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神皇正統記 / 巻三 第二十六代 武烈天皇〜第二十七代 継体天皇

此天皇天下を治給こと八年。五十八歳おまし〳〵き。 ○第二十七代、第二十世、継体天皇は応神五世の御孫也。応神第八[の]御子隼総別の皇子、其子大迹の王、其子私斐の王、其子彦主人の王、其子男大迹の王と申は此天皇にまします。御母振姫、垂仁七世の御孫也。越前国にましける。武烈かくれ給て皇胤たえにしかば、群臣うれへなげきて国々にめぐり、ちかき皇胤を求奉けるに、此天皇王者の大度まして、潜龍のいきほひ、世にきこえ給けるにや。群臣相議て迎奉る。三たびまで謙譲し給けれど、つひに位に即給ふ。ことし丁亥の年也。大和の磐余玉穂の宮にまします。仁賢の御女手白香の皇女を皇后とす。即位し給しより誠に賢王にまし〳〵き。応神御子おほくきこえ給しに、仁徳賢王にてまし〳〵しかど、御末たえにき。隼総別の御末、かく世をたもたせ給こと、いかなる故にかおぼつかなし。仁徳をば大鷦鷯の尊と申。第八の皇子をば隼総別と申。仁徳の御代に兄弟たはぶれて、鷦鷯は小鳥也、隼は大鳥也と争給ことありき。隼の名にかちて、末の世をうけつぎ給けるにや。

新字:此天皇天下を治給こと八年。五十八歳おまし〳〵き。 ○第二十七代、第二十世、継体天皇は応神五世の御孫也。応神第八[の]御子隼総別の皇子、其子大迹の王、其子私斐の王、其子彦主人の王、其子男大迹の王と申は此天皇にまします。御母振姫、垂仁七世の御孫也。越前国にましける。武烈かくれ給て皇胤たえにしかば、群臣うれへなげきて国々にめぐり、ちかき皇胤を求奉けるに、此天皇王者の大度まして、潜竜のいきほひ、世にきこえ給けるにや。群臣相議て迎奉る。三たびまで謙譲し給けれど、つひに位に即給ふ。ことし丁亥の年也。大和の磐余玉穂の宮にまします。仁賢の御女手白香の皇女を皇后とす。即位し給しより誠に賢王にまし〳〵き。応神御子おほくきこえ給しに、仁徳賢王にてまし〳〵しかど、御末たえにき。隼総別の御末、かく世をたもたせ給こと、いかなる故にかおぼつかなし。仁徳をば大鷦鷯の尊と申。第八の皇子をば隼総別と申。仁徳の御代に兄弟たはぶれて、鷦鷯は小鳥也、隼は大鳥也と争給ことありき。隼の名にかちて、末の世をうけつぎ給けるにや。

書き下し

此天皇天下を治給こと八年。五十八歳おましましき。 ○第二十七代、第二十世、継体天皇は応神五世の御孫也。応神第八の御子隼総別の皇子、其子大迹の王、其子私斐の王、其子彦主人の王、其子男大迹の王と申は此天皇にまします。御母振姫、垂仁七世の御孫也。越前国にましける。武烈かくれ給て皇胤たえにしかば、群臣うれへなげきて国々にめぐり、ちかき皇胤を求奉けるに、此天皇王者の大度まして、潜龍のいきほひ、世にきこえ給けるにや。群臣相議て迎奉る。三たびまで謙譲し給けれど、つひに位に即給ふ。ことし丁亥の年也。大和の磐余玉穂の宮にまします。仁賢の御女手白香の皇女を皇后とす。即位し給しより誠に賢王にましましき。応神御子おほくきこえ給しに、仁徳賢王にてましまししかど、御末たえにき。隼総別の御末、かく世をたもたせ給こと、いかなる故にかおぼつかなし。仁徳をば大鷦鷯の尊と申。第八の皇子をば隼総別と申。仁徳の御代に兄弟たはぶれて、鷦鷯は小鳥也、隼は大鳥也と争給ことありき。隼の名にかちて、末の世をうけつぎ給けるにや。

現代語訳

この天皇(武烈天皇)が天下を治められたのは八年で、五十八歳であられた。第二十七代、第二十世、継体天皇は応神天皇の五世の孫である。応神天皇の第八の御子の隼総別皇子(はやぶさわけのみこ)、その子の大迹王(おおとのおおきみ)、その子の私斐王(しひのおおきみ)、その子の彦主人王(ひこうしのおおきみ)、その子の男大迹王(おおどのおおきみ)と申し上げるのがこの天皇であられる。母は振媛(ふるひめ)で、垂仁天皇の七世の孫である。越前国におられた。武烈天皇が崩御されて皇統が絶えたので、群臣は憂え嘆いて国々を巡り、近い皇族の血筋をお探し申し上げたところ、この天皇は王者にふさわしい大きな度量を持たれ、淵に潜む龍のような勢いが世に聞こえておられたのであろうか。群臣は相談してお迎え申し上げた。三度まで謙譲なさったが、ついに位に即かれた。この年は丁亥の年である。大和の磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)におられた。仁賢天皇の娘の手白香皇女(たしらかのひめみこ)を皇后とされた。即位されてからはまことに賢い王であられた。応神天皇の御子は多くいらっしゃったが、仁徳天皇は賢王であられたのに、その御末は絶えてしまった。隼総別皇子の御末がこのように世を保たれることになったのは、どういうわけか定かではない。仁徳天皇を大鷦鷯尊と申し上げる。第八の皇子を隼総別と申し上げる。仁徳天皇の御代に兄弟が戯れて、鷦鷯(みそさざい)は小鳥であり、隼は大きな鳥であると言い争われたことがあった。隼の名が勝って、後の世を受け継がれたのであろうか。

解説

継体天皇の条で、この書の「世」の数え方がはっきり姿を見せる。第二十七代でありながら第二十世とされ、その間に隼総別皇子から彦主人王まで、位に即かなかった父祖が一人ずつ名を挙げられる。「世」とは位に即いた数ではなく、今の天皇へと父から子へ正統が伝わった筋の数なのである。仁徳は賢王であったのにその末は絶え、傍系の隼総別の末が世を保った。親房はその理由を「おぼつかなし」と率直に分からないと書き、兄弟が鳥の名で争った戯れの逸話を持ち出して、名が勝ったのかと推し量る。賢さや徳だけでは皇統の行方を説明しきれないことを、親房は認めている。仁賢の娘を皇后に迎えたことも、断絶した筋との結び直しとして意味を持つ。遠い傍系から迎えても、正しい筋へ返す道がある、というのがこの書の繰り返す主張である。

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