神皇正統記 / 巻二 第八代 孝元天皇〜第九代 開化天皇
第八代、孝元天皇は孝霊の太子。御母細媛、磯城県主の女也。丁亥年即位。大倭の軽境原の宮にまします。九年乙未の年、もろこしの秦滅て漢にうつりき。此天皇天下を治給こと五十七年。百十七歳おまし〳〵き。 ○第九代、開化天皇は孝元第二の子。御母鬱色謎姫、穂積の臣上祖鬱色雄命妹也。甲申年即位。大和の春日率川の宮にまします。天下を治給こと六十年。百十五歳おまし〳〵き。
書き下し
第八代、孝元天皇は孝霊の太子。御母細媛、磯城県主の女也。丁亥年即位。大倭の軽境原の宮にまします。九年乙未の年、もろこしの秦滅て漢にうつりき。此天皇天下を治給こと五十七年。百十七歳おましましき。 ○第九代、開化天皇は孝元第二の子。御母鬱色謎姫、穂積の臣上祖鬱色雄命妹也。甲申年即位。大和の春日率川の宮にまします。天下を治給こと六十年。百十五歳おましましき。
現代語訳
第八代、孝元天皇は孝霊天皇の太子。御母は細媛で、磯城県主の娘である。丁亥の年に即位。大倭の軽の境原の宮においでになる。九年乙未の年、中国の秦が滅んで漢に移った。この天皇が天下を治められたことは五十七年。百十七歳でいらっしゃった。 ○第九代、開化天皇は孝元天皇の第二の子。御母は鬱色謎姫で、穂積臣の遠祖である鬱色雄命の妹である。甲申の年に即位。大和の春日の率川の宮においでになる。天下を治められたことは六十年。百十五歳でいらっしゃった。
解説
孝元・開化の二代をまとめた段で、いわゆる欠史八代の最後にあたる。記事はここでも父母、即位の干支、宮、治世年数、年齢に限られ、治世五十七年で百十七歳、六十年で百十五歳という数字も伝承上のものである。そのなかで親房がわざわざ書き込んでいるのは、孝元天皇の九年に中国で秦が滅んで漢に代わったという一事だ。前の段では周が滅んで秦に移ったことを記していた。中国では王朝が次々に入れ替わる一方、日本では父から子へ位が伝わっていく。親房はその対比を論評として言葉にしてはいないが、二つの国の出来事を並べて書くだけで、読み手には違いが見えるように書いている。母の一人が穂積臣の祖の妹であることも、物部系の氏族と皇統が結びついていたことを示す。論じなくても、並べて見せるだけで伝わることがある。記録の書き方そのものが、主張になりうるのである。
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