人物志 / 效難
八者遊雜,故其得者少,所失者多。
新字:八者遊雑,故其得者少,所失者多。
書き下し
八者は遊雜す、故に其の得る者は少なく、失う所は多し。
現代語訳
人物を観察する八つの方法は、実際には入り混じって用いられるため、正しく捉えられることは少なく、見誤ることの方が多い。
解説
複数の観察の物差しを使い分けて人を見ようとしても、それらが実際には混ざり合って用いられるため、的中するよりも見誤ることの方が多いのだと劉劭は率直に認める。面接や評価制度をいくつ組み合わせても、人を見誤る可能性がなくなるわけではないという指摘は、現代の採用や人事評価にもそのまま通じる。複数の指標を持つこと自体は有用だが、それでも見誤りは残るという前提に立てば、一つの評価結果を過信せず、絶えず確かめ直す姿勢を保ちやすくなる。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
観察法の限界評価の的中率謙虚さ
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