神皇正統記 / 巻三 第二十七代 継体天皇〜第二十九代 宣化天皇
天下を治給こと二十五年。八十歳おまし〳〵き。 ○第二十八代、安閑天皇は継体の太子。御母は目子姫、尾張の草香の連の女也。甲寅年即位。大和の勾金橋の宮にまします。天下を治給こと二年。七十歳おまし〳〵き。 ○第二十九代、宣化天皇は継体第二の子、安閑同母の弟也。丙辰の年即位。大和の檜隈廬入野の宮にまします。天下を治給こと四年。七十三歳おまし〳〵き。
書き下し
天下を治給こと二十五年。八十歳おましましき。 ○第二十八代、安閑天皇は継体の太子。御母は目子姫、尾張の草香の連の女也。甲寅年即位。大和の勾金橋の宮にまします。天下を治給こと二年。七十歳おましましき。 ○第二十九代、宣化天皇は継体第二の子、安閑同母の弟也。丙辰の年即位。大和の檜隈廬入野の宮にまします。天下を治給こと四年。七十三歳おましましき。
現代語訳
天下を治められたのは二十五年で、八十歳であられた。第二十八代、安閑天皇は継体天皇の太子である。母は目子媛(めのこひめ)で、尾張草香連(おわりのくさかのむらじ)の娘である。甲寅の年に即位された。大和の勾金橋宮(まがりのかなはしのみや)におられた。天下を治められたのは二年で、七十歳であられた。第二十九代、宣化天皇は継体天皇の第二の子で、安閑天皇と同じ母の弟である。丙辰の年に即位された。大和の檜隈廬入野宮(ひのくまのいおりののみや)におられた。天下を治められたのは四年で、七十三歳であられた。
解説
継体の治世の結びと、その子安閑・宣化の即位を記す。二人はいずれも尾張の豪族の娘である目子媛の子で、継体が越前にいた頃からの子である。親房はどちらにも「第何世」を付けていない。次の欽明天皇が「第二十一世」とされ、その欽明は継体と仁賢の娘の手白香皇女との子である。つまり年長の兄二人が先に位に即いても、正統の筋は弟の欽明の側に通るというのが親房の見方で、それが次の段で「御母方も仁徳のながれ」と説明される。系譜の記事は干支や宮や年齢の並びにすぎないように見えて、どこに「世」を付け、どこに付けないかで、親房の歴史観がはっきり示されている。安閑の二年、宣化の四年という短い治世も、中継ぎの色合いを帯びて読める。年齢や年数は『日本書紀』以来の伝承の数字であり、史実とは限らない。
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