。続いて後唐・晋・漢・周という五代があった。この天皇は天下を治められたこと三十三年。四十四歳まで存命であった。
解説
関連する章句
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『神皇正統記』巻四 第六十代 醍醐天皇第六十代、第三十三世、醍醐天皇。諱は敦仁、宇多第一の子。御母贈皇太后藤原の胤子、内大臣高藤の女也。丁巳年即位、戊午に改元。大納言左大将藤原時平、大納言右大将菅氏、両人上皇の勅をうけて輔佐し申されき。後に左右の大臣に任てともに万機を内覧せられけりとぞ。御門御年十四にて位につき給。をさなくましまししかど、聡明叡哲にきこえ給き。両大臣天下の政をせられしが、右相は年もたけ才もかしこくて、天下のゝぞむ所なり。左相は譜第の器也ければ、すてられがたし。或時上皇の御在所朱雀院に行幸、猶右相にまかせらるべしと云さだめありて、すでに召仰玉ひけるを、右相かたくのがれ申されてやみぬ。其事世にもれにけるにや、左相いきどほりをふくみ、さまざまの讒をまうけて、つひにかたぶけ奉りしことこそあさましけれ。此君の御一失と申伝はべり。但菅氏権化の御事なれば、末世のためにやありけん、はかりがたし。
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『神皇正統記』巻四 第六十代 醍醐天皇善相公清行朝臣はこの事いまだきざゝざりしに、かねてさとりて菅氏に災をのがれ給べきよしを申けれど、さたなくて此事出来にき。さきにも申はべりし、我国には幼主の立給こと昔はなかりしこと也。貞観・元慶の二代始て幼にて立玉ひしかば、忠仁公・昭宣公摂政にて天下を治らる。此君ぞ十四にてうけつぎ給て、摂政もなく御みづから政をしらせましましける。猶御幼年のゆゑにや、左相の讒にもまよはせ給けん。聖も賢も一失はあるべきにこそ。其趣経書にみえたり。されば曾子は、「吾日三省吾躬。」と云、季文子は「三思。」とも云ふ。聖徳のほまれましまさんにつけてもいよいよつゝしみましますべきこと也。昔応神天皇も讒をきかせ玉ひて、武内の大臣を誅せられんとしき。彼はよくのがれてあきらめられたり。このたびのこと凡慮およびがたし。ほどなく神とあらはれて、今にいたるまで霊験無双なり。末世の益をほどこさんためにや。讒を入し大臣はのちなくなりぬ。同心ありけるたぐひもみな神罰をかうぶりにき。
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇かねて時をもさとらしめ給けるにや、まへの夜より親王をば左大臣の亭へうつし奉られて、三種の神器を伝へ申さる。後の号をば、仰のまゝにて後醍醐天皇と申。天下を治給こと二十一年。五十二歳おましましき。昔仲哀天皇熊襲をせめさせ給し行宮にて神さりましましき。されど神功皇后程なく三韓をたひらげ、諸皇子の乱をしづめられて、胎中天皇の御代にさだまりき。この君聖運ましまししかば、百七十余年中たえにし一統の天下をしらせ給て、御目の前にて日嗣をさだめさせ給ぬ。功もなく徳もなきぬす人世におごりて、四とせ余がほど宸襟をなやまし、御世をすぐさせ給ぬれば、御怨念の末むなしく侍りなんや。今の御門また天照太神よりこのかたの正統をうけましましぬれば、この御光にあらそひたてまつる者やはあるべき。中々かくてしづまるべき時の運とぞおぼえ侍る。
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『神皇正統記』巻四 第五十九代 宇多天皇小野と云所にすまれけるより小野流と云ふ。しかれば法皇は両流の法主にまします也。王位をさりて釈門に入ことは其例おほし。かく法流の正統となり、しかも御子孫継体し給へる、有がたきためしにや。今の世までもかしこかりしことには延喜・天暦と申ならはしたれど、此御世こそ上代によれれば無為の御政なりけんとおしはかられ侍る。菅氏の才名によりて、大納言大将まで登用し給しも此御時也。又譲国の時さまざまをしへ申されし、寛平の御誡とて君臣あふぎてみたてまつることもあり。昔もろこしにも「天下の明徳は虞舜より始る。」とみえたり。唐堯のもちゐ給しによりて、舜の徳もあらはれ、天下の道もあきらかになりにけるとぞ。二代の明徳をもて此御ことおしはかり奉るべし。御寿も長て朱雀の御代にぞかくれさせ給ける。七十六歳おましましき。
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『神皇正統記』巻四 第六十二代 村上天皇第六十二代、第三十四世、村上天皇。諱は成明、醍醐十四の子、朱雀同母の御弟也。丙午年即位、丁未に改元。兄弟相譲せ玉ひしかば、まめやかなる禅譲の礼儀ありき。此天皇賢明の御ほまれ先皇のあとを継申させ給ければ、天下安寧なることも延喜・延長の昔にことならず。文筆諸芸を好給こともかはりまさゞりけり。よろづのためしには延喜・天暦の二代とぞ申侍る。もろこしのかしこき明王も二、三代とつたはるはまれなりき。周にぞ文・武・成・康、漢には文・景なんどぞありがたきことに申ける。光孝かたはらよりえらばれ立給しに、うちつゞき明主の伝り給し、我国の中興すべきゆゑにこそ侍けめ。又継体もたゞこの一流にのみぞさだまりぬる。すゑつかた天徳年中にや、はじめて内裏に炎上ありて内侍所も焼にしが、神鏡は灰の中よりいだし奉らる。「円規損ずることなくして分明にあらはれ出給。見奉る人、驚感せずと云ことなし。」とぞ御記にみえ侍る。
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