神皇正統記 / 巻一 地神第五代 鸕鶿草葺不合尊
第五代、彦波激武鸕鶿草葺不合尊と申。御母豊玉姫の名づけ申ける御名なり。御姨玉依姫にとつぎて四はしらの御子をうましめ給ふ。彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命、日本磐余彦の尊と申す。磐余彦尊を太子に立てて天日嗣をなんつがしめまし〳〵ける。此神の御代七十七万余年の程にや、もろこしの三皇の初、伏犠と云王あり。次、神農氏、次、軒轅氏、三代あはせて五万八千四百四十年。其後に少昊氏、顓頊氏、高辛氏、陶唐氏、有虞氏と云五帝あり。合て四百三十二年。其次、夏・殷・周の三代あり。夏には十七主、四百三十二年。殷には三十主、六百二十九年。周の代と成て第四代の主を昭王と云き。その二十六年甲寅の年までは周おこりて一百二十年。このとしは葺不合尊の八十三万五千六百六十七年にあたれり。ことし天竺に釈迦仏出世しまします。同き八十三万五千七百五十三年に、仏御年八十にて入滅しまし〳〵けり。もろこしには昭王の子、穆王の五十三年壬甲にあたれり。其後二百八十九年ありて、庚申にあたる年、此神かくれさせまします。
書き下し
第五代、彦波激武鸕鶿草葺不合尊と申。御母豊玉姫の名づけ申ける御名なり。御姨玉依姫にとつぎて四はしらの御子をうましめ給ふ。彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命、日本磐余彦の尊と申す。磐余彦尊を太子に立てて天日嗣をなんつがしめましましける。此神の御代七十七万余年の程にや、もろこしの三皇の初、伏犠と云王あり。次、神農氏、次、軒轅氏、三代あはせて五万八千四百四十年。其後に少昊氏、顓頊氏、高辛氏、陶唐氏、有虞氏と云五帝あり。合て四百三十二年。其次、夏・殷・周の三代あり。夏には十七主、四百三十二年。殷には三十主、六百二十九年。周の代と成て第四代の主を昭王と云き。その二十六年甲寅の年までは周おこりて一百二十年。このとしは葺不合尊の八十三万五千六百六十七年にあたれり。ことし天竺に釈迦仏出世しまします。同き八十三万五千七百五十三年に、仏御年八十にて入滅しましましけり。もろこしには昭王の子、穆王の五十三年壬甲にあたれり。其後二百八十九年ありて、庚申にあたる年、此神かくれさせまします。
現代語訳
第五代は彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊と申しあげる。御母の豊玉姫が名づけ申しあげた御名である。叔母の玉依姫と結ばれて、四柱の御子をお生みになった。彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命、日本磐余彦尊と申しあげる。磐余彦尊を太子に立てて天日嗣を継がせられた。この神の御代七十七万余年の頃であろうか、中国の三皇の初めに伏犠という王がいた。次に神農氏、次に軒轅氏、三代合わせて五万八千四百四十年。その後に少昊氏・顓頊氏・高辛氏・陶唐氏・有虞氏という五帝がいた。合わせて四百三十二年。その次に夏・殷・周の三代がある。夏には十七主、四百三十二年。殷には三十主、六百二十九年。周の代となって第四代の君主を昭王といった。その二十六年甲寅の年までは、周が興って一百二十年。この年は葺不合尊の八十三万五千六百六十七年にあたる。この年、天竺に釈迦仏が世に出られた。同じく八十三万五千七百五十三年に、仏は御年八十で入滅された。中国では昭王の子の穆王の五十三年壬申にあたる。その後二百八十九年を経て、庚申にあたる年に、この神は亡くなられた。
解説
関連する章句
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『神皇正統記』巻一 地神第五代 鸕鶿草葺不合尊すべて天下を治給こと八十三万六千四十三年と云り。これより上つかたを地神五代とは申けり。二代は天上にとゞまり給。下三代は西の州宮にて多の年をおくりまします。神代のことなれば、其行迹たしかならず。葺不合の尊八十三万余年ましまししに、その御子磐余彦尊の御代より、にはかに人王の代となりて、暦数も短くなりにけること疑ふ人もあるべきにや。されど、神道の事おしてはかりがたし。まことに磐長姫の詛けるまゝ寿命も短くなりしかば、神のふるまひにもかはりて、やがて人の代となりぬるか。天竺の説の如く次第ありて減たりとはみえず。又百王ましますべしと申める。十々の百には非るべし。窮なきを百とも云り。百官百姓など云にてしるべき也。昔、皇祖天照太神天孫の尊に御ことのりせしに、「宝祚之隆当与天壌無窮。」とあり。天地も昔にかはらず。日月も光をあらためず。況や三種の神器世に現在し給へり。きはまりあるべからざるは我国を伝る宝祚也。あふぎてたつとびたてまつるべきは日嗣をうけ給すべらぎになんおはします。
