神皇正統記 / 巻四 第五十六代 清和天皇
太政大臣このことをきゝ驚遽られけるあまりに、烏帽子直衣をきながら、白昼に騎馬して、馳参じて申なだめられにけり。其後に善男が陰謀あらはれて流刑に処せらる。此大臣の忠節まことに無止ことになん。天皇仏法に帰給て、つねに脱屣の御志ありき。慈覚大師に受戒し給、法号を授奉らる。素真と申。在位の帝、法号をつき給ことよのつねならぬにや。昔隋煬帝の晉王と云し時、天台の智者に受戒して惣持と云名をつかれたりし、よからぬ君の例なれど、智者の昔のあとなれば、なぞらへもちゐられにけるにや。又この御時、宇佐の八幡大菩薩皇城の南、男山石清水にうつり給。天皇聞食て勅使をつかはし、その所を点じ、もろ〳〵のたくみにおほせて、新宮をつくりて宗廟に擬せらる。天皇天下を治給こと十八年。太子にゆづりてしりぞかせ給。中三とせばかりありて出家、慈覚の弟子にて潅頂うけさせ給。丹波の水尾と云所にうつらせ給て、練行しましゝが、ほどなくかくれ給。御年三十一歳おまし〳〵き。
新字:太政大臣このことをきゝ驚遽られけるあまりに、烏帽子直衣をきながら、白昼に騎馬して、馳参じて申なだめられにけり。其後に善男が陰謀あらはれて流刑に処せらる。此大臣の忠節まことに無止ことになん。天皇仏法に帰給て、つねに脱屣の御志ありき。慈覚大師に受戒し給、法号を授奉らる。素真と申。在位の帝、法号をつき給ことよのつねならぬにや。昔隋煬帝の晋王と云し時、天台の智者に受戒して惣持と云名をつかれたりし、よからぬ君の例なれど、智者の昔のあとなれば、なぞらへもちゐられにけるにや。又この御時、宇佐の八幡大菩薩皇城の南、男山石清水にうつり給。天皇聞食て勅使をつかはし、その所を点じ、もろ〳〵のたくみにおほせて、新宮をつくりて宗廟に擬せらる。天皇天下を治給こと十八年。太子にゆづりてしりぞかせ給。中三とせばかりありて出家、慈覚の弟子にて潅頂うけさせ給。丹波の水尾と云所にうつらせ給て、練行しましゝが、ほどなくかくれ給。御年三十一歳おまし〳〵き。
書き下し
太政大臣このことをきゝ驚遽られけるあまりに、烏帽子直衣をきながら、白昼に騎馬して、馳参じて申なだめられにけり。其後に善男が陰謀あらはれて流刑に処せらる。此大臣の忠節まことに無止ことになん。天皇仏法に帰給て、つねに脱屣の御志ありき。慈覚大師に受戒し給、法号を授奉らる。素真と申。在位の帝、法号をつき給ことよのつねならぬにや。昔隋煬帝の晋王と云し時、天台の智者に受戒して惣持と云名をつかれたりし、よからぬ君の例なれど、智者の昔のあとなれば、なぞらへもちゐられにけるにや。又この御時、宇佐の八幡大菩薩皇城の南、男山石清水にうつり給。天皇聞食て勅使をつかはし、その所を点じ、もろもろのたくみにおほせて、新宮をつくりて宗廟に擬せらる。天皇天下を治給こと十八年。太子にゆづりてしりぞかせ給。中三とせばかりありて出家、慈覚の弟子にて潅頂うけさせ給。丹波の水尾と云所にうつらせ給て、練行しましゝが、ほどなくかくれ給。御年三十一歳おましましき。
現代語訳
太政大臣(良房)はこのことを聞いて驚き慌てられるあまり、烏帽子に直衣という平服のまま、白昼に馬に乗って駆けつけ、天皇をおなだめ申し上げた。その後、善男の陰謀が露見して流刑に処せられた。この大臣の忠節はまことにこの上ないものである。天皇は仏法に帰依されて、常に位を退くお志があった。慈覚大師から戒を受けられ、法号を授けられた。素真と申し上げる。在位中の帝が法号をお付けになるのは尋常ではないことであろう。昔、隋の煬帝が晋王と称していたとき、天台の智者大師から戒を受けて総持という名をつけられた。よくない君の例ではあるが、智者大師の昔の先例であるから、それになぞらえて用いられたのであろうか。またこの御代に、宇佐の八幡大菩薩が都の南、男山の石清水に移られた。天皇はお聞きになって勅使を遣わし、その場所を定め、多くの工匠に命じて新しい宮を造り、宗廟になぞらえられた。天皇は天下を治められたこと十八年。皇太子に位を譲って退かれた。三年ほどして出家され、慈覚大師の弟子として灌頂をお受けになった。丹波の水尾という所に移られて修行しておられたが、ほどなく亡くなられた。御年三十一歳であった。
解説
関連する章句
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『神皇正統記』巻四 第五十六代 清和天皇氏長者たる人むねとこの院を管領して興福寺及氏の社のことをとりおこなはる。良房の大臣摂政せられしより彼一流につたはりて、たえぬことになりたり。幼主の時ばかりかとおぼえしかど、摂政関白もさだまれる職になりぬ。おのづから摂関と云名をとめらるゝ時も、内覧の臣をおかれたれば、執政の儀かはることなし。天皇おとなび給ければ、摂政まつりことをかへしたてまつりて、太政大臣にて白河に閑居せられにけり。君は外孫にましませば、猶も権をもはらにせらるともあらそふ人あるまじくや。されど謙退の心ふかく閑適をこのみて、つねに朝参などもせられざりけり。其比大納言伴善男と云人寵ありて大臣をのぞむ志なんありける。時に三公闕なかりき。信の左大臣をうしなひて、其闕にのぞみ任ぜんとあひはかりて、まづ応天門を焼しむ。左大臣世をみだらんとするくはたてなりと讒奏す。天皇おどろき給て、糺明におよばず、右大臣に召仰て、すでに誅せらるべきになりぬ。
