神皇正統記 / 巻四 第五十二代 嵯峨天皇
凡男夫は稼穡をつとめておのれも食し、人にもあたへて、飢ざらしめ、女子は紡績をことゝしてみづからもき、人をしてあたゝかにならしむ。賎に似たれども人倫の大本也。天の時にしたがひ、地の利によれり。此外商沽の利を通ずるもあり、工巧のわざを好もあり、仕官に心ざすもあり、是を四民と云ふ。
書き下し
凡男夫は稼穡をつとめておのれも食し、人にもあたへて、飢ざらしめ、女子は紡績をことゝしてみづからもき、人をしてあたゝかにならしむ。賎に似たれども人倫の大本也。天の時にしたがひ、地の利によれり。此外商沽の利を通ずるもあり、工巧のわざを好もあり、仕官に心ざすもあり、是を四民と云ふ。
現代語訳
およそ男は耕作に励んで自分も食べ、人にも与えて飢えさせないようにし、女は糸を紡ぎ布を織ることを務めとして自分も着、人を暖かくさせる。卑しい仕事のように見えるが、人の世の大本である。天の時に従い、地の利によるものである。このほか、商いで利を通わせる者もあり、工芸の技を好む者もあり、官に仕えることを志す者もある。これを四民という。
解説
仏教の話から一転して、民の仕事に目を向ける短い段である。耕す者と織る者を「賎に似たれども人倫の大本也」と言い切る。都の最上層の公家である親房が、田畑と機織りを人の世の根本に据えている点は見逃せない。自分も食べ、人にも食べさせる。自分も着て、人も暖める。働くことを、自分のためと他人のためが重なる営みとして描いている。これに商い、工芸、官仕えを加えて四民とする枠組みは、中国古典に由来するものである。巻二の仁徳天皇の民のかまどの話と同じく、親房の政治論は常に民の暮らしを土台に置いている。この段は次に続く、諸道・諸芸はみな民を導く要であるという議論の前置きにもなっている。組織でも、目立たない現場の仕事こそが全体を支える大本であり、上に立つ者がそれを「賎」と見た瞬間に土台が崩れる。
関連する章句
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呂氏春秋・上農②后稷曰く、「耕織を務むる所以の者は、以て本教と為せばなり。」是の故に天子親ら諸侯を率いて帝籍田に耕し、大夫・士皆功業有り。是の故に時の務に當りてや、農の國に見えざるは、以て民に地產を尊ぶを教うればなり。后妃は九嬪を率いて郊に蠶し、公田に桑す。是を以て春秋冬夏皆麻枲絲繭の功有るは、以て婦教を力むればなり。是の故に丈夫は織らずして衣、婦人は耕さずして食し、男女功を貿えて以て長生す。此れ聖人の制なり。故に時を敬しみ日を愛し、老ゆるに非ざれば休まず、疾むに非ざれば息わず、死するに非ざれば舍かず。
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『十善法語』巻第五・不綺語戒百姓農人ハ明君ノ重ンスル所デ。是カ国ノ本シヤ。古ヨリ農人ノ栄衰ハ治乱ニ関ル。農人窮スレハ田野関ケス。田野関ケサレハ人ミナ本ヲ棄テテ末ヲ逐フ。人末ヲ逐ヘハ利欲ノ心深シ。利欲深ケレハ道ヲ失フ。此ヲ乱ノ階ト云ヘキシヤ。神農氏カ自ラ耕ヲ教ル。后稷カ四時ニ順シテ百穀ヲ種ル等。此農業ハ自ラ天地生育ノ趣ニ順スル。其跡ヨリ此ヲ見ハ。天地ヲ助テ万物ヲ生育スト云モ可ナリシヤ。
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説苑・政理春秋に曰く、「四民均しければ則ち王道興りて百姓寧んず」と。所謂四民とは、士・農・工・商なり。婚姻の道廃るれば、則ち男女の道悖りて、淫泆の路興らん。
