中朝事実 / 皇統章・神武天皇の即位と三綱・皇統無窮の論
神日本磐余彥天皇。諱彥火火出見。彥波瀲武鸕鷀葺不合尊第四子也。及年四十五歲。謂諸兄及子等曰。昔我天神高皇產靈尊·大日孁尊。擧此豐葦原瑞穗國。而授我天祖彥火瓊瓊杵尊。於是火瓊瓊杵尊闢天開。披雲路。駈山躍以戾止。是時運屬鴻荒。時鍾草昧。故蒙以養正。治此西偏。皇祖·皇考·乃神·乃聖。積慶重暉。多歷年所。自天祖降跡以逮。于今一百七十九萬二千四百七十餘歲。而遼邈之地。猶未霑於王澤。遂使邑有君。村有長。各自分疆。用相凌躒。抑又聞於鹽土老翁。曰。東有美地。靑山四周。其中亦有乘天磐船飛降者。余謂。彼地必當足以恢弘天業。光宅天下。蓋六合之中心乎。遂東征定中州。 謹按。是人皇平於中州續天祖之降跡始也。 辛酉春正月庚辰朔。天皇卽帝位於大倭州橿原宮。是歲爲天皇元年。尊正妃爲皇后。立皇子神淳名川耳尊爲皇太子。 謹按。是天皇卽位之始也。初天神以磤馭廬島爲國中之柱。分巡國柱。天孫立於浮渚在平處。立宮殿。皆後世卽位之意也。洪濛之間悠久以養正。帝明達大雄。善繼乾靈之志。善述皇孫之事。一戎衣而東方服。故建人皇之洪基。開卽位之大禮。蓋卽位者何。天子卽大寶之位也。人君繼天建極。萬國以朝。元元以仰。四海始知。天子之可以崇。明明德於中州之義也。卽位之大禮。人君正綱紀於其始。豈可忽乎。自是代代聖主各行此儀於正殿。〔大極殿。謂朝堂殿。是也。〕大臣扶翼於左右。〔大神勅天兒屋命·太玉命。惟爾二神亦同侍殿內。善爲防護。是其義也。〕百官圍護以奉拜天儀。外國所謂正月元日舜格于文祖是也。元者始也·本也。元年者卽位之初年。深其根本於此。而不傾不拔之謂也。〔此時既有曆數紀年。店曆本者。百濟釋觀勒。推古十年獻之。〕立皇后者。正男女之別。明嫡媵之辨。懲廢奪之失。建太子者。〔在神武帝四十二年。〕著父子之親。嚴嫡庶之分。固宗廟之統也。故人君嚴卽位之禮。而後天下之君臣其分定。重后妃之道。而後天下之男女其別正。定建立之法。而後天下之父子親。三者人之大倫也。三綱立行則身修家齊治平之功。坐可以俟之。帝建皇極於人皇之始。定規模於萬世之上。而中國明知三綱之不可遺。故皇統一立。而億萬世襲之不變。天下皆受正朔。而不貳其時。萬國禀王命。而不異其俗。三綱終不沈淪。德化不陷塗炭。異域之外國豈可企望焉乎。夫外朝易姓殆三十姓。戎狄入王者數世。春秋二百四十餘年。臣子弑其國君者二十又五。況其先後之亂臣賊子不可枚擧也。朝鮮箕子受命以後。易姓四氏。滅其國而或爲郡縣。或高氏滅絕凡二世。彼李氏二十八年之間。弑王者四。況其先後之亂逆不異禽獸之相殘。唯中國自開闢至人皇。垂二百萬歲。自人皇迄于今日。過二千三百歲。而天神之皇統竟不違。其間弑逆之亂不可屈指數之。況外國之賊竟不得窺吾邊藩乎。後白川帝後。武家執權。既五百又餘年。其間未嘗無利皆長距以得擅場冠猴封豕縱火秋蓬之類。而猶貴王室存君臣之儀。是天神人皇之知德縣象著明。沒世不可忘也。其過化之功。綱紀之分。然悠久然無窮者。流出于至誠也。三綱既立。則條目之著在治政之極致。凡八紘之大。外國之汎。無如中州皇綱之化。文武之功。其至德豈不大乎哉。〔以上人皇之卽位。〕 以上論皇統之無窮。謹按。天下者神器。而人君者繫人物之命。其與授之間。豈存一人之私乎。皇統之初。天神以授之。天孫以受之。然乃其知德不愧天地。而後可謂神器之與授。凡天不言。人代言之。天下之人仰歸則天命之也。天下所歸仰更不他。唯在天祖眷眷之命而已。
新字:神日本磐余彦天皇。諱彦火火出見。彦波瀲武鸕鷀葺不合尊第四子也。及年四十五歳。謂諸兄及子等曰。昔我天神高皇産霊尊·大日孁尊。挙此豊葦原瑞穂国。而授我天祖彦火瓊瓊杵尊。於是火瓊瓊杵尊闢天開。披雲路。駈山躍以戻止。是時運属鴻荒。時鍾草昧。故蒙以養正。治此西偏。皇祖·皇考·乃神·乃聖。積慶重暉。多歴年所。自天祖降跡以逮。于今一百七十九万二千四百七十余歳。而遼邈之地。猶未霑於王沢。遂使邑有君。村有長。各自分疆。用相凌躒。抑又聞於塩土老翁。曰。東有美地。青山四周。其中亦有乗天磐船飛降者。余謂。彼地必当足以恢弘天業。光宅天下。蓋六合之中心乎。遂東征定中州。 謹按。是人皇平於中州続天祖之降跡始也。 辛酉春正月庚辰朔。天皇即帝位於大倭州橿原宮。是歳為天皇元年。尊正妃為皇后。立皇子神淳名川耳尊為皇太子。 謹按。是天皇即位之始也。初天神以磤馭廬島為国中之柱。分巡国柱。天孫立於浮渚在平処。立宮殿。皆後世即位之意也。洪濛之間悠久以養正。帝明達大雄。善継乾霊之志。善述皇孫之事。一戎衣而東方服。故建人皇之洪基。開即位之大礼。蓋即位者何。天子即大宝之位也。人君継天建極。万国以朝。元元以仰。四海始知。天子之可以崇。明明徳於中州之義也。即位之大礼。人君正綱紀於其始。豈可忽乎。自是代代聖主各行此儀於正殿。〔大極殿。謂朝堂殿。是也。〕大臣扶翼於左右。〔大神勅天児屋命·太玉命。惟爾二神亦同侍殿内。善為防護。是其義也。〕百官囲護以奉拝天儀。外国所謂正月元日舜格于文祖是也。