神皇正統記 / 巻二 第一代 神武天皇
天児屋根命の孫天種子の命、天太玉の命[の]孫天富の命もはら神事をつかさどる。神代の例にことならず。又霊畤を鳥見山の中にたてゝ、天神・地祇をまつらしめ給。此御代の始、辛酉の年、もろこしの周の世、第十七代にあたる君、恵王の十七年也。五十七年丁巳は周の二十一代の君、定王の三年にあたれり。ことし老子誕生す。是は道教の祖也。天竺の釈迦如来入滅し給しより元年辛酉までは二百九十年になれるか。此天皇天下を治給こと七十六年。一百二十七歳おはしき。
書き下し
天児屋根命の孫天種子の命、天太玉の命の孫天富の命もはら神事をつかさどる。神代の例にことならず。又霊畤を鳥見山の中にたてゝ、天神・地祇をまつらしめ給。此御代の始、辛酉の年、もろこしの周の世、第十七代にあたる君、恵王の十七年也。五十七年丁巳は周の二十一代の君、定王の三年にあたれり。ことし老子誕生す。是は道教の祖也。天竺の釈迦如来入滅し給しより元年辛酉までは二百九十年になれるか。此天皇天下を治給こと七十六年。一百二十七歳おはしき。
現代語訳
天児屋根命の孫の天種子命と、天太玉命の孫の天富命が、もっぱら神事をつかさどる。神代の例と異ならない。また霊畤(まつりのにわ)を鳥見山の中に立てて、天神・地祇を祭らせられた。この御代の初めの辛酉の年は、中国の周の世の第十七代の君主、恵王の十七年である。五十七年丁巳は周の第二十一代の君主、定王の三年にあたる。この年、老子が誕生した。これは道教の祖である。天竺の釈迦如来が入滅されてから元年辛酉までは二百九十年になるのか。この天皇が天下を治められたことは七十六年。一百二十七歳でいらっしゃった。
解説
神武天皇の段の結びである。中臣氏の祖の天種子命と、忌部氏の祖の天富命が神事をつかさどり、神代と同じ形で祭りが行われたと記す。天孫降臨のときに皇孫を助けるよう命じられた二神の子孫が、人の代になってもその役目を受け継いでいるのである。続いて親房は、神武の即位の辛酉の年を周の恵王十七年に当て、在位中に老子が生まれたこと、釈迦の入滅から二百九十年であることを書き添える。日本の建国を、中国と天竺の歴史の同じ時点に置いて示しているのである。即位を辛酉の年とするのは、辛酉の年に大きな変革が起こるという中国の讖緯説に拠って日本書紀が定めたものと考えられており、在位七十六年、百二十七歳という数字も伝承のもので、史実とは限らない。それでも、祭りを担う家の役目を代々引き継がせたことは、この国の制度の骨格として長く続いた。
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