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『神皇正統記』巻五 第八十七代 後嵯峨院凡保元・平治よりこのかたのみだりがはしさに、頼朝と云人もなく、泰時と云者なからましかば、日本国の人民いかゞなりなまし。此いはれをよくしらぬ人は、ゆゑもなく、皇威のおとろへ、武備のかちにけるとおもへるはあやまりなり。所々に申はべることなれど、天日嗣は御譲にまかせ、正統にかへらせ給にとりて、用意あるべきことの侍也。神は人をやすくするを本誓とす。天下の万民は皆神物なり。君は尊くましませど、一人をたのしましめ万民をくるしむる事は、天もゆるさず神もさいはひせぬいはれなれば、政の可否にしたがひて御運の通塞あるべしとぞおぼえ侍る。まして人臣としては、君をたふとび民をあはれみ、天にせくゝまり地にぬきあしゝ、日月のてらすをあふぎても心の黒して光にあたらざらんことをおぢ、雨露のほどこすをみても身のただしからずしてめぐみにもれんことをかへりみるべし。朝夕に長田狭田の稲のたねをくふも皇恩也。昼夜に生井栄井の水のながれを飲も神徳也。
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二宮翁夜話・巻之四翁曰く、凡(およ)そ物、根元たる者は、必(かなら)ず卑(いや)しき物なり、卑しとて、根元を軽視するは過(あやまり)なり、夫(それ)家屋の如き、土台(どだい)ありて後に、床(とこ)も書院もあるが如し、土台は家の元なり、是(これ)民は国の元なる証(あかし)なり、扨(さて)諸職業中、又農を以て元とす、如何(いか)となれば、自(みずか)ら作りて食い、自ら織(お)りて着るの道を勤(つと)むればなり、此の道は、一国悉(ことごと)く是をなして、差閊(さしつかえ)無きの事業なればなり、然(しか)る大本の業の賤(いや)しきは、根元たるが故なり、凡そ物を置くに、最初に置きし物、必ず下になり、後に置きたる物、必ず上になる道理にして、是則(すなわ)ち農民は、国の大本たるが故に賤しきなり、凡そ事天下一同に之を為して、閊(つかえ)なき業こそ大本なれ、夫官員の顕貴(けんき)なるも、全国皆官員とならば如何、必ず立つ可(べ)からず、兵士の貴重なるも、国民悉く兵士とならば、同じく立つ可からず、工は欠く可からざるの職業なりといえども、全国皆工ならば、必ず立つ可からず、商となるも又同じ、然るに農は、大本なるを以て、全国の人民皆農となるも、閊なく立ち行く可し、然れば農は万業の大本たる事、是に於て明了なり、此の理を究(きわ)めば、千古の惑(まど)い破(やぶ)れ、大本定まりて、末業自ら知るべきなり、故に天下一般是をなして、閊あるを末業とし、閊なきを本業とす、公明の論ならずや、然れば農は本なり、厚くせずば有る可からず、養わずば有る可からず、其の元を厚くし、其の本を養えば、其の末は自ら繁栄せん事疑いなし、扨枝葉とて猥(みだ)りに折る可からずと雖(いえど)も、其の本根衰(おとろ)うる時は、枝葉を伐(き)り捨てて根を肥(こや)すぞ、培養の法なる。
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史記 貨殖列伝豈に道の符する所にして、自然の験に非ずや。周書に曰く、「農出でざれば則ち其の食を乏しくし、工出でざれば則ち其の事を乏しくし、商出でざれば則ち三宝絶え、虞出でざれば則ち財匱少す」と。財匱少すれば山沢辟(ひら)かれず。此の四者は、民の衣食する所の原なり。原大なれば則ち饒かに、原小なれば則ち鮮し。上は則ち国を富まし、下は則ち家を富ます。貧富の道は、之を奪予する莫くして、巧者は余り有り、拙者は足らず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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