神皇正統記 / 巻四 第五十八代 光孝天皇
神武より景行まで十二代は御子孫そのまゝつがせ給へり。うたがはしからず。日本武の尊世をはやくしましゝによりて、御弟成務へだゝり給しかど、日本武の御子にて仲哀伝へまし〳〵ぬ。仲哀・応神の御後に仁徳つたへ給へりし、武烈悪王にて日嗣たえましゝ時、応神五世の御孫にて、継体天皇えらばれ立給。これなむめづらしきためしに侍る。
書き下し
神武より景行まで十二代は御子孫そのまゝつがせ給へり。うたがはしからず。日本武の尊世をはやくしましゝによりて、御弟成務へだゝり給しかど、日本武の御子にて仲哀伝へましましぬ。仲哀・応神の御後に仁徳つたへ給へりし、武烈悪王にて日嗣たえましゝ時、応神五世の御孫にて、継体天皇えらばれ立給。これなむめづらしきためしに侍る。
現代語訳
神武天皇から景行天皇まで十二代は、御子孫がそのまま(父から子へ)お継ぎになった。疑わしいところはない。日本武尊が早く世を去られたので、弟の成務天皇へと系統が隔たられたが、日本武尊の御子である仲哀天皇が伝えられた。仲哀・応神の後に仁徳天皇が伝えられたが、武烈天皇が悪王で日嗣(皇位の継承)が絶えたとき、応神天皇の五世の孫として継体天皇が選ばれて立たれた。これこそ珍しい例である。
解説
光孝天皇の即位をきっかけに、親房が皇位継承の歴史を振り返り始める段である。神武から景行までは父から子へまっすぐ継がれた。日本武尊が早世して弟の成務へ移ったが、日本武尊の子の仲哀に戻った。仁徳の系統は武烈で絶え、応神の五世の孫の継体が選ばれた。この書の冒頭には「傍より伝へ給しすら猶正にかへる道ありて」、傍系から伝わっても正しい流れに返る道があったという一文がある。その具体例を順に確かめていくのがこの段からの数段である。正統とは長子の系統が途切れないことではなく、途切れそうになったときにふさわしい所へ戻っていく働きのことだ、という親房の考えがここから組み立てられる。継体を「めづらしきためし」と呼ぶのも、例外でありながら正統を保ったからである。
関連する章句
-
『神皇正統記』巻三 第二十六代 武烈天皇〜第二十七代 継体天皇此天皇天下を治給こと八年。五十八歳おましましき。 ○第二十七代、第二十世、継体天皇は応神五世の御孫也。応神第八の御子隼総別の皇子、其子大迹の王、其子私斐の王、其子彦主人の王、其子男大迹の王と申は此天皇にまします。御母振姫、垂仁七世の御孫也。越前国にましける。武烈かくれ給て皇胤たえにしかば、群臣うれへなげきて国々にめぐり、ちかき皇胤を求奉けるに、此天皇王者の大度まして、潜龍のいきほひ、世にきこえ給けるにや。群臣相議て迎奉る。三たびまで謙譲し給けれど、つひに位に即給ふ。ことし丁亥の年也。大和の磐余玉穂の宮にまします。仁賢の御女手白香の皇女を皇后とす。即位し給しより誠に賢王にましましき。応神御子おほくきこえ給しに、仁徳賢王にてましまししかど、御末たえにき。隼総別の御末、かく世をたもたせ給こと、いかなる故にかおぼつかなし。仁徳をば大鷦鷯の尊と申。第八の皇子をば隼総別と申。仁徳の御代に兄弟たはぶれて、鷦鷯は小鳥也、隼は大鳥也と争給ことありき。隼の名にかちて、末の世をうけつぎ給けるにや。
-
『神皇正統記』巻四 第五十八代 光孝天皇其後相続て天智・天武御兄弟立給しに、大友の皇子の乱によりて、天武の御ながれ久伝へられしに、称徳女帝にて御嗣もなし。又政もみだりがはしくきこえしかば、たしかなる御譲なくて絶にき。光仁又かたはらよりえらばれて立給。これなん又継体天皇の御ことに似玉へる。しかれども天智は正統にてましましき。第一の御子大友こそあやまりて天下をえ給はざりしかど、第二の皇子にて施基のみこ御とがなし。其御子なれば、此天皇の立給へること、正理にかへるとぞ申侍べき。今の光孝又昭宣公のえらびにて立給といへども、仁明の太子文徳の御ながれなりしかど、陽成悪王にてしりぞけられ給しに、仁明第二の御子にて、しかも賢才諸親王にすぐれましましければ、うたがひなき天命とこそみえ侍し。かやうにかたはらより出給こと是まで三代なり。人のなせることゝは心えたてまつるまじき也。さきにしるし侍ることはりをよくわきまへらるべき者哉。光孝より上つかたは一向上古也。よろづの例を勘も仁和より下つかたをぞ申める。
-
『神皇正統記』巻四 第五十八代 光孝天皇古すら猶かゝる理にて天位を嗣給。ましてすえの世にはまさしき御ゆづりならでは、たもたせ給まじきことゝ心えたてまつるべき也。此御代より藤氏の摂籙の家も他流にうつらず、昭宣公の苗裔のみぞたゞしくつたへられにける。上は光孝の御子孫、天照太神の正統とさだまり、下は昭宣公の子孫、天児屋の命の嫡流となり給へり。二神の御ちかひたがはずして、上は帝王三十九代、下は摂関四十余人、四百七十余年にもなりぬるにや。
-
『神皇正統記』巻三 賢にして天命但、皇胤たえぬべかりし時、群臣択求奉き。賢名によりて天位を伝給へり。天照太神の御本意にこそとみえたり。皇統に其人ましまさん時は、賢諸王おはすとも、争か望をなし給べき。皇胤たえ給はんにとりては、賢にて天日嗣にそなはり給はんこと、即又天のゆるす所也。此天皇をば我国中興の祖宗と仰ぎ奉るべきにや。
-
『神皇正統記』巻三 第二十七代 継体天皇もろこしにもかゝるためしあり。名をつくることもつゝしみおもくすべきことにや。それもおのづから天命なりといはゞ、凡慮の及べきにあらず。此天皇の立給しことぞ思外の御運とみえ侍る。
-
『神皇正統記』巻二 第十三代 成務天皇第十三代、成務天皇は景行第三の子。御母八坂入姫、八坂入彦の皇子の女也。日本武尊日嗣をうけ給ふべかりしに、世をはやくしましまししかば、此御門立給。辛未歳即位。近江の志賀高穴穂の宮にまします。神武より十二代、大和国にましましき。此時はじめて他国にうつり給。三年の春、武内の宿禰を大臣とす。四十八年の春、姪仲足彦の尊をたてゝ皇太子とす。天下を治給こと六十一年。百七歳おましましき。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る