元者始也·本也。元年者即位之初年。深其根本於此。而不傾不抜之謂也。〔此時既有暦数紀年。店暦本者。百済釈観勒。推古十年献之。〕立皇后者。正男女之別。明嫡媵之弁。懲廃奪之失。建太子者。〔在神武帝四十二年。〕著父子之親。厳嫡庶之分。固宗廟之統也。故人君厳即位之礼。而後天下之君臣其分定。重后妃之道。而後天下之男女其別正。定建立之法。而後天下之父子親。三者人之大倫也。三綱立行則身修家斉治平之功。坐可以俟之。帝建皇極於人皇之始。定規模於万世之上。而中国明知三綱之不可遺。故皇統一立。而億万世襲之不変。天下皆受正朔。而不貳其時。万国禀王命。而不異其俗。三綱終不沈淪。徳化不陥塗炭。異域之外国豈可企望焉乎。夫外朝易姓殆三十姓。戎狄入王者数世。春秋二百四十余年。臣子弑其国君者二十又五。況其先後之乱臣賊子不可枚挙也。朝鮮箕子受命以後。易姓四氏。滅其国而或為郡県。或高氏滅絶凡二世。彼李氏二十八年之間。弑王者四。況其先後之乱逆不異禽獣之相残。唯中国自開闢至人皇。垂二百万歳。自人皇迄于今日。過二千三百歳。而天神之皇統竟不違。其間弑逆之乱不可屈指数之。況外国之賊竟不得窺吾辺藩乎。後白川帝後。武家執権。既五百又余年。其間未嘗無利皆長距以得擅場冠猴封豕縦火秋蓬之類。而猶貴王室存君臣之儀。是天神人皇之知徳県象著明。没世不可忘也。其過化之功。綱紀之分。然悠久然無窮者。流出于至誠也。三綱既立。則条目之著在治政之極致。凡八紘之大。外国之汎。無如中州皇綱之化。文武之功。其至徳豈不大乎哉。〔以上人皇之即位。〕 以上論皇統之無窮。謹按。天下者神器。而人君者繋人物之命。其与授之間。豈存一人之私乎。皇統之初。天神以授之。天孫以受之。然乃其知徳不愧天地。而後可謂神器之与授。凡天不言。人代言之。天下之人仰帰則天命之也。天下所帰仰更不他。唯在天祖眷眷之命而已。
書き下し
神日本磐余彦天皇、諱は彦火火出見。彦波瀲武鸕鷀葺不合尊の第四子なり。年四十五歳に及び、諸兄及び子等に謂いて曰く、昔、我が天神高皇産霊尊・大日孁尊、此の豊葦原瑞穂国を挙げて、我が天祖彦火瓊瓊杵尊に授けたまえり。是に於いて火瓊瓊杵尊、天関を闢き、雲路を披き、駈山躍りて以て戻止る。是の時、運は鴻荒に属し、時は草昧に鍾る。故に蒙にして以て正を養い、此の西偏を治めたまう。皇祖・皇考、乃ち神、乃ち聖、慶を積み暉を重ね、多くの年所を歴たり。天祖の降跡より以逮、今に于りて一百七十九万二千四百七十余歳なり。而して遼邈の地、猶お未だ王沢に霑わず。遂に邑に君有り、村に長有りて、各おの自ら疆を分かち、用て相凌躒せしむ。抑も又た塩土老翁に聞く、東に美地有り、青山四周せり。其の中に亦た天磐船に乗りて飛び降る者有り、と。余謂えらく、彼の地は必ず以て天業を恢弘し、天下に光宅するに足るべし、蓋し六合の中心か、と。遂に東征して中州を定む。 謹んで按ずるに、是れ人皇、中州を平らげ、天祖の降跡を続ぐの始めなり。 辛酉春正月庚辰朔、天皇、帝位に大倭州の橿原宮に即く。是の歳を天皇元年と為す。正妃を尊びて皇后と為す。皇子神淳名川耳尊を立てて皇太子と為す。 謹んで按ずるに、是れ天皇即位の始めなり。初め天神、磤馭廬島を以て国中の柱と為し、分巡りて国柱す。天孫は浮渚の平処に立ち、宮殿を立つ。皆な後世の即位の意なり。洪濛の間、悠久にして以て正を養う。帝は明達大雄にして、善く乾霊の志を継ぎ、善く皇孫の事を述ぶ。一たび戎衣して東方服す。故に人皇の洪基を建て、即位の大礼を開く。蓋し即位とは何ぞ。天子、大宝の位に即くなり。人君、天を継ぎ極を建て、万国以て朝し、元元以て仰ぎ、四海始めて知る。天子の以て崇ぶべき、明徳を中州に明らかにするの義を。即位の大礼は、人君、綱紀を其の始めに正す。豈に忽せにすべけんや。是れより代代の聖主、各おの此の儀を正殿に行う。〔大極殿、朝堂殿と謂う、是れなり。〕大臣、左右に扶翼す。〔大神勅す、天児屋命・太玉命、惟れ爾二神も亦た同じく殿内に侍いて、善く防護を為せ、と。是れ其の義なり。〕百官、囲み護りて、以て天儀を奉拝す。外国の所謂る正月元日、舜、文祖に格る、是れなり。元とは始めなり、本なり。元年とは即位の初年にして、根本を此に深くして傾かず抜けざるの謂なり。〔此の時既に暦数紀年有り。店暦本とは、百済の釈観勒、推古十年之を献ず。〕皇后を立つるとは、男女の別を正し、嫡媵の辨を明らかにし、廃奪の失を懲らすなり。太子を建つとは、〔神武帝の四十二年に在り。〕父子の親を著し、嫡庶の分を厳にし、宗廟の統を固くするなり。故に人君、即位の礼を厳にして後、天下の君臣其の分定まる。后妃の道を重くして後、天下の男女其の別正し。建立の法を定めて後、天下の父子親しむ。三者は人の大倫なり。三綱立ち行わるれば、則ち身修まり家斉い、治平の功、坐して以て俟つべし。帝、皇極を人皇の始めに建て、規模を万世の上に定む。而して中国明らかに三綱の遺すべからざるを知る。