人物志 / 七繆
而眾人之察,不慮其變,是疑於早晚者也。夫
新字:而衆人之察,不慮其変,是疑於早晩者也。夫
書き下し
而るに衆人の察は、其の変を慮らず。是れ早晩に疑ふ者なり。夫れ
現代語訳
それなのに、多くの人の見方は、人が変わっていくことを考慮しない。これが早熟か晩成かで判断を誤る者である。そもそも、
解説
七繆の第四「早晩」の結びである。直前で劉劭は、早く智が開けた者は浅く聡いが見えるのが速く、晩成の者は非凡な見識を持つがゆっくりと現れ、最後まで暗い者はどちらも足りず、やり遂げる者は行き届いて余りがある、と述べている。それを受けて、多くの人は人が時とともに変わることを考えずに、いま見えている姿だけで判断してしまうと戒める。三国時代には、若くして名を上げた者もいれば、遅れて頭角を現した者もおり、劉劭自身も長く官途にあって多くの人の変化を見てきたと考えられる。若手の評価を早い段階で固定してしまう組織は、晩成型の人材を取りこぼす。人は変わるという前提で、評価を定期的に見直すことが大切である。
関連する章句
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人物志・七繆早智なる者は浅恵にして見ること速く、晩成なる者は奇識にして舒ぶること遅く、終に暗き者は並びに不足に困しみ、務めを遂ぐる者は周達にして餘り有り。
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人物志・七繆七繆とは、一に曰く、誉を察するに偏頗の繆有り。二に曰く、物に接するに愛悪の惑有り。三に曰く、心を度るに大小の誤有り。四に曰く、質を品するに早晩の疑有り。五に曰く、類を変ずるに同体の嫌有り。六に曰く、材を論ずるに申圧の詭有り。七に曰く、奇を観るに二尤の失有り。夫れ采訪の要は、多少に在らず。然れども徴質明らかならざる者は、耳を信じて敢へて目を信ぜず。故に人以て是と為せば、則ち心随ひて之を明とし、人以て非と為せば、則ち意転じて之に化す。嫌ふ所無しと雖も、意疑はざるが若し。且つ人の物を察するや、亦た自ら誤り有り。愛憎之を兼ね、其の情万原なり。其の本を暢べずんば、胡ぞ必ず信ずべけんや。是の故に、
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人物志・七繆世に侈儉有り、名は進退に由る。
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人物志・七繆而るに人の奇を求むるや、精微を以て其の玄機を測り、異希を明らかにすること能はず。或いは貌の少なきを以て足らずと為し、或いは瑰姿を以て巨偉と為し、或いは直露を以て虚華と為し、或いは巧飭を以て真実と為す。是を以て早く抜くは誤り多く、順次に如かず。夫れ順次は、常度なり。苟くも其の実を察せずんば、亦た焉くに往くとして失はざらん。故に賢を遺して賢済すこと有れば、則ち恨み早く抜かざるに在り。奇を抜きて奇敗るること有れば、則ち患ひ素より別たざるに在り。意に任せて独り繆れば、則ち悔い広く問はざるに在り。広く問ひて己を誤れば、則ち己の自ら信ぜざるを怨む。是を以て驥子足を発して、衆士乃ち誤る。韓信功を立てて、淮陰乃ち震ふ。夫れ豈に奇を悪みて疑ひを好まんや。乃ち尤物は世々見えずして、奇逸は美異なればなり。是を以て張良は体弱くして精彊く、衆智の雋と為る。荊叔は色平らかにして神勇あり、衆勇の傑と為る。然らば則ち、雋傑は、衆人の尤なり。聖人は、衆尤の尤なり。其の尤彌々出づる者は、其の道彌々遠し。故に一国の雋は、州に於いて輩と為り、未だ第と為るを得ず。一州の第は、天下に於いて椳と為る。天下の椳は、世に憂劣有り。是の故に、衆人の貴ぶ所は、各々其の己に出づるの尤を貴びて、尤の尤とする所を貴ばず。是の故に、衆人の明は、能く輩士の数を知れども、第目の度を知ること能はず。輩士の明は、能く第目の度を知れども、出尤の良を識ること能はず。出尤の人は、能く聖人の教へを知れども、之が入室の奥を究むること能はず。是に由りて之を論ずれば、人物の理は妙にして、得て窮むべからざるのみ。
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人物志・七繆其の乏しき所を以て、己の長を明らかにせず、其の長ずる所を以て、己の短き所を軽んずれば、則ち自ら志乖き気違ふを知らずして、忽ち其の善を忘る。是れ愛悪に惑ふ者なり。夫れ
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人物志・七繆人を知る者は、目を以て耳を正し、人を知らざる者は、耳を以て目を敗る。
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