導師導古典を学びたいすべての人に

神皇正統記 / 巻三 第三十四代 推古天皇

第三十四代、推古天皇は欽明の御女、用明同母の御妹也。御食炊屋姫の尊と申。敏達天皇々后とし給。崇峻かくれ給しかば、癸丑年即位。大倭の小墾田の宮にまします。昔神功皇后六十余年天下を治給しかども、摂政と申て、天皇とは号したてまつらざるにや。此みかどは正位につき給にけるにこそ。即厩戸の皇子を皇太子として万機の政をまかせ給。摂政と申き。太子の監国と云こともあれど、それはしばらくの事也。これはひとへに天下を治給けり。太子聖徳まし〳〵しかば、天下の人つくこと日の如く、仰ぐこと雲の如し。太子いまだ皇子にてまし〳〵し時、逆臣守屋を誅し給しより、仏法始て流布しき。まして政をしらせ給へば、三宝を敬、正法をひろめ給こと、仏世にもことならず。又神通自在にまし〳〵き。御身づから法服を着して、経を講じ給しかば、天より花をふらし、放光動地の瑞ありき。天皇・群臣、たふとびあがめ奉ること仏のごとし。伽藍をたてらるゝ事四十余け所におよべり。

書き下し

第三十四代、推古天皇は欽明の御女、用明同母の御妹也。御食炊屋姫の尊と申。敏達天皇々后とし給。崇峻かくれ給しかば、癸丑年即位。大倭の小墾田の宮にまします。昔神功皇后六十余年天下を治給しかども、摂政と申て、天皇とは号したてまつらざるにや。此みかどは正位につき給にけるにこそ。即厩戸の皇子を皇太子として万機の政をまかせ給。摂政と申き。太子の監国と云こともあれど、それはしばらくの事也。これはひとへに天下を治給けり。太子聖徳ましまししかば、天下の人つくこと日の如く、仰ぐこと雲の如し。太子いまだ皇子にてましましし時、逆臣守屋を誅し給しより、仏法始て流布しき。まして政をしらせ給へば、三宝を敬、正法をひろめ給こと、仏世にもことならず。又神通自在にましましき。御身づから法服を着して、経を講じ給しかば、天より花をふらし、放光動地の瑞ありき。天皇・群臣、たふとびあがめ奉ること仏のごとし。伽藍をたてらるゝ事四十余け所におよべり。

現代語訳

第三十四代、推古天皇は欽明天皇の娘で、用明天皇と同じ母の妹である。豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)と申し上げる。敏達天皇が皇后とされた。崇峻天皇が崩御されたので、癸丑の年に即位された。大和の小墾田宮(おはりだのみや)におられた。昔、神功皇后は六十余年天下を治められたが、摂政と申して、天皇とはお呼び申し上げなかったのであろうか。この帝は正式の位に即かれたのである。すなわち厩戸皇子を皇太子として、あらゆる政務をお任せになった。これを摂政と申した。太子が国を監するということもあるが、それは一時的なことである。これはひとえに天下を治められたのである。太子は聖なる徳をお持ちであったので、天下の人々が付き従うさまは日に向かうようで、仰ぐさまは雲を望むようであった。太子がまだ皇子であられた時、逆臣守屋を誅されてから、仏法がはじめて広まった。まして政治をお執りになったので、三宝を敬い、正しい法を広められることは、仏の在世にも変わらなかった。また神通力が自在であられた。ご自身で法衣を着て経を講じられると、天から花が降り、光が放たれ大地が揺れる瑞兆があった。天皇も群臣も、尊び崇め申し上げることは仏に対するようであった。寺院を建てられたことは四十余か所に及んだ。

解説

推古天皇は最初の女帝であり、親房はまずその位置づけをはっきりさせる。神功皇后は六十余年治めても摂政であって天皇とは数えないが、推古は正式に位に即いたと区別する。そのうえで厩戸皇子を皇太子として政を任せたことを摂政と呼び、中国の太子の監国のような一時の代行ではなく、まさに天下を治めたのだとする。女帝が位にあり、実際の政は皇太子が執るという形が、ここで初めて示される。親房の太子評は極めて高い。人々が日のように付き従い雲のように仰いだと書き、仏法を広めたことを仏の在世に等しいとまで言う。講経の場に花が降り大地が動いたという奇瑞も、太子の伝記に伝わるものをそのまま引く。名目上の長と実務を担う者を分けて、それが見事に機能した例として、親房はこの時代を描いている。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る