人物志 / 材能
凡偏材之人,皆一味之美;故長於辦一官,而短於為一國。何者?
新字:凡偏材之人,皆一味之美;故長於辦一官,而短於為一国。何者?
書き下し
凡そ偏材の人は、皆一味の美なり。故に一官を辦ずるに長じて、一国を為むるに短なり。何となれば、
現代語訳
およそ偏った才の人は、みな一つの味だけのよさを持っている。だから一つの官職をこなすのには長けているが、一国を治めるのには向いていない。なぜか。
解説
偏材の人の限界を、味の比喩で端的に言い表した一句である。偏材は一つの味の美しさを持つので、一つの官職を務めるには長けているが、一国の政治には向かない。劉劭はこの問いに続けて、一官の任は一つの味で五味と協調することだが、一国の政は無味によって五味を調和させることだと答える。九徵篇の「平淡無味」の思想が、ここで政治論として具体化している。現代でも、専門分野で抜群の成果を出す人が、部門全体や会社全体を率いると苦戦することがある。それは力が劣るからではなく、求められる役割が、自分の味を出すことから、他人の味を調えることへ変わるからである。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
専門性の限界偏材一味一芸統括の才との違い平淡
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