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中朝事実 / 皇統章・神武天皇の即位と三綱・皇統無窮の論

神日本磐余彥天皇。諱彥火火出見。彥波瀲武鸕鷀葺不合尊第四子也。及年四十五歲。謂諸兄及子等曰。昔我天神高皇產靈尊·大日孁尊。擧此豐葦原瑞穗國。而授我天祖彥火瓊瓊杵尊。於是火瓊瓊杵尊闢天開。披雲路。駈山躍以戾止。是時運屬鴻荒。時鍾草昧。故蒙以養正。治此西偏。皇祖·皇考·乃神·乃聖。積慶重暉。多歷年所。自天祖降跡以逮。于今一百七十九萬二千四百七十餘歲。而遼邈之地。猶未霑於王澤。遂使邑有君。村有長。各自分疆。用相凌躒。抑又聞於鹽土老翁。曰。東有美地。靑山四周。其中亦有乘天磐船飛降者。余謂。彼地必當足以恢弘天業。光宅天下。蓋六合之中心乎。遂東征定中州。 謹按。是人皇平於中州續天祖之降跡始也。 辛酉春正月庚辰朔。天皇卽帝位於大倭州橿原宮。是歲爲天皇元年。尊正妃爲皇后。立皇子神淳名川耳尊爲皇太子。 謹按。是天皇卽位之始也。初天神以磤馭廬島爲國中之柱。分巡國柱。天孫立於浮渚在平處。立宮殿。皆後世卽位之意也。洪濛之間悠久以養正。帝明達大雄。善繼乾靈之志。善述皇孫之事。一戎衣而東方服。故建人皇之洪基。開卽位之大禮。蓋卽位者何。天子卽大寶之位也。人君繼天建極。萬國以朝。元元以仰。四海始知。天子之可以崇。明明德於中州之義也。卽位之大禮。人君正綱紀於其始。豈可忽乎。自是代代聖主各行此儀於正殿。〔大極殿。謂朝堂殿。是也。〕大臣扶翼於左右。〔大神勅天兒屋命·太玉命。惟爾二神亦同侍殿內。善爲防護。是其義也。〕百官圍護以奉拜天儀。外國所謂正月元日舜格于文祖是也。元者始也·本也。元年者卽位之初年。深其根本於此。而不傾不拔之謂也。〔此時既有曆數紀年。店曆本者。百濟釋觀勒。推古十年獻之。〕立皇后者。正男女之別。明嫡媵之辨。懲廢奪之失。建太子者。〔在神武帝四十二年。〕著父子之親。嚴嫡庶之分。固宗廟之統也。故人君嚴卽位之禮。而後天下之君臣其分定。重后妃之道。而後天下之男女其別正。定建立之法。而後天下之父子親。三者人之大倫也。三綱立行則身修家齊治平之功。坐可以俟之。帝建皇極於人皇之始。定規模於萬世之上。而中國明知三綱之不可遺。故皇統一立。而億萬世襲之不變。天下皆受正朔。而不貳其時。萬國禀王命。而不異其俗。三綱終不沈淪。德化不陷塗炭。異域之外國豈可企望焉乎。夫外朝易姓殆三十姓。戎狄入王者數世。春秋二百四十餘年。臣子弑其國君者二十又五。況其先後之亂臣賊子不可枚擧也。朝鮮箕子受命以後。易姓四氏。滅其國而或爲郡縣。或高氏滅絕凡二世。彼李氏二十八年之間。弑王者四。況其先後之亂逆不異禽獸之相殘。唯中國自開闢至人皇。垂二百萬歲。自人皇迄于今日。過二千三百歲。而天神之皇統竟不違。其間弑逆之亂不可屈指數之。況外國之賊竟不得窺吾邊藩乎。後白川帝後。武家執權。既五百又餘年。其間未嘗無利皆長距以得擅場冠猴封豕縱火秋蓬之類。而猶貴王室存君臣之儀。是天神人皇之知德縣象著明。沒世不可忘也。其過化之功。綱紀之分。然悠久然無窮者。流出于至誠也。三綱既立。則條目之著在治政之極致。凡八紘之大。外國之汎。無如中州皇綱之化。文武之功。其至德豈不大乎哉。〔以上人皇之卽位。〕 以上論皇統之無窮。謹按。天下者神器。而人君者繫人物之命。其與授之間。豈存一人之私乎。皇統之初。天神以授之。天孫以受之。然乃其知德不愧天地。而後可謂神器之與授。凡天不言。人代言之。天下之人仰歸則天命之也。天下所歸仰更不他。唯在天祖眷眷之命而已。