故に皇統一たび立ちて、億万世襲いて変ぜず。天下皆な正朔を受けて其の時を貳つにせず、万国王命を禀けて其の俗を異にせず。三綱終に沈淪せず、徳化塗炭に陥らず。異域の外国、豈に企望すべけんや。夫れ外朝は姓を易うること殆ど三十姓。戎狄入りて王たること数世。春秋二百四十余年、臣子其の国君を弑する者二十又五。況んや其の先後の乱臣賊子は枚挙すべからず。朝鮮は箕子命を受けて以後、姓を易うること四氏、其の国を滅ぼして或いは郡県と為し、或いは高氏滅絶すること凡そ二世。彼の李氏の二十八年の間、王を弑する者四。況んや其の先後の乱逆は禽獣の相残うに異ならず。唯だ中国は開闢より人皇に至るまで、二百万歳に垂とし、人皇より今日に迄るまで二千三百歳を過ぐ。而して天神の皇統は竟に違わず。其の間の弑逆の乱は、指を屈して数うべからず。況んや外国の賊は竟に吾が辺藩を窺うを得ざるをや。後白河帝の後、武家執権すること既に五百又た余年。其の間、未だ嘗て利皆長距以て擅場を得、冠猴封豕、縦火秋蓬の類無くんばあらず。而も猶お王室を貴び君臣の儀を存す。是れ天神人皇の知徳縣象著明にして、没世忘るべからざるなり。其の過化の功、綱紀の分、然く悠久に然く無窮なる者は、至誠より流出するなり。三綱既に立てば、則ち条目の著るる、治政の極致に在り。凡そ八紘の大、外国の汎、中州皇綱の化に如くは無し。文武の功、其の至徳、豈に大ならずや。〔以上、人皇の即位。〕 以上、皇統の無窮を論ず。謹んで按ずるに、天下とは神器にして、人君とは人物の命を繋ぐ者なり。其の与授の間、豈に一人の私を存せんや。皇統の初め、天神以て之を授け、天孫以て之を受く。然れば乃ち其の知徳、天地に愧じずして後、神器の与授と謂うべし。凡そ天は言わず、人之に代わりて言う。天下の人仰ぎ帰すれば、則ち天之に命ずるなり。天下の帰仰する所、更に他に非ず。唯だ天祖眷眷の命に在るのみ。
現代語訳
神日本磐余彦天皇、諱は彦火火出見。彦波瀲武鸕鷀葺不合尊の第四子である。年が四十五歳になったとき、諸兄および子らに言った。昔、わが天神の高皇産霊尊・大日孁尊は、この豊葦原瑞穂国を挙げて、わが天祖の彦火瓊瓊杵尊に授けられた。そこで火瓊瓊杵尊は天の関を開き、雲の道を分け、山を駆け巡ってここに至り止まった。この時、時運は混沌とし、草創の時であった。だから蒙昧のうちに正を養い、この西のはずれを治められた。皇祖・皇考は神であり聖であり、慶びを積み輝きを重ね、多くの年月を経た。天祖が降られてから今に至るまで、百七十九万二千四百七十余年になる。しかし遠く離れた地には、なお王の恩沢が及んでいない。そのため邑には君がおり、村には長がおり、それぞれ境を分けて互いに争っている。また塩土老翁から聞いた。東に美しい地があり、青山が四方を囲んでいる。その中に、天磐船に乗って飛び降りた者もいる、と。私が思うに、その地は必ず天業を広め天下に光り満ちるのにふさわしい。おそらく世界の中心であろう、と。ついに東征して中州を定めた。 素行はこう考える。これは人皇が中州を平らげ、天祖の降った跡を継ぐ始めである。 辛酉の春正月庚辰朔、天皇は大倭州の橿原宮で帝位についた。この年を天皇元年とした。正妃を尊んで皇后とした。皇子の神淳名川耳尊を立てて皇太子とした。 素行はこう考える。これは天皇即位の始めである。はじめ天神は磤馭廬島を国中の柱とし、分かれて巡って国柱とした。天孫は浮渚の平らな所に立ち、宮殿を建てた。みな後世の即位の意に通じる。混沌とした時代の間、悠久に正を養った。帝は聡明で偉大であり、天霊の志をよく継ぎ、皇孫の事をよく述べた。一度戦衣を着て東方は服した。そこで人皇の大きな基を建て、即位の大礼を開いた。思うに、即位とは何か。天子が大宝の位に即くことである。人君が天を継ぎ極を建て、万国が朝し、人々が仰ぎ、四海が初めて知る。天子が崇ぶべき、明徳を中州に明らかにする意義を。即位の大礼は、人君が綱紀をその始めに正すことである。どうして軽んじてよいだろうか。これより代々の聖主は、それぞれこの儀を正殿で行った。(大極殿、朝堂殿という。)大臣が左右で補佐した。(大神が、天児屋命・太玉命、お前たち二神も同じく殿内に侍って守護せよ、と勅したことが、その意義である。)百官が取り囲んで守り、天儀を拝した。外国でいう正月元日に舜が文祖に至ったというのがこれである。元とは始めであり、本である。元年とは即位の初年で、根本をここに深くして傾かず抜けないという意味である。(この時すでに暦数による紀年があった。暦本は、百済の僧観勒が推古十年に献上した。)皇后を立てるとは、男女の別を正し、嫡妻と妾の弁別を明らかにし、廃立・奪位の失敗を戒めることである。太子を建てる(神武帝四十二年のこと)とは、父子の親を顕し、嫡庶の分を厳しくし、宗廟の統を固めることである。だから人君が即位の礼を厳しくして後に、天下の君臣の分が定まる。