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『神皇正統記』巻二 第十六代 応神天皇又神託ありて御出家の儀ありき。やがて彼寺に勧請し奉らる。されど勅使などは宇佐にまゐりき。清和の御時、大安寺の僧、行教宇佐にまうでたりしに、霊告ありて、今の男山石清水にうつりまします。爾来行幸も奉幣も石清水にあり。一代一度宇佐へも勅使をたてまつらる。昔天孫天降給し時、御供の神八百万ありき。大物主の神したがへて天へのぼりしも、八十万の神と云り。今までも幣帛を奉まつらるゝ神、三千余坐也。しかるに天照太神の宮にならびて、二所の宗廟とて八幡をあふぎ申さるゝこと、いとたふとき御事也。八幡と申御名は御託宣に「得道来不動法性。示八正道垂権迹。皆得解脱苦衆生。故号八幡大菩薩。」とあり。八正とは、内典に、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正定・正恵、是を八正道と云ふ。凡心正なれば身口はおのづからきよまる。三業に邪なくして、内外真正なるを諸仏出世の本懐とす。神明の垂迹も又これがためなるべし。又八方に八色の幡を立ることあり。密教の習、西方阿弥陀の三昧耶形也。
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『神皇正統記』巻四 第五十五代 文徳天皇〜第五十六代 清和天皇第五十五代、文徳天皇。諱は道康、田村の帝とも申。仁明第一の子。御母太皇太后藤原の順子、左大臣冬嗣の女也。庚午年即位、辛未に改元。天下を治給こと八年。三十三歳おましましき。 ○第五十六代、清和天皇。諱は惟仁、水尾の帝とも申。文徳第四の子。御母皇太后藤原の明子、摂政太政大臣良房の女也。
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『神皇正統記』巻三 第四十八代 称徳天皇女帝さすが思わづらひ給けるにや、和気清丸と云ふ人を勅使にさして、宇佐の八幡宮に申されける。大菩薩さまざま託宣ありて更にゆるされず。清丸帰参してありのまゝに奏聞す。道鏡いかりをなして、清丸がよぼろすぢをたちて、土左国にながしつかはす。清丸うれへかなしみて、大菩薩をうらみかこち申ければ、小蛇出来てそのきずをいやしけり。光仁位につき給しかば、即めしかへさる。神威をたうとび申て、河内国に寺を立て、神願寺と云ふ。後に高雄の山にうつし立。今の神護寺これなり。件のころまでは神威もかくいちじるきことなりき。かくて道鏡つひにのぞみをとげず。女帝も又程なくかくれ給。宗廟社稷をやすくすること、八幡の冥慮たりしうへに、皇統をさだめたてまつることは藤原百川朝臣の功なりとぞ。
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『神皇正統記』巻二 第十六代 応神天皇異朝にも人の心まちまちなれば、異学の輩の云出せる事歟。後漢書よりぞ此国のことをばあらあらしるせる。符合したることもあり、又心えぬこともあるにや。唐書には、日本の皇代記を神代より光孝の御代まであきらかにのせたり。さても此御時、武内大臣筑紫ををさめんために彼国につかはされける比、おとゝの讒によりて、すでに追討せられしを、大臣の僕、真根子と云人あり。かほかたち大臣に似たりければ、あひかはりて誅せらる。大臣は忍て都にまうでゝ、とがなきよしを明められにき。上古神霊の主猶かゝるあやまちましまししかば、末代争かつゝしませ給はざるべき。天皇天下を治給こと四十一年。百十一歳おましましき。欽明天皇の御代に始て神とあらはれて、筑紫の肥後国菱形の池と云所にあらはれ給、「われは人皇十六代誉田の八幡丸なり。」との給き。誉田はもとの御名、八幡は垂迹の号也。後に豊前の国宇佐の宮にしづまり給しかば、聖武天皇東大寺建立の後、巡礼し給べきよし託宣ありき。仍威儀をとゝのへてむかへ申さる。
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『神皇正統記』巻二 第十六代 応神天皇其故にや行教和尚には弥陀三尊の形にてみえさせ給けり。光明袈裟の上にうつらせましましけるを頂戴して、男山には安置し申けりとぞ。神明の本地を云ことはたしかならぬたぐひおほけれど、大菩薩の応迹は昔よりあきらかなる証拠おはしますにや。或は又、「昔於霊鷲山説妙法華経。」とも、或は弥勒なりとも、大自在王菩薩なりとも託宣し給。中にも八正の幡をたてゝ、八方の衆生を済度し給本誓を、能々思入てつかうまつるべきにや。天照太神もたゞ正直をのみ御心とし給へる。神鏡を伝へましまししことの起は、さきにもしるし侍ぬ。又雄略天皇二十二年の冬十一月に、伊勢の神宮の新嘗のまつり、夜ふけてかたへの人々罷出て後、神主物忌等ばかり留たりしに、皇太神・豊受の太神、倭姫命にかゝりて託宣し給しに、「人はすなはち天下の神物なり。心神をやぶることなかれ。神はたるゝに祈祷を以て先とし、冥はくはふるに正直を以て本とす。」とあり。同二十三年二月、かさねて託宣し給しに、「日月は四州をめぐり、六合を照すと云ども正直の頂を照すべし。」
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