古事記 / 中巻・開化天皇の系譜
此天皇。御年伍拾漆歲。御陵在劒池之中岡上也。若倭根子日子大毘毘命(開化)。坐春日之伊邪河宮。治天下也。此天皇。娶旦波之大縣主。名由碁理之女。竹野比賣。生御子。比古由牟須美命。(此王名以音)一柱。又娶庶母伊迦賀色許賣命。生御子。御眞木入日子印惠命。(印惠二字以音)次御眞津比賣命。二柱。又娶丸邇臣之祖。日子國意祁都命之妹。意祁都比賣命。(意祁都三字以音)生御子。日子坐王。一柱。又娶葛城之垂見宿禰之女。鵜比賣。生御子。建豐波豆羅和氣王。(自波下五字以音)一柱。此天皇之御子等。幷五柱。(男王四。女王一。)故御眞木入日子印惠命(崇神)者。治天下也。其兄比古由牟須美王之子。大筒木垂根王。
新字:此天皇。御年伍拾漆歳。御陵在劒池之中岡上也。若倭根子日子大毘毘命(開化)。坐春日之伊邪河宮。治天下也。此天皇。娶旦波之大県主。名由碁理之女。竹野比売。生御子。比古由牟須美命。(此王名以音)一柱。又娶庶母伊迦賀色許売命。生御子。御真木入日子印恵命。(印恵二字以音)次御真津比売命。二柱。又娶丸邇臣之祖。日子国意祁都命之妹。意祁都比売命。(意祁都三字以音)生御子。日子坐王。一柱。又娶葛城之垂見宿祢之女。鵜比売。生御子。建豊波豆羅和気王。(自波下五字以音)一柱。此天皇之御子等。幷五柱。(男王四。女王一。)故御真木入日子印恵命(崇神)者。治天下也。其兄比古由牟須美王之子。大筒木垂根王。
書き下し
この天皇、御年五十七歳。御陵は剣池の中岡の上にあり。若倭根子日子大毘毘命(開化)、春日の伊邪河宮に坐しまして、天の下を治らしめしき。この天皇、旦波の大県主、名は由碁理の女、竹野比売を娶して、御子、比古由牟須美命(この王の名は音を以ゐよ)、一柱を生みたまひき。また庶母伊迦賀色許売命を娶して、御子、御真木入日子印恵命(印恵の二字は音を以ゐよ)、次に御真津比売命、二柱を生みたまひき。また丸邇臣の祖、日子国意祁都命の妹、意祁都比売命(意祁都の三字は音を以ゐよ)を娶して、御子、日子坐王、一柱を生みたまひき。また葛城の垂見宿禰の女、鵜比売を娶して、御子、建豊波豆羅和気王(波より下の五字は音を以ゐよ)、一柱を生みたまひき。この天皇の御子等、併せて五柱。(男王四、女王一。)かれ御真木入日子印恵命(崇神)は天の下を治らしめしき。その兄比古由牟須美王の子、大筒木垂根王、
現代語訳
孝元天皇は御年五十七歳で、御陵は剣池の中岡の上にあります。若倭根子日子大毘毘命(開化天皇)は春日の伊邪河宮にいて天下を治めました。この天皇は旦波の大県主、由碁理の娘の竹野比売を妻とし、御子の比古由牟須美命を生みました。一柱です。また庶母にあたる伊迦賀色許売命を妻とし、御子として御真木入日子印恵命、次に御真津比売命の二柱を生みました。また丸邇臣の祖先、日子国意祁都命の妹の意祁都比売命を妻とし、御子の日子坐王を生みました。一柱です。また葛城の垂見宿禰の娘の鵜比売を妻とし、御子の建豊波豆羅和気王を生みました。一柱です。この天皇の御子は合わせて五柱で、男の王が四人、女の王が一人です。このうち御真木入日子印恵命(崇神天皇)が天下を治めました。その兄の比古由牟須美王の子が、大筒木垂根王、
解説
この章句が説くこと
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『玉勝間』十三の巻 臣の王を娶る事記略に、延暦十二年九月丙戌の詔に、見任の大臣、良家の子孫、三世以下を娶るを許す、但し藤原氏は、累代相承けて、摂政絶えず、此を以てこれを論ずれば、等しきに因るべからず、殊に二世以下を娶るを聴すべしと見えたり。そもそも古は、皇女はさらにも申さず、すべて臣の、王の女を娶ることは、ゆるされぬ事にて、さる事かつて無かりしを、継嗣令に、臣五世の王を娶るは聴すとあるは、令の時、始めての御制にや有りけむ。そのかみ万の事、さしも漢風にうつされしかども、これらはさすがに、人の情の安からざる事なれば、延暦の頃になりてすら、なお上の件の如くなりけらし。令のかの同じつづきに、王は親王を娶り、ただ五世の王は、親王を娶るを得ずとも見えて、諸王は、四世までも、皇女をも娶りしを、臣は、そのかみわずかに、五世の女王を娶ることをゆるされしを以て、王と臣と、すじの尊き卑しきけじめ、厳なりしことを知るべし。夫婦のむすびをなすことも、尊き卑しきけじめ、かばかり正しかりしを、そののち何事もみな、漸に漢風にうつりはてて、ついに今の如くには成りぬるなり。世の人ただ、同姓娶らずなど云う、漢風の事をのみ、思い云いて、皇国の古に、かばかり尊き卑しきけじめを分けし事をば、知らざめる故に、今いささかおどろかすなり。
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