神皇正統記 / 巻四 本を本として
仏も衆生をみちびきつくし、神も万姓をすなほならしめんとこそし給へど、衆生の果報しな〴〵に、うくる所の性おなじからず。十善の戒力にて天子とはなり給へども、代々の御行迹、善悪又まち〳〵也。かゝれば本を本として正にかへり、元をはじめとして邪をすてられんことぞ祖神の御意にはかなはせ給べき。
書き下し
仏も衆生をみちびきつくし、神も万姓をすなほならしめんとこそし給へど、衆生の果報しなじなに、うくる所の性おなじからず。十善の戒力にて天子とはなり給へども、代々の御行迹、善悪又まちまち也。かゝれば本を本として正にかへり、元をはじめとして邪をすてられんことぞ祖神の御意にはかなはせ給べき。
現代語訳
仏も衆生を導き尽くし、神も万民を素直にしようとされるけれども、衆生の果報はさまざまで、受けるところの性質も同じではない。十善の戒めの力によって天子となられるとはいえ、代々の行いは善悪がまたそれぞれである。であるから、本を本として正しい道に返り、元を初めとして邪を捨てられることこそ、祖神の御心にかなうであろう。
解説
前段を受けて、なぜ加護があっても結果が一様でないのかを説明する。仏も神も導こうとしている。しかし受け取る側の性質が違うので、同じようには届かない。天子となる資格があっても「代々の御行迹、善悪又まち〳〵也」——実際の行いは代ごとにばらばらだ、と。血統が保証するのは資格であって中身ではない、という区別がここでも保たれている。そのうえで示される処方が「本を本として正にかへり、元をはじめとして邪をすてられん」である。新しい何かを足すのではなく、本を本の位置に戻す。乱れたときに何をするかという問いに、親房は復元と答える。ただし復元は懐古とは違う。何が本で何が末かを見分けられなければ、戻る先が分からないからである。
この章句が説くこと
本を本として正にかへる機根復元