神皇正統記 / 巻三 第二十五代 仁賢天皇〜第二十六代 武烈天皇
第二十五代、仁賢天皇は顕宗同母の御兄也。雄略の我父の皇子をころし給しことをうらみて、「御陵をほりて御屍をはづかしめん。」との給しを、顕宗いさめまし〳〵しによりて、徳のおよばざることをはぢて、顕宗をさきだて給けり。戊申の年即位。大和の石上広高の宮にまします。天下を治給こと十一年。五十歳おまし〳〵き。 ○第二十六代、武烈天皇は仁賢の太子。御母大娘の皇女、雄略の御女也。己卯の年即位。大和の泊瀬列城の宮にまします。性さがなくまして、悪としてなさずと云ことなし。仍天祚も久からず。
書き下し
第二十五代、仁賢天皇は顕宗同母の御兄也。雄略の我父の皇子をころし給しことをうらみて、「御陵をほりて御屍をはづかしめん。」との給しを、顕宗いさめましまししによりて、徳のおよばざることをはぢて、顕宗をさきだて給けり。戊申の年即位。大和の石上広高の宮にまします。天下を治給こと十一年。五十歳おましましき。 ○第二十六代、武烈天皇は仁賢の太子。御母大娘の皇女、雄略の御女也。己卯の年即位。大和の泊瀬列城の宮にまします。性さがなくまして、悪としてなさずと云ことなし。仍天祚も久からず。
現代語訳
第二十五代、仁賢天皇は顕宗天皇と同じ母の兄である。雄略天皇が自分たちの父の皇子を殺されたことを恨んで、「その御陵を掘って御遺骸を辱めよう」とおっしゃったのを、顕宗天皇がいさめられたので、自分の徳が及ばないことを恥じて、顕宗天皇を先に立てられたのであった。戊申の年に即位された。大和の石上広高宮(いそのかみのひろたかのみや)におられた。天下を治められたのは十一年で、五十歳であられた。第二十六代、武烈天皇は仁賢天皇の太子である。母は大娘皇女(おおいらつめのひめみこ)で、雄略天皇の娘である。己卯の年に即位された。大和の泊瀬列城宮(はつせのなみきのみや)におられた。性質がひねくれておられて、悪いことはなさらないことがないほどであった。それゆえ天皇の位も長くは続かなかった。
解説
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