神皇正統記 / 巻四 文武の二
仕官するにとりて文武の二の道あり。坐て以道を論ずるは文士の道也。此道に明ならば相とするにたへたり。征て功を立は武人のわざなり。此わざに誉れあらば将とするにたれり。されば文武の二はしばらくもすて給べからず。「世みだれたる時は武を右にし文を左にす。国をさまれる時は文を右にし武を左にす。」といへり。かくのごとくさま〴〵なる道をもちゐて、民のうれへをやすめ、おの〳〵あらそひなからしめん事を本とすべし。
書き下し
仕官するにとりて文武の二の道あり。坐て以道を論ずるは文士の道也。此道に明ならば相とするにたへたり。征て功を立は武人のわざなり。此わざに誉れあらば将とするにたれり。されば文武の二はしばらくもすて給べからず。「世みだれたる時は武を右にし文を左にす。国をさまれる時は文を右にし武を左にす。」といへり。かくのごとくさまざまなる道をもちゐて、民のうれへをやすめ、おのおのあらそひなからしめん事を本とすべし。
現代語訳
仕官するにあたっては文と武の二つの道がある。座して道理を論じるのは文士の道である。この道に明るければ、宰相とするに足りる。出征して功を立てるのは武人の業である。この業に誉れがあれば、将とするに足りる。だから文と武の二つは、しばらくも捨ててはならない。「世が乱れているときは武を右にし文を左にする。国が治まっているときは文を右にし武を左にする」と言われている。このようにさまざまな道を用いて、民の憂いを安め、それぞれに争いがないようにすることを根本とすべきである。
解説
文武についての一段で、『帝範』崇文篇の結び「文武の二途、一を捨つ可からず、時と優劣し、各其の宜しき有り」とほとんど同じ構図を、親房が独立に立てている。「世みだれたる時は武を右にし文を左にす。国をさまれる時は文を右にし武を左にす」——右と左が入れ替わるだけで、どちらも消えない。順位は時が決める。捨ててはならない、という一点は動かない。もう一つ見ておきたいのは、結びが勝敗ではなく「民のうれへをやすめ、おの〳〵あらそひなからしめん事を本とすべし」に着地することだ。文武を論じておいて、目的は争いを無くすことだと言う。南北朝の内戦のただ中で、武人ではなく公家がこれを書いているという事実が、この一句に重みを与えている。
この章句が説くこと
文武の二道世乱れたる時は武を右にす時と順位争いを無くす
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