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『神皇正統記』巻二 第一代 神武天皇天児屋根命の孫天種子の命、天太玉の命の孫天富の命もはら神事をつかさどる。神代の例にことならず。又霊畤を鳥見山の中にたてゝ、天神・地祇をまつらしめ給。此御代の始、辛酉の年、もろこしの周の世、第十七代にあたる君、恵王の十七年也。五十七年丁巳は周の二十一代の君、定王の三年にあたれり。ことし老子誕生す。是は道教の祖也。天竺の釈迦如来入滅し給しより元年辛酉までは二百九十年になれるか。此天皇天下を治給こと七十六年。一百二十七歳おはしき。
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『神皇正統記』巻一 地神第三代 瓊々杵尊天孫のあやめ給ければ、はらたちて無戸室をつくりてこもりゐて、みづから火をはなちしに、三人の御子生給。ほのほのおこりける時、生ますを火闌降の命と云ふ。火のさかりなりしに生ますを火明命と云ふ。後に生ますを火火出見の尊と申。此三人の御子をば火もやかず、母の神もそこなはれ給はず。父の神悦ましましけり。此尊天下を治給事三十万八千五百三十三年と云へり。自是さき、天上にとゞまります神達の御事は年序はかりがたきにや。天地わかれしより以来のこと、いくとせをへたりと云こともみえたる文なし。抑、天竺の説に、人寿無量なりしが八万四千歳になり、それより百年に一年を減じて百二十歳の時釈迦仏出で給と云る、此仏出世は鸕鶿草葺不合尊のすゑざまの事なれば、百年に一年を増してこれをはかるに、此瓊々杵の尊の初つかたは迦葉仏の出給ける時にやあたり侍らん。人寿二万歳の時、此仏は出給けりとぞ。
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『神皇正統記』巻一 地神第四代 彦火々出見尊満珠をいだしてねぎ給へば、塩みちきて、このかみおぼれぬ。なやまされて、「俳優の民とならん。」とちかひ給しかば、ひる珠をもちて塩をしりぞけ給き。これより天日嗣をつたへましましける。海中にて豊玉姫はらみ給しかば、「産期にいたらば、海辺に産屋を作て待給へ。」と申き。はたして其妹玉依姫をひきゐて、海辺に行あひぬ。屋を作て鸕鶿の羽にてふかれしが、ふきもあへず、御子うまれ給によりて鸕鶿草葺不合尊と申す。又産屋をうぶやと云事もうのはをふけるゆゑなりとなん。さても「産の時み給な。」と契申しを、のぞきて見ましければ、龍になりぬ。はぢうらみて、「われにはぢみせ給はずは、海陸をして相かよはしへだつることなからまし。」とて、御子をすておきて海中へかへりぬ。後に御子のきらきらしくましますことをきゝて憐み崇めて、妹の玉依姫を奉て養ひまゐらせけるとぞ。此尊、天下を治給こと六十三万七千八百九十二年と云へり。震旦の世の始をいへるに、万物混然としてあひはなれず。是を混沌と云ふ。
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『神皇正統記』巻二 第一代 神武天皇人皇第一代、神日本磐余彦天皇と申。後に神武となづけたてまつる。地神鸕鶿草葺不合の尊の第四の子。御母玉依姫、海神小童第二の女也。伊弉諾尊には六世、大日孁の尊には五世の天孫にまします。神日本磐余彦と申は神代よりのやまとことばなり。神武は中古となりて、もろこしの詞によりてさだめたてまつる御名也。又此御代より代ごとに宮所をうつされしかば、其所を名づけて御名とす。此天皇をば橿原の宮と申、是也。又神代より至て尊を尊と云、其次を命と云ふ。人の代となりては天皇とも号したてまつる。臣下にも朝臣・宿禰・臣などと、いふ号いできにけり。神武の御時よりはじまれる事なり。上古には尊とも命とも兼て称けるとみえたり。世くだりては天皇を尊と申こともみえず、臣を命と云事もなし。古語の耳なれずなれるゆゑにや。此天皇御年十五にて太子に立、五十一にて父神にかはりて皇位にはつかしめ給。ことし辛酉なり。筑紫日向の宮崎の宮におはしましけるが、兄の神達および皇子群臣に勅して、東征のことあり。
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『神皇正統記』巻一 地神第四代 彦火々出見尊其後軽清物は天となり、重濁物は地となり、中和気は人となる。これを三才と云。其はじめの君盤古氏、天下を治こと一万八千年。天皇・地皇・人皇など云王相続て、九十一代一百八万二千七百六十年。さきにあはせて一百十万七百六十年。広雅と云書には、開闢より獲麟に至て二百七十六万歳とも云ふ。獲麟とは孔子の在世、魯の哀公の時なり。日本の懿徳にあたる。しからば、盤古のはじめは此尊の御代のすゑつかたにあたるべきにや。
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