人物志 / 效難
何謂難知之難?人物精微,能神而明,其道甚難,固難知之難也。是以眾人之察,不能盡備;故各自立度,以相觀采:或相其形容,或候其動作,或揆其終始,或揆其儗象,或推其細微,或恐其過誤,或循其所言,或稽其行事。
新字:何謂難知之難?人物精微,能神而明,其道甚難,固難知之難也。是以衆人之察,不能尽備;故各自立度,以相観采:或相其形容,或候其動作,或揆其終始,或揆其儗象,或推其細微,或恐其過誤,或循其所言,或稽其行事。
書き下し
何をか知り難きの難と謂ふ。人物は精微にして、能く神にして明らかなり、其の道甚だ難し。固より知り難きの難なり。是を以て衆人の察は、尽く備ふること能はず。故に各自度を立てて、以て相観采す。或いは其の形容を相し、或いは其の動作を候ひ、或いは其の終始を揆り、或いは其の儗象を揆り、或いは其の細微を推し、或いは其の過誤を恐れ、或いは其の言ふ所に循ひ、或いは其の行事を稽ふ。
現代語訳
人を知ること自体の難しさとは、どういうことか。人物は精妙で、神妙でありながら明らかなものであり、それを見抜く道は非常に難しい。もともと知ること自体が難しいのである。それゆえ多くの人の見方は、すべてを備えることができない。だからそれぞれが自分の尺度を立てて、人を観て選び取る。ある者はその姿形を観相し、ある者はその動作をうかがい、ある者はその始めと終わりを推し量り、ある者はその人が似せようとしている手本を推し量り、ある者はその細かなところを推し測り、ある者はその過ちを恐れて慎重に見、ある者はその言うことに従い、ある者はその行ったことを調べる。
解説
第十一篇「効難」で、人を知ること自体の難しさを論じ始める一節である。人物は精妙で奥深く、全体を見通すことはきわめて難しい。そこで人はそれぞれ自分の尺度を立て、姿形、動作、始終、手本とするもの、細部、過ち、言葉、行いなど、どれか一つの角度から人を観る。この直後で劉劭は、この八つの見方が入り乱れるので、得るものは少なく失うものが多いと続ける。一つ一つの尺度は間違いではないが、どれか一つに頼れば人の一面しか見えない。八観が複数の角度を組み合わせることを説いたのは、この問題への答えでもある。現代の人事でも、面接官が話し方だけ、経歴だけ、あるいは試験の点数だけを重視すると、評価は偏る。自分の尺度の偏りを知ることが、人を知る第一歩になる。
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