新字:神日本磐余彦天皇。諱彦火火出見。彦波瀲武鸕鷀葺不合尊第四子也。及年四十五歳。謂諸兄及子等曰。昔我天神高皇産霊尊·大日孁尊。挙此豊葦原瑞穂国。而授我天祖彦火瓊瓊杵尊。於是火瓊瓊杵尊闢天開。披雲路。駈山躍以戻止。是時運属鴻荒。時鍾草昧。故蒙以養正。治此西偏。皇祖·皇考·乃神·乃聖。積慶重暉。多歴年所。自天祖降跡以逮。于今一百七十九万二千四百七十余歳。而遼邈之地。猶未霑於王沢。遂使邑有君。村有長。各自分疆。用相凌躒。抑又聞於塩土老翁。曰。東有美地。青山四周。其中亦有乗天磐船飛降者。余謂。彼地必当足以恢弘天業。光宅天下。蓋六合之中心乎。遂東征定中州。 謹按。是人皇平於中州続天祖之降跡始也。 辛酉春正月庚辰朔。天皇即帝位於大倭州橿原宮。是歳為天皇元年。尊正妃為皇后。立皇子神淳名川耳尊為皇太子。 謹按。是天皇即位之始也。初天神以磤馭廬島為国中之柱。分巡国柱。天孫立於浮渚在平処。立宮殿。皆後世即位之意也。洪濛之間悠久以養正。帝明達大雄。善継乾霊之志。善述皇孫之事。一戎衣而東方服。故建人皇之洪基。開即位之大礼。蓋即位者何。天子即大宝之位也。人君継天建極。万国以朝。元元以仰。四海始知。天子之可以崇。明明徳於中州之義也。即位之大礼。人君正綱紀於其始。豈可忽乎。自是代代聖主各行此儀於正殿。〔大極殿。謂朝堂殿。是也。〕大臣扶翼於左右。〔大神勅天児屋命·太玉命。惟爾二神亦同侍殿内。善為防護。是其義也。〕百官囲護以奉拝天儀。外国所謂正月元日舜格于文祖是也。元者始也·本也。元年者即位之初年。深其根本於此。而不傾不抜之謂也。〔此時既有暦数紀年。店暦本者。百済釈観勒。推古十年献之。〕立皇后者。正男女之別。明嫡媵之弁。懲廃奪之失。建太子者。〔在神武帝四十二年。〕著父子之親。厳嫡庶之分。固宗廟之統也。故人君厳即位之礼。而後天下之君臣其分定。重后妃之道。而後天下之男女其別正。定建立之法。而後天下之父子親。三者人之大倫也。三綱立行則身修家斉治平之功。坐可以俟之。帝建皇極於人皇之始。定規模於万世之上。而中国明知三綱之不可遺。故皇統一立。而億万世襲之不変。天下皆受正朔。而不貳其時。万国禀王命。而不異其俗。三綱終不沈淪。徳化不陥塗炭。異域之外国豈可企望焉乎。夫外朝易姓殆三十姓。戎狄入王者数世。春秋二百四十余年。臣子弑其国君者二十又五。況其先後之乱臣賊子不可枚挙也。朝鮮箕子受命以後。易姓四氏。滅其国而或為郡県。或高氏滅絶凡二世。彼李氏二十八年之間。弑王者四。況其先後之乱逆不異禽獣之相残。唯中国自開闢至人皇。垂二百万歳。自人皇迄于今日。過二千三百歳。而天神之皇統竟不違。其間弑逆之乱不可屈指数之。況外国之賊竟不得窺吾辺藩乎。後白川帝後。武家執権。既五百又余年。其間未嘗無利皆長距以得擅場冠猴封豕縦火秋蓬之類。而猶貴王室存君臣之儀。是天神人皇之知徳県象著明。没世不可忘也。其過化之功。綱紀之分。然悠久然無窮者。流出于至誠也。三綱既立。則条目之著在治政之極致。凡八紘之大。外国之汎。無如中州皇綱之化。文武之功。其至徳豈不大乎哉。〔以上人皇之即位。〕 以上論皇統之無窮。謹按。天下者神器。而人君者繋人物之命。其与授之間。豈存一人之私乎。皇統之初。天神以授之。天孫以受之。然乃其知徳不愧天地。而後可謂神器之与授。凡天不言。人代言之。天下之人仰帰則天命之也。天下所帰仰更不他。唯在天祖眷眷之命而已。