后妃の道を重んじて後に、天下の男女の別が正される。建立の法を定めて後に、天下の父子が親しむ。この三つは人の大倫である。三綱が立ち行われれば、身は修まり家は整い、天下太平の功は座して待てる。帝は皇極を人皇の始めに建て、規模を万世の上に定めた。そして中国(日本)は三綱を残さねばならないことを明らかに知った。だから皇統が一たび立つと、億万世にわたって受け継がれて変わらない。天下はみな正朔(暦)を受けてその時を二つにせず、万国は王命を受けてその風俗を異にしない。三綱はついに沈没せず、徳化は塗炭に陥らなかった。異国の外国がどうして望めようか。外朝(中国)は姓を易えることほとんど三十姓。異民族が入って王となること数世。春秋二百四十余年の間に、臣下がその国君を弑した例は二十五。まして前後の乱臣賊子は数え切れない。朝鮮は箕子が命を受けて以後、姓を易えること四氏、その国を滅ぼして郡県としたり、高氏が絶えたこと二世。あの李氏の二十八年の間に王を弑した者は四人。まして前後の乱逆は禽獣が相食むのと変わらない。ただ中国(日本)だけは、開闢から人皇まで二百万年近く、人皇から今日まで二千三百年を過ぎ、天神の皇統はついに違わない。その間の弑逆の乱は、指を折って数えるほどもない。まして外国の賊はついに我が辺藩を窺うことができなかった。後白河帝の後、武家が執権すること既に五百年余り。その間、権勢を利用して場を専らにした者や、冠をつけた猿や大きな猪のような類がいなかったわけではない。それでもなお王室を貴び、君臣の礼を保っている。これは天神人皇の知徳の象が明らかなためで、世を没しても忘れてはならない。その教化の功、綱紀の分が、かくも悠久で、かくも窮まりないのは、至誠から流れ出たものである。三綱が立てば、条目が現れ、治政の極致がここにある。八紘の大、外国の広さも、中州の皇綱の化に及ぶものはない。文武の功、その至徳は、なんと大きいことか。(以上、人皇の即位。) 以上、皇統の無窮を論じた。素行はこう考える。天下とは神器であり、人君とは人々と物の命を繋ぐ者である。その授受の間に、一人の私があってよいだろうか。皇統の始めに、天神が授け、天孫が受けた。であればその知と徳が天地に恥じないとき、はじめて神器の授受と言える。天は言わず、人がこれに代わって言う。天下の人が仰いで帰服すれば、天がこれに命じたのである。天下の帰服する所はほかではない。ただ天祖の変わらぬ命にあるだけである。
解説

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『中朝事実』禮儀章・即位の礼と皇后を立てる礼の意味神武帝辛酉の年春正月庚辰朔、天皇帝位に橿原宮に卽く。是の歲を天皇の元年と爲す。 謹んで按ずるに、卽位は人君の大禮なり。天は人君の宗とする所にして、人君は庶人の天とする所なり。天高く上にして文明四海を照らす。人君大寶に位して明德天下に周し。故に卽位の禮を行ひ、以て天下萬機の道を始むるなり。帝東征の功大いに成り、中國を定め、以て卽位の禮を始め、是の歲を以て元年と爲し、王正月を以て時を授け、天地の氣候を一にし、人君の大禮を著すなり。是れより歷代因循して此の儀有り。大臣は北面して以て神器を捧げ、天子は南面して以て萬國に詔す。上下尊卑の禮を正し、道德聖明の政を布く。繫る所太だ重きかな。蓋し此の時未だ外朝の三統を知らずして、人統自ら立つ。四時以て宜し。是れ乃ち神聖の靈妙なり。爾來正朔終に失はず、授時相正して、天下其の俗を一にす。中華の渾厚、大なるかな。〔以上、卽位の禮を論ず。〕 神武帝庚申の年秋八月癸丑朔戊辰、天皇正妃を立つべし。改めて廣く華胄を求む。九月壬午朔己巳、媛蹈鞴五十鈴媛命を納れて以て正妃と爲す。辛酉春正月庚辰朔、天皇卽位す。正妃を尊びて皇后と爲す。 謹んで按ずるに、是れ后妃選立の始めなり。蓋し聖人聖匹を得れば、則ち聖子有り。聖子聖孫相續げば、則ち百代も猶ほ一日のごとし。是れ人君の天下を愛する至りなる所以なり。凡そ帝王の匹は、風化の本、禮儀の大なり。選立其の道を以てせざれば、則ち唯だ欲を縱にし情に從ひ、其の始めに克つと雖も、其の終りを保つべからず。帝正妃を立てんとするに當たり、廣く族姓を議し、女德を詳にす。卽位に及び、乃ち皇后と爲す。其の禮を隆くし、以て男女の別を序し、媵妾の品を辨じ、戒めを萬世に垂る。然れども猶ほ後世未だ嘗て淫亂・德を黷し、嫡妾相妄し、廢奪相行はるるの失無くんばあらず。夫れ男女有りて後に父子有り。然れば乃ち國家の大事、福祚の繫る所、妃匹の際に在り。其の禮豈に苟もすべけんや。 繼體帝元年三月庚申朔、詔して曰く、「神祇は主を乏しくすべからず。宇宙は君無かるべからず。天、黎庶を生じ、元首を樹てて、司り助け養はしめ、性命を全うせしむ。大連、朕の息無きを憂へ、誠款を披き、國家のために世世忠を盡くす。豈に唯だ朕が日のみならんや。