神皇正統記 / 巻四 第五十二代 嵯峨天皇
弘仁の御宇より真言・天台のさかりになることを聊しるし侍につきて、大方の宗々伝来のおもむきを載たり。極てあやまりおほく侍らん。但君としてはいづれの宗をも大概しろしめして捨られざらんことぞ国家攘災の御はかりことなるべき。菩薩・大士もつかさどる宗あり。我朝の神明もとりわき擁護し給ふ教あり。
書き下し
弘仁の御宇より真言・天台のさかりになることを聊しるし侍につきて、大方の宗々伝来のおもむきを載たり。極てあやまりおほく侍らん。但君としてはいづれの宗をも大概しろしめして捨られざらんことぞ国家攘災の御はかりことなるべき。菩薩・大士もつかさどる宗あり。我朝の神明もとりわき擁護し給ふ教あり。
現代語訳
弘仁の御代から真言・天台が盛んになったことを少し記したのにつけて、おおよその諸宗伝来の次第を載せた。きわめて誤りが多いことだろう。ただし、君主としては、どの宗をもあらまし心得られて、捨てられないことこそが、国家の災いを払うための御はかりごとであろう。菩薩や大士(すぐれた修行者)にもそれぞれつかさどる宗がある。わが国の神々にも、とりわけ守護される教えがある。
解説
仏教諸宗の長い余談を締めくくる段であり、ここに親房が何のためにそれを書いたかがはっきり出ている。「君としてはいづれの宗をも大概しろしめして捨られざらんことぞ国家攘災の御はかりことなるべき」、君主はどの宗もひととおり知り、どれも捨ててはならない。君主が一つの教えに深く入り込むことより、全体の見取り図を持ち、どれも排除しないことを求めている。菩薩にも神々にもそれぞれ守る宗があるのだから、一つを退ければその守りを失う、という理屈である。「極てあやまりおほく侍らん」という断りも、書物の乏しい戦陣で書いた人の率直な言葉である。上に立つ者は専門家である必要はないが、全体の地図を持ち、どの部門も切り捨てない。この要求は、幼い後村上天皇に向けたものであると同時に、いまの経営者にもそのまま向けられる。
関連する章句
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『神皇正統記』巻四 第五十二代 嵯峨天皇比叡山には顕密ならびて紹隆す。殊に天子本命の道場をたてゝ御願を祈る地なり。又根本中堂を止観院と云ふ。法華の経文につき、天台の宗義により、かたがた鎮護の深義ありとぞ。東寺は桓武遷都の初、皇城の鎮のためにこれをたてらる。弘仁の御時、弘法に給てながく真言の寺とす。諸宗の雑住をゆるさゞる地也。此宗を神通乗と云ふ。如来果上の法門にして諸教にこえたる極秘密とおもへり。就中我国は神代よりの縁起、此宗の所説に符合せり。このゆゑにや唐朝に流布せしはしばらくのことにて、則日本にとゞまりぬ。又相応の宗なりと云もことわりにや。大唐の内道場に准じて宮中に真言院をたつ。大師奏聞して毎年正月この所にて御修法あり。国土安穏の祈祷、稼穡豊饒の秘法也。又十八日の観音供、晦日の御念誦等も宗によりて深意あるべし。三流の真言いづれと云べきならねど、真言をもて諸宗の第一とすることもむねと東寺によれり。延喜の御宇に綱所の印鎰を東寺の一阿闍梨にあづけらる。仍法務のことを知行して諸宗の一座たり。
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『神皇正統記』巻四 第五十二代 嵯峨天皇第五十二代、第二十九世、嵯峨天皇は桓武第二の子、平城同母の弟也。太弟に立給へりしが、己丑年即位、庚寅に改元。此天皇幼年より聡明にして読書を好、諸芸を習給。又謙譲の大度もましましけり。桓武帝鍾愛無双の御子になんおはしける。儲君にゐ給けるも父のみかど継体のために顧命しましましけるにこそ。格式なども此御時よりえらびはじめられにき。又深仏法をあがめ給。先世に美濃国神野と云所にたふとき僧ありけり。橘太后の先世にねむごろに給仕しけるを感じて相共に再誕ありとぞ。御諱を神野と申けるも自然にかなへり。伝教弘法両大師唐より伝へ給し天台・真言の両宗も、この御時よりひろまり侍ける。此両師直也人におはせず。伝教入唐以前より比叡山をひらきて練行せられけり。今の根本中堂の地をひかれけるに、八の舌ある鎰をもとめいでゝ唐までもたれたり。天台山にのぼりて智者大師六代の正統道邃和尚に謁して、その宗をならはれしに、彼山に智者帰寂より以来鎰をうしなひてひらかざる一蔵ありき。
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『神皇正統記』巻四 第五十二代 嵯峨天皇山門・寺門は天台をむねとするゆゑにや、顕密をかねたれど宗の長をも天台座主と云めり。此天皇諸宗を並て興ぜさせ給けり。中にも伝教・弘法御帰依ふかゝりき。伝教始て円頓の戒壇をたつべきよし奏せられしを、南京の諸宗表を上てあらそひ申ししかど、つひに戒壇の建立をゆるされ、本朝四け所の戒場となる。弘法はことさら師資の御約ありければ、おもくし給けるとぞ。此両宗の外、華厳・三論は東大寺にこれをひろめらる。彼華厳は唐の杜順和尚よりさかりになれりしを、日本の朗弁僧正伝へて東大寺に興隆す。此寺は則此宗によりて建立せられけるにや、大華厳寺と云名あり。三論は東晋の同時に後秦と云国に、羅什三蔵と云師来て、此宗をひらきて世に伝へたり。孝徳の御世に高麗の僧恵潅来朝して伝へ始ける。しからば最前流布の教にや。其後道慈律師請来して大安寺にひろめき。今は華厳とならびて東大寺にあり。法相は興福寺にあり。唐玄弉三蔵天竺より伝へて国にひろめらる。
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『神皇正統記』巻四 第五十二代 嵯峨天皇心みに此鎰にてあけらるゝにとゞこほらず。一山こぞりて渇仰しけり。仍一宗の奥義のこる所なく伝られたりとぞ。其後慈覚・智証両大師又入唐して天台・真言をきはめならひて、叡山にひろめられしかば、彼門風いよいよさかりになりて天下に流布せり。唐国みだれしより経教おほくうせぬ。道邃より四代にあたれる義寂と云人まで、たゞ観心を伝へて宗義をあきらむることたえにけるにや。呉越国の忠懿王此宗のおとろへぬることをなげきて、使者十人をさして、我朝におくり、教典をもとめしむ。ことごとくうつしをはりてかへりぬ。義寂これを見あきらめて、更に此宗を再興す。もろこしには五代の中、後唐の末ざまなりければ、我朝には朱雀天皇の御代にやあたりけん。日本よりかへしわたしたる宗なれば、此国の天台宗はかへりて本となるなり。凡伝教彼宗の秘密を伝へられたることもことごとく一宗の論疏をうつし、国にかへれることも異朝の書にみえたり。弘法は母懐胎の始、夢に天竺の僧来りて宿をかり給けりとぞ。
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