人物志 / 接識
此偏材之常失。
書き下し
此れ偏材の常の失なり。
現代語訳
これが偏った才の人のいつもの過ちである。
解説
接識篇を締めくくる一句である。直前で劉劭は、偏材の人は相手の言動をことごとく悪く受け取り、自分と同じ型の話をされて初めて喜び、そこで親愛の情が生まれ、推挙の評判が立つと述べた。つまり人の評判や推薦は、しばしば能力ではなく、評価する側との同質性から生まれる。これが偏材の常の失、すなわち避けがたい過ちだと言う。九品官人法では郷里の評判が官吏登用を左右したため、この指摘は制度批判の意味も帯びていた。現代の組織でも、推薦や人脈による登用が、似た者同士の集まりを再生産することがある。評価の仕組みに、この偏りを打ち消す工夫を組み込む必要があると教えている。
関連する章句
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人物志・接識夫れ何ぞや。是の故に、
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