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神皇正統記 / 巻三 第三十一代 敏達天皇

第三十一代、第二十二世、敏達天皇は欽明第二の子。御母石媛の皇女、宣化天皇の女也。壬辰年即位。大倭磐余訳語田の宮にまします。二年癸巳年、天皇の御弟豊日皇子の妃、御子を誕生す。厩戸の皇子にまします。生給しよりさま〴〵の奇瑞あり。たゞ人にましまさず。御手をにぎり給しが、二歳にて東方にむきて、南无仏とてひらき給しかば、一の舎利ありき。仏法流布のために権化し給へること疑なし。此仏舎利は今に大倭の法隆寺にあがめ奉る。天皇天下を治給こと十四年。六十一歳おまし〳〵き。

書き下し

第三十一代、第二十二世、敏達天皇は欽明第二の子。御母石媛の皇女、宣化天皇の女也。壬辰年即位。大倭磐余訳語田の宮にまします。二年癸巳年、天皇の御弟豊日皇子の妃、御子を誕生す。厩戸の皇子にまします。生給しよりさまざまの奇瑞あり。たゞ人にましまさず。御手をにぎり給しが、二歳にて東方にむきて、南无仏とてひらき給しかば、一の舎利ありき。仏法流布のために権化し給へること疑なし。此仏舎利は今に大倭の法隆寺にあがめ奉る。天皇天下を治給こと十四年。六十一歳おましましき。

現代語訳

第三十一代、第二十二世、敏達天皇は欽明天皇の第二の子である。母は石媛皇女(いしひめのひめみこ)で、宣化天皇の娘である。壬辰の年に即位された。大和の磐余訳語田宮(いわれのおさだのみや)におられた。治世二年癸巳の年、天皇の御弟の豊日皇子の妃が御子を産んだ。厩戸皇子(うまやどのみこ)であられる。お生まれになった時からさまざまな不思議なしるしがあった。ただの人ではいらっしゃらなかった。御手を握っておられたが、二歳のとき東に向かって「南無仏」と唱えて開かれると、一粒の舎利があった。仏法を広めるために仏が仮に人の姿をとって現れられたことは疑いない。この仏舎利は今も大和の法隆寺で崇め申し上げている。天皇が天下を治められたのは十四年で、六十一歳であられた。

解説

敏達天皇は第二十二世とされ、正統の筋に立つ。ところが記事の大半は天皇自身ではなく、甥の厩戸皇子、のちの聖徳太子の誕生に割かれる。生まれながらの奇瑞、二歳で東を向いて南無仏と唱えて手を開くと舎利があったという話は、太子の伝記に古くから伝わるもので、親房はそれを「権化し給へること疑なし」と断言する。仏や菩薩が人の姿で現れたものと見るのである。この舎利が今も法隆寺にあると書き添えて、伝承を親房の時代の現物につないでいる。親房は太子を、仏法を広め政を整えた理想の執政として描いており、この後の推古天皇の条でその評価はさらに明確になる。天皇の記事の中に、天皇以上に筆が費やされる人物がいる。その配分自体が、誰がその時代を動かしたかという親房の判断を示している。

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