神皇正統記 / 巻二 第三代 安寧天皇〜第五代 孝昭天皇
第三代、安寧天皇は綏靖第二の子。御母五十鈴依姫、事代主の神のおと女也。癸丑の年即位。大和の片塩の浮穴の宮にまします。天下を治給こと三十八年。五十七歳おまし〳〵き。 ○第四代、懿徳天皇は安寧第二の子。御母渟名底中媛、事代主の神の孫也。辛卯年即位。大和の軽曲峡の宮にまします。天下を治給こと三十四年。七十七歳おはしましき。 ○第五代、孝昭天皇は懿徳第一の子。御母天豊津姫、息石耳の命の女也。父の天皇かくれまして一年ありて、丙寅の年即位。大和の掖の上池の心の宮にまします。天下を治給こと八十三年。百十四歳おはしましき。
書き下し
第三代、安寧天皇は綏靖第二の子。御母五十鈴依姫、事代主の神のおと女也。癸丑の年即位。大和の片塩の浮穴の宮にまします。天下を治給こと三十八年。五十七歳おましましき。 ○第四代、懿徳天皇は安寧第二の子。御母渟名底中媛、事代主の神の孫也。辛卯年即位。大和の軽曲峡の宮にまします。天下を治給こと三十四年。七十七歳おはしましき。 ○第五代、孝昭天皇は懿徳第一の子。御母天豊津姫、息石耳の命の女也。父の天皇かくれまして一年ありて、丙寅の年即位。大和の掖の上池の心の宮にまします。天下を治給こと八十三年。百十四歳おはしましき。
現代語訳
第三代、安寧天皇は綏靖天皇の第二の子。御母は五十鈴依姫で、事代主神の妹娘である。癸丑の年に即位。大和の片塩の浮穴の宮においでになる。天下を治められたことは三十八年。五十七歳でいらっしゃった。 ○第四代、懿徳天皇は安寧天皇の第二の子。御母は渟名底中媛で、事代主神の孫である。辛卯の年に即位。大和の軽の曲峡の宮においでになる。天下を治められたことは三十四年。七十七歳でいらっしゃった。 ○第五代、孝昭天皇は懿徳天皇の第一の子。御母は天豊津姫で、息石耳命の娘である。父の天皇が亡くなられて一年を経て、丙寅の年に即位。大和の掖上の池心の宮においでになる。天下を治められたことは八十三年。百十四歳でいらっしゃった。
解説
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