墨子 / 耕柱
子墨子曰:「世俗之君子,貧而謂之富則怒,無義而謂之有義則喜,豈不悖哉!」
書き下し
子墨子曰く、「世俗の君子は、貧しくして之を富めりと謂えば則ち怒り、義無くして之を義有りと謂えば則ち喜ぶ。豈に悖らざらんや」と。
現代語訳
墨子が言った。「世間の君子は、貧しいのに富んでいると言われれば怒るが、義が無いのに義があると言われれば喜ぶ。これは筋が通らないではないか」。
解説
事実と違うことを言われたときの反応が、財産と義とで逆になっているという指摘です。財産については実態と食い違えば腹を立てるのに、義については実態より高く言われると喜ぶ。自分の徳については正確さを求めていないということになる。褒め言葉を受け取るときの態度を、静かに突いてくる一行です。
この章句が説くこと
自己認識義事実矛盾評価
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『墨子』尚同下今、此れ何ぞ人の上と為りて其の下を治むる能わず、人の下と為りて其の上に事うる能わざるや。則ち是れ上下相い殘なうなり。何の故を以て然るか。則ち義、同じからざればなり。若し茍くも義を同じくせざる者に黨有らば、上、若の人を以て善と為して、將に之を賞せんとするも、若の人は唯だ上の賞を得しめられて、百姓の毁を避く。是を以て善を為す者は、必ず未だ勸ましむ可からず、賞有るを見るとも。上、若の人を以て暴と為して、將に之を罰せんとするも、若の人は唯だ上の罰を得しめられて、百姓の譽を懷く。是を以て暴を為す者は、必ず未だ沮ましむ可からず、罰有るを見るとも。故に上の賞譽を訃るに、以て善を勸むるに足らず、其の毁罰を計るに、以て暴を沮むるに足らず。此れ何の故を以て
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『墨子』耕柱巫馬子、子墨子に謂う、「之れ義を為すや、人、見ずして耶し、鬼、見ずして富ます。而るに子、之を為すは、狂疾有り」と。子墨子曰く、「今、子をして二臣を此に有らしめん。其の一人なる者は、子を見れば事に従い、子を見ざれば則ち事に従わず。其の一人なる者は、子を見るも亦た事に従い、子を見ざるも亦た事に従う。子、此の二人に於いて誰をか貴ばん」と。巫馬子曰く、「我れは其の我を見るも亦た事に従い、我を見ざるも亦た事に従う者を貴ばん」と。子墨子曰く、「然らば則ち是れ子も亦た狂疾有るを貴ぶなり」と。
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呂氏春秋・論威①義なる者は、萬事の紀なり。君臣上下親疏の由りて起こる所なり。治亂安危過勝の在る所なり。過勝の道は、他に求むること勿し、必ず己に反る。
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呂氏春秋・別類④義は小しく之を為せば、則ち小しく福有り、大いに之を為せば、則ち大いに福有り。禍に於いては則ち然らず。小しく之れ有るは、其の亡きに若かざるなり。招を射る者は其の小に中つるを欲するなり。獸を射る者は其の大に中つるを欲するなり。物は固より必ならず。安んぞ推す可けんや。
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