宜しく禮儀を備へ、手白香皇女を奉迎して皇后と爲し、敎を内に修めしむべし」と。 謹んで按ずるに、是れ皇后を立て、禮儀を備へ、敎を内に修むるの詳しきなり。蓋し人君恒に九重の深きに居り、萬乘の富を御す。近臣媚を進め、佞臣惡を逆ふ。少しく怠り情を縱にすれば、鴆毒其の衷に根ざさざる無し。故に外には諫議を設け、史官を置き、其の言行を正す。猶ほ未だ嘗て其の闕遺無くんばあらず。妃匹の親、皇后の睦、内助の益、規警の戒めに賴り、以て此に拾ひ補ふ。是れ良匹賢配の尙ばるる所以なり。此の後立后の禮世世相續き、以て皇統連綿に至る。凡そ女德の撰其の道を以てせざれば、則ち淫婦妖女必ず其の心を蠱す。族姓の戒め嚴ならざれば、則ち外戚權を專らにし威を竊み、必ず天下の害を構ふ。立后の禮正しからざれば、則ち男女の別明らかならずして、内修の戒め行はれず。皇妃の道、之を規するに其の禮を以てせざれば、則ち宮闈朝に臨み、簾を垂れて政に預かり、嗣主をして虎位に擁せられしむるに至る。故に禮は夫婦に本づき、治亂之に因り、興亡之に繫る。往古の令典、舊紀の載する所、監みざるべけんや。〔以上、立后の禮を論ず。〕
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『中朝事実』禮儀章・朝賀の儀と誓約・盟神探湯の礼神武帝辛酉の年春正月庚辰朔、天皇帝位に橿原宮に卽く。是の歲を天皇の元年と爲す。故に古語に之を稱して曰く、「畝傍の橿原に、太く宮柱を底磐の根に立て、峻く搏風を高天の原に峙てて、始めて天下を馭す天皇」と。號して神日本磐余彥火火出見天皇と曰ふ。初め天皇天基を草創するの日なり。大伴氏の遠祖道臣命、大來目部を帥ゐ、密策を奉承し、能く諷歌・倒語を以て、妖氣を掃蕩す。倒語の用、玆に始起す。 謹んで按ずるに、是れ朝儀賀正旦の始めなり。是の歲は卽位の元年、故に正月の賀有り。後世の歲首に朝賀の禮を行ふに同じからずと雖も、賀正旦、此に始まる。是れ乃ち朝儀の禮なり。凡そ朝儀は朝廷の禮儀なり。朝廷は天地を以て其の基を立て、天下は朝廷を以て標準と爲す。朝廷の威儀は以て嚴正なるに在り。凡そ王朝の禮に、年中行事有り、恒例有り、臨時有り、每月の禮有り、公侯朝聘の禮有り、饗燕の禮有り、巡守・田獵・大射の禮有り、神社祭禮有り。而して歲首慶賀の禮を以て大儀と爲す。正月は一年の始め、歲序端を更め、萬物惟れ新たなるの節なり。臣子畢く朝會拜賀し、其の慶びを奉ずるは、信義の當然なり。蓋し朝儀は一ならず、代代の聖主、或いは其の例を追ひ其の風を慕ひ、或いは新たに其の儀を立て、其の制を斟酌して、而る後に悉く備はる。其の間多く習俗の儀有りて、以て因循し來たる。又以て禮の大意を存するに足る。竊かに惟ふに、朝賀は臣子、宸儀を拜慶するの禮なり。否らざれば乃ち臣子の情安んずべからず。故に一月に朔・望・晦の禮有り、其の間又大朝賀の節有り。群臣悉く敬を君上に致し、以て祝頌を奉る。是れ臣子の分定まるなり。宴會は君上、宴を群臣に賜ふなり。饗有り、食有り、燕有り。此れ上下交はり、君臣德を和し業を成し、相親愛する所以なり。故に朝賀を以て尊卑の禮を嚴にし、燕會を以て上下の情を和す。朝賀に由りて其の威儀を正し、燕會に因りて其の風雅を作す。外は則ち以て禮容を觀、内は則ち以て恩惠を廣む。然れば乃ち徒に之を威し之を儀するに非ず、徒に之を飮ませ之を食はしむるに非ず、皆恭儉を訓へ惠慈を示す所以なり。夫れ王朝の儀は舊紀に粲然として載す。然れども能く其の事物を致して以て其の儀を正せば、乃ち其の禮大成し、朝儀の實を啓くべし。後世必ず外朝の例を以て附會するは、中國の禮、尤も正しからざるの至りなり。〔以上、王朝の禮を謂ふ。〕 素戔鳴尊昇天の時、溟渤以て鼓盪し、山岳之が爲に鳴呴す。此れ則ち神性雄健にして之をして然らしむるなり。天照太神、素より其の神の暴惡なるを知り、徑ちに詰問す。素戔鳴尊對へて曰く、「吾元より黑心無し」と。時に天照太神復た問ひて曰く、「若し然らば、將に何を以て爾の赤心を明らかにせんや」と。對へて曰く、「請ふ、姉と共に誓はん。夫れ誓約の中〔誓約の中、此に宇氣譬能美難箇と云ふ。〕必ず當に子を生むべし。如し吾が生む所是れ女ならば、則ち以て濁き心有りと爲すべし。若し是れ男ならば、則ち以て清き心有りと爲すべし」と。 謹んで按ずるに、是れ神代の誓約、乃ち後世誓盟の禮なり。凡そ誓は、己が信を明らかにし、人の疑ひを解く所以なり。事物の間、或いは未だ嘗て其の疑ひ無くんばあらず。疑ひを解くの道は誓約に在り。鬼神に祈り、信を幽冥に期す。故に天神、誓を許して以て其の清濁の心を明らかにす。後世之に因り、終に誓盟の禮有り。蓋し誓は唯だ言辭を以て神祇に請ひて其の信を約するなり。盟は物を以て其の事を證し、直ちに其の信僞を決するなり。遠く神明に請ひ、血を瀝りて之を書に載す。其の禮、誓より嚴なり。