書き下し

神日本磐余彦天皇、諱は彦火火出見。彦波瀲武鸕鷀葺不合尊の第四子なり。年四十五歳に及び、諸兄及び子等に謂いて曰く、昔、我が天神高皇産霊尊・大日孁尊、此の豊葦原瑞穂国を挙げて、我が天祖彦火瓊瓊杵尊に授けたまえり。是に於いて火瓊瓊杵尊、天関を闢き、雲路を披き、駈山躍りて以て戻止る。是の時、運は鴻荒に属し、時は草昧に鍾る。故に蒙にして以て正を養い、此の西偏を治めたまう。皇祖・皇考、乃ち神、乃ち聖、慶を積み暉を重ね、多くの年所を歴たり。天祖の降跡より以逮、今に于りて一百七十九万二千四百七十余歳なり。而して遼邈の地、猶お未だ王沢に霑わず。遂に邑に君有り、村に長有りて、各おの自ら疆を分かち、用て相凌躒せしむ。抑も又た塩土老翁に聞く、東に美地有り、青山四周せり。其の中に亦た天磐船に乗りて飛び降る者有り、と。余謂えらく、彼の地は必ず以て天業を恢弘し、天下に光宅するに足るべし、蓋し六合の中心か、と。遂に東征して中州を定む。 謹んで按ずるに、是れ人皇、中州を平らげ、天祖の降跡を続ぐの始めなり。 辛酉春正月庚辰朔、天皇、帝位に大倭州の橿原宮に即く。是の歳を天皇元年と為す。正妃を尊びて皇后と為す。皇子神淳名川耳尊を立てて皇太子と為す。 謹んで按ずるに、是れ天皇即位の始めなり。初め天神、磤馭廬島を以て国中の柱と為し、分巡りて国柱す。天孫は浮渚の平処に立ち、宮殿を立つ。皆な後世の即位の意なり。洪濛の間、悠久にして以て正を養う。帝は明達大雄にして、善く乾霊の志を継ぎ、善く皇孫の事を述ぶ。一たび戎衣して東方服す。故に人皇の洪基を建て、即位の大礼を開く。蓋し即位とは何ぞ。天子、大宝の位に即くなり。人君、天を継ぎ極を建て、万国以て朝し、元元以て仰ぎ、四海始めて知る。天子の以て崇ぶべき、明徳を中州に明らかにするの義を。即位の大礼は、人君、綱紀を其の始めに正す。豈に忽せにすべけんや。是れより代代の聖主、各おの此の儀を正殿に行う。〔大極殿、朝堂殿と謂う、是れなり。〕大臣、左右に扶翼す。〔大神勅す、天児屋命・太玉命、惟れ爾二神も亦た同じく殿内に侍いて、善く防護を為せ、と。是れ其の義なり。〕百官、囲み護りて、以て天儀を奉拝す。外国の所謂る正月元日、舜、文祖に格る、是れなり。元とは始めなり、本なり。元年とは即位の初年にして、根本を此に深くして傾かず抜けざるの謂なり。〔此の時既に暦数紀年有り。店暦本とは、百済の釈観勒、推古十年之を献ず。〕皇后を立つるとは、男女の別を正し、嫡媵の辨を明らかにし、廃奪の失を懲らすなり。太子を建つとは、〔神武帝の四十二年に在り。〕父子の親を著し、嫡庶の分を厳にし、宗廟の統を固くするなり。故に人君、即位の礼を厳にして後、天下の君臣其の分定まる。后妃の道を重くして後、天下の男女其の別正し。建立の法を定めて後、天下の父子親しむ。三者は人の大倫なり。三綱立ち行わるれば、則ち身修まり家斉い、治平の功、坐して以て俟つべし。帝、皇極を人皇の始めに建て、規模を万世の上に定む。而して中国明らかに三綱の遺すべからざるを知る。故に皇統一たび立ちて、億万世襲いて変ぜず。天下皆な正朔を受けて其の時を貳つにせず、万国王命を禀けて其の俗を異にせず。三綱終に沈淪せず、徳化塗炭に陥らず。異域の外国、豈に企望すべけんや。夫れ外朝は姓を易うること殆ど三十姓。戎狄入りて王たること数世。春秋二百四十余年、臣子其の国君を弑する者二十又五。況んや其の先後の乱臣賊子は枚挙すべからず。朝鮮は箕子命を受けて以後、姓を易うること四氏、其の国を滅ぼして或いは郡県と為し、或いは高氏滅絶すること凡そ二世。彼の李氏の二十八年の間、王を弑する者四。況んや其の先後の乱逆は禽獣の相残うに異ならず。唯だ中国は開闢より人皇に至るまで、二百万歳に垂とし、人皇より今日に迄るまで二千三百歳を過ぐ。而して天神の皇統は竟に違わず。其の間の弑逆の乱は、指を屈して数うべからず。況んや外国の賊は竟に吾が辺藩を窺うを得ざるをや。後白河帝の後、武家執権すること既に五百又た余年。其の間、未だ嘗て利皆長距以て擅場を得、冠猴封豕、縦火秋蓬の類無くんばあらず。而も猶お王室を貴び君臣の儀を存す。是れ天神人皇の知徳縣象著明にして、没世忘るべからざるなり。其の過化の功、綱紀の分、然く悠久に然く無窮なる者は、至誠より流出するなり。三綱既に立てば、則ち条目の著るる、治政の極致に在り。凡そ八紘の大、外国の汎、中州皇綱の化に如くは無し。文武の功、其の至徳、豈に大ならずや。〔以上、人皇の即位。〕 以上、皇統の無窮を論ず。謹んで按ずるに、天下とは神器にして、人君とは人物の命を繋ぐ者なり。其の与授の間、豈に一人の私を存せんや。皇統の初め、天神以て之を授け、天孫以て之を受く。然れば乃ち其の知徳、天地に愧じずして後、神器の与授と謂うべし。凡そ天は言わず、人之に代わりて言う。天下の人仰ぎ帰すれば、則ち天之に命ずるなり。天下の帰仰する所、更に他に非ず。唯だ天祖眷眷の命に在るのみ。

