人物志 / 八觀
何謂觀其奪救,以明間雜?夫質有至有違,若至勝違,則惡情奪正,若然而不然。故仁出於慈,有慈而不仁者;仁必有恤,有仁而不恤者;厲必有剛,有厲而不剛者。
新字:何謂観其奪救,以明間雑?夫質有至有違,若至勝違,則悪情奪正,若然而不然。故仁出於慈,有慈而不仁者;仁必有恤,有仁而不恤者;厲必有剛,有厲而不剛者。
書き下し
何をか其の奪救を観て、以て間雑を明らかにすと謂ふ。夫れ質には至有り違有り、若し至、違に勝てば、則ち悪情正を奪ひ、然るが若くにして然らず。故に仁は慈より出づるも、慈有りて仁ならざる者有り。仁には必ず恤有るも、仁有りて恤まざる者有り。厲には必ず剛有るも、厲有りて剛ならざる者有り。
現代語訳
その人の善悪の奪い合い、救い合いを観て、入り混じり具合を明らかにするとは、どういうことか。そもそも人の資質には、徳に至る面と、それに背く面とがある。両者が勝ち負けを争い(原文は「至が違に勝てば」とある)、悪い情が正しいものを奪うと、そう見えて実はそうでない、ということが起こる。だから、仁は慈しみから生まれるものだが、慈しみがあっても仁でない者がいる。仁には必ず人をあわれんで救う心が伴うものだが、仁があっても救おうとしない者がいる。厳しさには必ず剛さが伴うものだが、厳しくても剛くない者がいる。
解説
八観の第一「奪救」の説明の始まりである。人の資質には良い面と、それに背く面が同居しており、背く面が勝つと、外から見える徳が中身を伴わなくなる、と劉劭は言う。慈しみの顔をしていても仁に届かない人、仁を語っても実際には救いの手を出さない人、口調は厳しくても芯の剛さがない人がいる。このあと劉劭は、その原因をそれぞれ吝嗇・恐れ・欲に求めていく。表に出た感情や態度を、そのまま徳と取り違えないための注意である。職場でも、同情を口にする人が実際に手を貸すとは限らず、強い言葉を使う人が困難に踏みとどまるとも限らない。人を評価するときは、言葉や表情の奥で何が勝っているかを観よという教えである。
関連する章句
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人物志・八觀故に曰く、慈、吝に勝つこと能はざれば、其の能く仁なるを必とする無きなり。仁、懼に勝つこと能はざれば、其の能く恤むを必とする無きなり。厲、慾に勝つこと能はざれば、其の能く剛なるを必とする無きなり。是の故に、不仁の質勝てば、則ち伎力害器と為り、貪悖の性勝てば、則ち彊猛禍梯と為る。亦た善情の悪を救ひて、害を為すに至らざる有り。愛恵分篤ければ、傲狎なりと雖も離れず。善を助くる者明らかなれば、悪を疾むと雖も害無きなり。救済過厚なれば、人に取ると雖も貪らざるなり。是の故に、其の奪救を観て、間雑を明らかにするの情、得て知るべきなり。何をか其の感変を観て、以て常度を審らかにすと謂ふ。夫れ人は貌を厚くし情を深くす。将に之を求めんと欲すれば、必ず其の辞旨を観、其の応賛を察す。夫れ其の辞旨を観るは、猶ほ音の善醜を聴くがごとし。其の応賛を察するは、猶ほ智の能否を視るがごときなり。故に辞を観、応を察すれば、以て互ひに相別識するに足る。
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人物志・八觀然れども慈にして仁ならざる者は、則ち吝之を奪うなり。仁にして恤まざる者は、則ち懼之を奪うなり。厲にして剛ならざる者は、則ち慾之を奪うなり。
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人物志・八觀若し夫れ憐れむべきを見て則ち涕を流し、将に分かち与えんとして則ち吝嗇なるは、是れ慈にして仁ならざる者なり。
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人物志・八觀危急を睹て則ち惻隠し、将に赴きて救わんとして則ち患いを畏るるは、是れ仁にして恤まざる者なり。
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人物志・八觀八観とは、一に曰く、其の奪救を観て、以て間雑を明らかにす。二に曰く、其の感変を観て、以て常度を審らかにす。三に曰く、其の志質を観て、以て其の名を知る。四に曰く、其の所由を観て、以て依似を弁ず。五に曰く、其の愛敬を観て、以て通塞を知る。六に曰く、其の情機を観て、以て恕惑を弁ず。
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人物志・八觀剛なる者厲しからざれば、以て其の剛を済す無し。既に其の剛を悦べば、其の厲しきを非とすべからず。厲しきは、剛の徴なり。和なる者懦ならざれば、以て其の和を保つ無し。既に其の和を悦べば、其の懦を非とすべからず。懦は、和の徴なり。介なる者拘ならざれば、以て其の介を守る無し。既に其の介を悦べば、其の拘を非とすべからず。拘は、介の徴なり。
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