猶ほ埿を釜に納れて煮沸し、手を攘ひて湯埿を探り、斧を燒きて火色にして掌に置くがごとし。是を盟神探湯と曰ふ。〔盟神探湯、此に區訶陀智と云ふ。〕後世に及び、載書を作り血を瀝り神祇に告ぐるの禮有り。〔孝德帝卽位し、群臣を召集し、天神地祇に盟ひ告げて曰く、「天は覆ひ地は載せ、帝道は唯だ一なり。而るに末代澆薄にして、君臣序を失ふ。皇天手を我に假し、暴逆を誅珍す。今共に心血を瀝り、今より以後、君に二政無く、臣に貳朝無し。若し此の盟に貳せば、天災地妖、鬼誅人伐せん。皎として日月の如し」と。〕人皆聖賢に非ず、信有り僞有り、直有り曲有り。正は疑ふべからざる有り、奸は疑ひ無かるべからざる有り。是れ天下の通情なり。神聖の敎、人情事變に通じ、詳らかに其の道を致す。故に端を此に起し、戒めを後に垂る。言以て之を結び、明神以て之を要す。天下の疑惑忽ち解けて、事物の大義決行すべし。否らざれば乃ち人人疑ひを存すべく、戸戸各々辨ずべし。今、誓盟の禮を襲ひ、信僞曲直、一擧に道に歸す。其の禮たる大なるかな。或ひと疑ふ、君子屢々盟へば、亂是を以て長ず。誓を作して民始めて畔き、會を作して民始めて疑ふ、と。愚謂へらく、聖人の道、能く天下の人情に從ふ。故に偏無く倚無し。徒杠と梁と成りて、而る後に民水を涉るに病まず。盟誓以て約して、而る後に民其の疑ひを免るべし。人毎に之を試みるも、亦足らず。然れども盟誓は必ず禮有り。之を用ゐるに禮を以てせざれば、民畔きて恥ぢず。何ぞ必ずしも誓盟を用ゐんや。凡そ知や仁や其の道を致さざれば、猶ほ荑稗に如かず。專ら神屢々盟ふを要するは、是れ之を用ゐるに禮を以てせざるなり。周豐の言の如く、過ちて徴無し、何ぞ之を取るに足らんや。〔以上、誓盟の禮を論ず。〕
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『中朝事実』賞罰章・資を賜う・姓を賜う・尊号天神、葦原中國の邪鬼を撥ひ平げしめんと欲し、天國玉の子天稚彥に天鹿兒弓及び天羽羽矢を賜ひ、以て遣はす。 謹んで按ずるに、是れ其の臣に資するの始めなり。蓋し其の風聲を樹て、以て人の耳目を異にし、其の勸勤の意を鼓舞し、其の善忠の實を興動する者は、人君治平の要道なり。故に賞して以て之を厚くし、待つに深きを以てして、而る後、其の任ずる所甚だ重く、其の責むる所能く通ず。天神、此の神を賞すること此くの如し。而して此の神、忠誠ならず、忽ちに中り還る投げ矢に、命を隕す。其の責の速やかに通ずること以て見るべきなり。後世、將を立つるに鉄鉞を賜ひ、其の器服を異にするは、皆賢を賢とする所以にして、有德を崇獎し、人心を興起す。端を是に造るは、乃ち外朝の旌淑なり。 皇孫、天鈿女命に勅す、汝、宜しく顯せる所の神名を以て姓氏と爲せ、と。因りて猿女君の號を賜ふ。故に猿女君等、男女皆呼びて君と爲す。此れ其の緣なり。 謹んで按ずるに、是れ其の功に因りて姓號を賜ふの始めなり。神武帝東征の日、日臣命は忠にして且つ勇、加ふるに導の功有り、以て道臣の名を賜ふ。蓋し姓名の號は、百世に流芳し、其の善心を鼓動する所以なり。故に姓を賜ひ氏を命ずるに必ず道有り。人臣、時君に禀けざれば、則ち其の氏と爲るを得ず。其の分、嚴なるかな。凡そ物部・大伴の姓と爲るは、其の威武を以てなり。〔饒速日命は物部氏の遠祖なり。物部とは武夫の訓なり。道臣命は大伴氏の遠祖なり。日本武尊、靱部を以て武日に賜ひ、以て大伴氏と爲す。〕中臣・忌部の姓と爲るは、其の中直にして祭祀を主るに因る。況んや藤・橘・菅・江の分、源・平・紀・淸の派、未だ嘗て其の勳業を以てせずんばあらず。夫れ名は實の著なり。實無くして名有れば、則ち竟に虛名と爲る。虛名にして之を後世に傳ふるは、臭を子孫に遺すなり。其の賜ふ所、其の受くる所、愼まざるべけんや。〔以上、賜の義。〕 神武帝辛酉年春正月庚辰朔、天皇、帝位に橿原宮に卽く。是の歲を天皇元年と爲す。故に古語に之を稱へて曰く、畝傍の橿原に、底磐の根に宮柱太立て、高天の原に搏風峻りて、始めて天下を馭す天皇、號して神日本磐余彥火火出見天皇と曰ふ、と。 謹んで按ずるに、是れ人臣の尊號を奉るの始めなり。神代にも旣に尊・命の說有るなり。凡そ善惡の應は終に掩ふべからず。故に臣に善惡有れば君之を糺し、君の善惡は天必ず之を糺す。天言はずして人之に代はる。所謂尊號の善惡是れなり。後世に諡の制有るに至り、唯だ人君の其の臣を賞黜するに非ず、臣子も亦た其の君父を議す。臣子議するを非とせば、天下以て之を議す。天下の議は、天の命なり。君臣の道、愼まざるべけんや。夫れ一時の好惡を以て、百世の榮辱を蒙る。未だ其の履歷を知らずして、一たび其の號諡を聞けば則ち其の人を知る。故に人心を勸化し、善惡を興懲する所以の者は此に在り。然れば乃ち賞刑の實は人君に本づき、以て天下に流る。行ひの迹、功の表は、己より出でて、人に成る。是れ其の終に掩ふべからざるなり。〔以上、尊號の禮。〕
