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神皇正統記 / 巻二 第十七代 仁徳天皇〜第十九代 反正天皇

天下を治給こと八十七年。百十歳おまし〳〵き。 ○第十八代、履中天皇は仁徳の太子。御母磐之姫の命、葛城の襲津彦の女也。庚子の年即位。又大和の磐余稚桜の宮にまします。後の稚桜の宮と申。天下を治給こと六年。六十七歳おまし〳〵き。 ○第十九代、反正天皇は仁徳第三の子、履中同母の弟也。丙午年即位。河内の丹比の柴籬の宮にまします。天下を治給こと六年。六十歳おまし〳〵き。

書き下し

天下を治給こと八十七年。百十歳おましましき。 ○第十八代、履中天皇は仁徳の太子。御母磐之姫の命、葛城の襲津彦の女也。庚子の年即位。又大和の磐余稚桜の宮にまします。後の稚桜の宮と申。天下を治給こと六年。六十七歳おましましき。 ○第十九代、反正天皇は仁徳第三の子、履中同母の弟也。丙午年即位。河内の丹比の柴籬の宮にまします。天下を治給こと六年。六十歳おましましき。

現代語訳

仁徳天皇が天下を治められたのは八十七年で、百十歳であられた。第十八代、履中天皇は仁徳天皇の太子である。母は磐之媛命(いわのひめのみこと)で、葛城襲津彦(かずらきのそつひこ)の娘である。庚子の年に即位された。やはり大和の磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや)におられた。後の稚桜宮と申し上げる。天下を治められたのは六年で、六十七歳であられた。第十九代、反正天皇は仁徳天皇の第三の子で、履中天皇と同じ母の弟である。丙午の年に即位された。河内の丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや)におられた。天下を治められたのは六年で、六十歳であられた。

解説

仁徳の治世の結びと、その子二人の即位を並べた短い記事である。何代目か、誰の子か、母は誰の娘か、即位の干支、宮、治世の年数、崩じた年齢という、この書の系譜記事の型がよく見える。履中の宮を「又」大和の磐余稚桜と書き「後の稚桜の宮」と呼ぶのは、同じ地に神功皇后の宮があったからである。見落とせないのは、仁徳・履中・反正のいずれにも「第何世」が記されないことだ。この書は「代」とは別に「世」を数え、それは今の天皇へ父から子へとつながる筋にある人だけに付く。仁徳の皇統はやがて武烈で絶え、位は応神の別の子の末である継体へ移るので、仁徳の系統は代には数えても世には数えられない。聖帝とたたえた仁徳でさえ、正統の筋からは外して記す。百十歳という年齢は『日本書紀』以来の伝承の数字で、史実とは限らない。

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