現代語訳

神日本磐余彦天皇、諱は彦火火出見。彦波瀲武鸕鷀葺不合尊の第四子である。年が四十五歳になったとき、諸兄および子らに言った。昔、わが天神の高皇産霊尊・大日孁尊は、この豊葦原瑞穂国を挙げて、わが天祖の彦火瓊瓊杵尊に授けられた。そこで火瓊瓊杵尊は天の関を開き、雲の道を分け、山を駆け巡ってここに至り止まった。この時、時運は混沌とし、草創の時であった。だから蒙昧のうちに正を養い、この西のはずれを治められた。皇祖・皇考は神であり聖であり、慶びを積み輝きを重ね、多くの年月を経た。天祖が降られてから今に至るまで、百七十九万二千四百七十余年になる。しかし遠く離れた地には、なお王の恩沢が及んでいない。そのため邑には君がおり、村には長がおり、それぞれ境を分けて互いに争っている。また塩土老翁から聞いた。東に美しい地があり、青山が四方を囲んでいる。その中に、天磐船に乗って飛び降りた者もいる、と。私が思うに、その地は必ず天業を広め天下に光り満ちるのにふさわしい。おそらく世界の中心であろう、と。ついに東征して中州を定めた。 素行はこう考える。これは人皇が中州を平らげ、天祖の降った跡を継ぐ始めである。 辛酉の春正月庚辰朔、天皇は大倭州の橿原宮で帝位についた。この年を天皇元年とした。正妃を尊んで皇后とした。皇子の神淳名川耳尊を立てて皇太子とした。 素行はこう考える。これは天皇即位の始めである。はじめ天神は磤馭廬島を国中の柱とし、分かれて巡って国柱とした。天孫は浮渚の平らな所に立ち、宮殿を建てた。みな後世の即位の意に通じる。混沌とした時代の間、悠久に正を養った。帝は聡明で偉大であり、天霊の志をよく継ぎ、皇孫の事をよく述べた。一度戦衣を着て東方は服した。そこで人皇の大きな基を建て、即位の大礼を開いた。思うに、即位とは何か。天子が大宝の位に即くことである。人君が天を継ぎ極を建て、万国が朝し、人々が仰ぎ、四海が初めて知る。天子が崇ぶべき、明徳を中州に明らかにする意義を。即位の大礼は、人君が綱紀をその始めに正すことである。どうして軽んじてよいだろうか。これより代々の聖主は、それぞれこの儀を正殿で行った。(大極殿、朝堂殿という。)大臣が左右で補佐した。(大神が、天児屋命・太玉命、お前たち二神も同じく殿内に侍って守護せよ、と勅したことが、その意義である。)百官が取り囲んで守り、天儀を拝した。外国でいう正月元日に舜が文祖に至ったというのがこれである。元とは始めであり、本である。元年とは即位の初年で、根本をここに深くして傾かず抜けないという意味である。(この時すでに暦数による紀年があった。暦本は、百済の僧観勒が推古十年に献上した。)皇后を立てるとは、男女の別を正し、嫡妻と妾の弁別を明らかにし、廃立・奪位の失敗を戒めることである。太子を建てる(神武帝四十二年のこと)とは、父子の親を顕し、嫡庶の分を厳しくし、宗廟の統を固めることである。だから人君が即位の礼を厳しくして後に、天下の君臣の分が定まる。后妃の道を重んじて後に、天下の男女の別が正される。建立の法を定めて後に、天下の父子が親しむ。この三つは人の大倫である。三綱が立ち行われれば、身は修まり家は整い、天下太平の功は座して待てる。