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『中朝事実』中國章・中国の称と神武帝の東征・都の選び方皇祖高皇産霊尊、遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、以て葦原中国の主と為さんと欲す。 謹んで按ずるに、是れ本朝を以て中国と為すの謂なり。是より先、天照太神、天上に在して曰く、葦原中国に保食神有りと聞く、と。然れば則ち中国の称は、往古より既に此れ有るなり。凡そ人物の生成は、一日として未だ曾て水土を襲わずんばあらず。故に平易の土に生成すれば、平易の気を禀けて、性情自ら平易なり。険難の土に生成すれば、険難の気を禀けて、性情危険に堪う。豈に唯だ人のみならんや。鳥獣草木も亦た然り。是れ五方の民、皆な性有りて其の俗を異にする所以なり。蓋し中に、天の中有り、地の中有り、水土人物の中有り、時宜の中有り。故に外〔羅か〕朝に土中に服するの説有り、迦維に天地の中なりとの言有り、南人も亦た天の中を得たりと曰う。愚按ずるに、天地の運る所、四時の交わる所、其の中を得れば、則ち風雨寒暑の会偏らず、故に水土沃にして人物精なり。是れ乃ち中国と称すべし。万邦の衆、唯だ本朝及び外朝のみ其の中を得たり。而して本朝は神代に既に天御中主尊有り、二神国中の柱を建つ。則ち本朝の中国たること、天地自然の勢いなり。神神相生まれ、聖皇連綿として、文武事物の精秀、実に以て相応ず。是れ豈に誣称ならんや。 神武帝、神代の迹を継ぎ、日向国の宮崎宮に都す。曰く、東に美地有り、青山四周せり。彼の地は必ず以て天業を恢弘し、天下に光宅するに足るべし。蓋し六合の中心か、と。遂に東征して初めて中州を平らげ、大倭国の畝傍山の東南、橿原の地を観て、帝宅を経始す。 謹んで按ずるに、運は鴻荒に属し、時は草昧に鍾る。蚰龍鳥虫は処を得、異人は疆を分かちて陵躒す。唯だ此の西辺のみ以て治むべし。故に天孫先ず此に降り、多くの年を歴て、以て正を養う。神武帝に逮び、王沢既に霑い、当に天業を恢弘し天下に光宅するに足るべし。故に此の東征有り、始めて中州の実を拡ぐ。蓋し西は金、東は木なり。西より東に及ぶは、征伐の相剋なり。東より西に及ぶは、化育の相生なり。左旋右行は、乃ち天地日月五行の道、至誠息む無きなり。聖皇の征治は、乾坤以て法るべし。或ひと疑う、二神磤馭廬島を以て国中の柱と為し、廼ち大日本を生む。然れば乃ち天孫の降、何ぞ西偏に在るや、と。愚竊かに謂えらく、是れ末季の俗意を以て、上古の霊神を量るなり。甚だ意見臆説に渉るなり。神聖の道は悠久にして、其の功成る。先ず其の易きに因りて其の極を建て、其の過化を考えて其の業を洪にす。故に其の成るや久しく、其の根本や固し。実に万世不抜の大基なり。博厚は地に配し、高明は天に配し、悠久にして疆り無し。二神の国中の柱と為すは、大日本の中州と為すべき所以の言なり。二神の聖、既に万世に鑑みて、此の洲を以て中国と為し、天孫を以て此の洲に主たらしむ。其の天鑑の巍巍たるかな。
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『中朝事実』神治章・天壌無窮の勅と人皇の建極の詔天照太神、皇孫に勅して曰く、葦原千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫、就きて治らせ。行矣。宝祚の隆えまさんこと、当に天壌と窮り無かるべし、と。 一書に曰く、大己貴尊と少彦名命と、力を戮せ心を一にして、天下を経営す。嘗て大己貴命、少彦名命に謂ひて曰く、吾等が造れる国、豈に善く成れりと謂はんや、と。少彦名命対へて曰く、或いは成れる所有り、或いは成らざる有り、と。是の談や、蓋し幽深の致有り。大己貴神興言して曰く、夫れ葦原中国は本より荒芒なり。磐石草木に至るまで、咸く能く強暴なり。然れども吾已に摧き伏せ、和順せざる莫し。遂に因りて言ふ、今此の国を理むるは、唯だ吾が一身のみ。其れ吾と共に天下を理むべき者、蓋し有らんか、と。時に神光海を照らし、忽然として浮び来る者有り。曰く、如し吾在らずは、汝何ぞ能く此の国を平らげんや。吾在るに由りての故に、汝其の大造の績を建つるを得たり、と。是の時、大己貴神問ひて曰く、然らば則ち汝は是れ誰ぞ、と。対へて曰く、吾は是れ汝が幸魂奇魂なり、と。大己貴神曰く、唯、然り。廼ち知りぬ。汝は是れ吾が幸魂奇魂なり。今何処に住まんと欲するや、と。対へて曰く、吾れ日本国の三諸山に住まんと欲す、と。故れ即ち宮を彼処に営み、就きて居らしむ。此れ大三輪の神なり。 謹んで按ずるに、是れ天神治道の始めなり。天壌と窮り無しの五字は、宝祚を祝ひて以て治平の道を尽くすなり。夫れ天地の至誠は息む無く、悠遠博厚にして、物を覆ひ物を載せ、而して此の無窮を得。