神皇正統記 / 巻二 第二代 綏靖天皇
第二代、綏靖天皇[は]神武第二[の]御子。御母鞴五十鈴姫、事代主の神の女也。父の天皇かくれまして、みとせありて即位し給。庚辰年也。大和葛城高岡の宮にまします。三十一年庚戌の年もろこしの周の二十三代[の]君、霊王の二十一年也。ことし孔子誕生す。自是七十三年までおはしけり。儒教をひろめらる。此道は昔の賢王、唐堯、虞舜、夏の初の禹、殷のはじめの湯、周のはじめの文王・武王・周公の国を治め、民をなで給し道なれば、心を正しくし、身をなほくし、家を治め、国を治めて、天下におよぼすを宗とす。さればことなる道にはあらねども、末代となりて、人不正になりしゆゑに、其道ををさめて儒教をたてらるゝ也。天皇天下を治給こと三十三年。八十四歳おまし〳〵き。
書き下し
第二代、綏靖天皇は神武第二の御子。御母鞴五十鈴姫、事代主の神の女也。父の天皇かくれまして、みとせありて即位し給。庚辰年也。大和葛城高岡の宮にまします。三十一年庚戌の年もろこしの周の二十三代の君、霊王の二十一年也。ことし孔子誕生す。自是七十三年までおはしけり。儒教をひろめらる。此道は昔の賢王、唐堯、虞舜、夏の初の禹、殷のはじめの湯、周のはじめの文王・武王・周公の国を治め、民をなで給し道なれば、心を正しくし、身をなほくし、家を治め、国を治めて、天下におよぼすを宗とす。さればことなる道にはあらねども、末代となりて、人不正になりしゆゑに、其道ををさめて儒教をたてらるゝ也。天皇天下を治給こと三十三年。八十四歳おましましき。
現代語訳
第二代、綏靖天皇は神武天皇の第二の御子。御母は鞴五十鈴姫で、事代主神の娘である。父の天皇が亡くなられてから三年を経て即位された。庚辰の年である。大和の葛城の高岡の宮においでになる。三十一年庚戌の年は、中国の周の第二十三代の君主、霊王の二十一年である。この年、孔子が誕生した。これから七十三歳まで生きておられた。儒教を広められた。この道は、昔の賢王である唐堯・虞舜・夏の初めの禹・殷の初めの湯・周の初めの文王・武王・周公が国を治め、民をいつくしまれた道であるから、心を正しくし、身をまっすぐにし、家を治め、国を治めて、天下に及ぼすことを根本とする。だから本来は特別な道ではないのだが、末の世になって人が不正になったために、その道を修めて儒教を立てられたのである。天皇が天下を治められたことは三十三年。八十四歳でいらっしゃった。
解説
関連する章句
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