帝は皇極を人皇の始めに建て、規模を万世の上に定めた。そして中国(日本)は三綱を残さねばならないことを明らかに知った。だから皇統が一たび立つと、億万世にわたって受け継がれて変わらない。天下はみな正朔(暦)を受けてその時を二つにせず、万国は王命を受けてその風俗を異にしない。三綱はついに沈没せず、徳化は塗炭に陥らなかった。異国の外国がどうして望めようか。外朝(中国)は姓を易えることほとんど三十姓。異民族が入って王となること数世。春秋二百四十余年の間に、臣下がその国君を弑した例は二十五。まして前後の乱臣賊子は数え切れない。朝鮮は箕子が命を受けて以後、姓を易えること四氏、その国を滅ぼして郡県としたり、高氏が絶えたこと二世。あの李氏の二十八年の間に王を弑した者は四人。まして前後の乱逆は禽獣が相食むのと変わらない。ただ中国(日本)だけは、開闢から人皇まで二百万年近く、人皇から今日まで二千三百年を過ぎ、天神の皇統はついに違わない。その間の弑逆の乱は、指を折って数えるほどもない。まして外国の賊はついに我が辺藩を窺うことができなかった。後白河帝の後、武家が執権すること既に五百年余り。その間、権勢を利用して場を専らにした者や、冠をつけた猿や大きな猪のような類がいなかったわけではない。それでもなお王室を貴び、君臣の礼を保っている。これは天神人皇の知徳の象が明らかなためで、世を没しても忘れてはならない。その教化の功、綱紀の分が、かくも悠久で、かくも窮まりないのは、至誠から流れ出たものである。三綱が立てば、条目が現れ、治政の極致がここにある。八紘の大、外国の広さも、中州の皇綱の化に及ぶものはない。文武の功、その至徳は、なんと大きいことか。(以上、人皇の即位。) 以上、皇統の無窮を論じた。素行はこう考える。天下とは神器であり、人君とは人々と物の命を繋ぐ者である。その授受の間に、一人の私があってよいだろうか。皇統の始めに、天神が授け、天孫が受けた。であればその知と徳が天地に恥じないとき、はじめて神器の授受と言える。天は言わず、人がこれに代わって言う。天下の人が仰いで帰服すれば、天がこれに命じたのである。天下の帰服する所はほかではない。ただ天祖の変わらぬ命にあるだけである。

解説

神武天皇の即位と、三綱(君臣・父子・夫婦)を論じる、章中でも最も長い箇所です。『日本書紀』に伝わる東征と即位の記事を引き、素行は即位の礼、皇后、太子の三つが人の大倫を定めると説きます。そのうえで、中国や朝鮮の易姓や弑逆と比べ、日本は皇統が続くと主張します。この比較は素行の主張で、年数なども史料上の伝承に基づく記述として読む必要があります。現代の組織でも、代替わりや後継の決め方、人事や役割の序列は、揉め事を避ける大切な基盤です。節目の儀式やルールの明確さが、組織の安定を支えるという観点から読むことができます。
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この章句が説くこと

神武天皇即位橿原宮三綱皇后・太子易姓革命皇統無窮

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