君子以て自ら彊め、以て徳を厚くすれば、則ち往きて利あらざる無し。人君之を体して四海を御すれば、則ち万国咸く寧し。是れ天壌と窮り無き所以なり。天道は盈てるを虧き、地道は盈てるを変じ、鬼神は盈てるを害し、人道は盈てるを悪む。故に緩めば必ず失ふ所有り、升りて已まざれば必ず困しむ。亨れば則ち尽く。是れ謙徳の其の終りを保つ所以なり。大己貴命・少彦名命の共に言ふ所は、謙亨の謂か。然れば乃ち聖主、乾坤の徳に法りて以て六龍に乗り、下に居りて済すの謙に居りて以て四海を御すれば、則ち治教の道、天壌無窮に応ずるなり。 神武帝己未年春三月辛酉朔丁卯、令を下して曰く、我が東征せしより、是に六年なり。皇天の威に頼りて、凶徒戮に就く。辺土未だ清まらず、余妖尚ほ梗ると雖も、中洲の地には復た風塵無し。誠に宜しく皇都を恢廓し、規摹宏壮なるべし。而るに今、運は此の屯蒙に属し、民心朴素なり。巣棲穴住し、習俗惟れ常なり。夫れ大人制を立つるは、義必ず時に随ふ。苟くも民を利する有らば、何ぞ聖造を妨げん。且つ当に山林を披き払ひ、宮室を経営して、恭みて宝位に臨み、以て元元を鎮むべし。上は則ち乾霊の国を授けたまひし徳に答へ、下は則ち皇孫の正を養ひたまひし心を弘めん。然る後に六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩ひて宇と為さんこと、亦可ならずや、と。 謹んで按ずるに、是れ人皇、中国を定め、極を建て、治道を詔するの始めなり。大人とは聖人位に居るの称なり。制とは礼楽刑政の制なり。義とは損益沿革し其の道を品節するなり。民を利するとは、人民其の楽を楽しみ其の利を利とするなり。聖造とは天祖皇孫の建てたまふ所の道なり。蓋し天下の治は必ず時有り。時を知らざれば、則ち大人の道に非ず。天祖皇孫の永悠の際、土中既に定まり天下の大造ありと雖も、運は洪荒に在り、唯だ西偏に正を養ひて、以て皇系嗣ぎ興るの時を待つのみ。帝勃起して之を経綸す。初めて中州を制するに、此の時に当りて、義は必ず時に随ふに非ざれば、急務の実を得ず。故に詔を下して宝位に臨む。時に随ふの義、大なるかな。帝、恒に拳拳として国を授け正を養ふの志あり。民の心を以て心と為す、是れ乃ち民の父母たり。万世此の聖詔を以て制を立つれば、乃ち天下の蒼生を謬らざるか。
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『中朝事実』皇統章・不肖の子の疑いと天孫降臨二神の聖、何ぞ此の二の不肖を生まんや、と。愚謂えらく、噫、是れ何の言ぞや。二気五行の変は、未だ嘗て過不及無くんばあらず。天地の大、其の精は日月星辰と為り、名山大川と為り、其の粗は風雲雷雨と為り、横汙丘陵と為る。精粗相因りて、而して後に万物遂ぐ。天は共に之を覆い、地は共に之を載す。是れ其の至大なり、至公なり。人物の天地に在る亦た然り。故に明暗・曲直・柔剛・弱強並び行われ、各おの其の性を尽くす。是れ神聖の其の化を賛くるなり。二神とは是れ天地なり。此の明暗柔猛を生みて、以て万物に主たらしむ。万物各おの其の性を尽くす。其の道、亦た偉ならずや。子に因るの説に因れば、則ち上を取りて下を遺し、桑麻を貴びて菅蒯を棄つるなり。此の四神を生みて、天下始めて安く、万民所を得たり。 二神の共に議る所、俗学の以て疑うべき無し。〔以上、本朝の主を定む。〕 天照太神の子、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、高皇産霊尊の女栲幡千千姫を娶り、天津彦火瓊瓊杵尊を生む。故に皇祖高皇産霊尊、遂に皇孫を立てて、以て葦原中国の主と為さんと欲す。八十諸神を召集して問いて曰く、吾、葦原中国の邪鬼を撥い平げしめんと欲す。当に誰を遣わすべきか。惟れ爾ら諸神、知る所を隠すこと勿れ、と。僉曰く、天穂日命は是れ神の傑なり。試みざるべけんや、と。是に於いて衆言に俯順い、即ち天穂日命を以て往きて平げしむ。然れども此の神、大己貴神に侫媚し、三年に比ぶまで尚お報聞せず。是の後、高皇産霊尊、更めて諸神を会し、当に葦原中国に遣わすべき者を選ぶ。経津主神・武甕槌神、諸の不順鬼神等を誅し、果たして以て復命す。時に高皇産霊尊、真床追衾を以て皇孫に覆いて降らしむ。天降りて日向の襲の高千穂峯に至る。吾田の長屋の笠狭の碕に到る。 一書に云う、天照太神、乃ち天津彦火瓊瓊杵尊に八坂瓊曲玉及び八咫鏡・草薙剣の三種の宝物を賜う。又た中臣の上祖天児屋命・忌部の上祖太玉命・猿女の上祖天鈿女命・鏡作の上祖石凝姥命・玉作の上祖玉屋命、凡そ五部の神を以て、配え侍らしむ。因りて皇孫に勅して曰く、葦原千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫就きて治せ。行きませ。宝祚の隆えまさんこと、当に天壌と窮まり無かるべし、と。