人物志 / 接識
夫何哉?是故,
書き下し
夫れ何ぞや。是の故に、
現代語訳
それはなぜか。それゆえ、(次のようになる)
解説
接識篇の冒頭の問いである。直前で劉劭は、人は初めは非常に知りがたいのに、誰もが自分は人を知っていると思っている、自分が人を観ると分かるつもりになり、他人が人を観察すると見誤っていると思う、と述べた。その理由を問うのがこの一句で、答えは続く文で、人は自分と同じ型の人の良さは分かるが、異なる型の人の美点は見落としがちだからだ、と示される。人を見る目の偏りは、見る人自身の性の偏りから生じるという、接識篇全体の主題への導入である。現代でも、採用や評価で自分に似た人を高く評価してしまう傾向はよく知られており、まず自分の目の癖を疑うことが人を知る第一歩になる。
関連する章句
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人物志・接識何を以て其の然るを論ずる。
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人物志・接識夫れ人は初め甚だ知り難きに、士は衆寡と無く、皆自ら人を知ると以為う。
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人物志・接識此れ偏材の常の失なり。
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人物志・效難是の故に必ず草創に形を信ずるの誤り有り、又居止変化の謬り有り。故に其の接遇して人を観るや、行ひに随ひ名を信じて、其の中情を失ふ。故に
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人物志・接識故に己を以て人を観れば、則ち知る可しと以為い、人の人を察するを観れば、則ち識らずと以為う。
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人物志・效難何をか知り難きの難と謂ふ。人物は精微にして、能く神にして明らかなり、其の道甚だ難し。固より知り難きの難なり。是を以て衆人の察は、尽く備ふること能はず。故に各自度を立てて、以て相観采す。或いは其の形容を相し、或いは其の動作を候ひ、或いは其の終始を揆り、或いは其の儗象を揆り、或いは其の細微を推し、或いは其の過誤を恐れ、或いは其の言ふ所に循ひ、或いは其の行事を稽ふ。
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