墨子 / 耕柱
子墨子曰:「世俗之君子,貧而謂之富則怒,無義而謂之有義則喜,豈不悖哉!」
書き下し
子墨子曰く、「世俗の君子は、貧しくして之を富めりと謂えば則ち怒り、義無くして之を義有りと謂えば則ち喜ぶ。豈に悖らざらんや」と。
現代語訳
墨子が言った。「世間の君子は、貧しいのに富んでいると言われれば怒るが、義が無いのに義があると言われれば喜ぶ。これは筋が通らないではないか」。
解説
事実と違うことを言われたときの反応が、財産と義とで逆になっているという指摘です。財産については実態と食い違えば腹を立てるのに、義については実態より高く言われると喜ぶ。自分の徳については正確さを求めていないということになる。褒め言葉を受け取るときの態度を、静かに突いてくる一行です。誤解されたまま気分よくいられる領域が、人には確かにあります。
この章句が説くこと
自己認識義事実矛盾評価
関連する章句
-
『武士道』第三章 正義・赤穂四十七士に義の一字を冠す『人、鶏犬を放つ有れば、則ち之を求むるを知る。放心有れども求むるを知らず』と。吾人はここに、孟子の世を去る遠く、国を異にして生れ、『我は義の道なり、我によりて失はれたるものは見出さるべし』と説きたる大教師基督の譬喩の『鏡を以て見るごとく見ること昏然なる』面影を認め得べきに非ずや。ああ、されど予は岐論に馳せたり。唯だ云はん、孟子の所謂義とは、即ち人の失ひたる楽園を恢復すべき、直くして且つ狭き道なりと。封建の季世、武士は長時の泰平に馴れて、安逸遊惰の生活を楽しみ、従つて放肆懦弱に流れ、風流文雅に淫したりと雖、此時に当りて、なお義士たるの称は、学術技芸に長ずるの名に優ること遠しとしたり。されば赤穂四十七士に冠するに、義の一字を以てして、士は之を欽慕し、其芳烈美名は、徳教を維持するに、著大の効を有するに至れり。
-
『呻吟語』内篇・應務・義に臨みて利害を計る莫かれ義に臨みては利害を計る莫かれ、人を論ずるには成敗を計る莫かれ。
-
『墨子』尚同下今、此れ何ぞ人の上と為りて其の下を治むる能わず、人の下と為りて其の上に事うる能わざるや。則ち是れ上下相い殘なうなり。何の故を以て然るか。則ち義、同じからざればなり。若し茍くも義を同じくせざる者に黨有らば、上、若の人を以て善と為して、將に之を賞せんとするも、若の人は唯だ上の賞を得しめられて、百姓の毁を避く。是を以て善を為す者は、必ず未だ勸ましむ可からず、賞有るを見るとも。上、若の人を以て暴と為して、將に之を罰せんとするも、若の人は唯だ上の罰を得しめられて、百姓の譽を懷く。是を以て暴を為す者は、必ず未だ沮ましむ可からず、罰有るを見るとも。故に上の賞譽を訃るに、以て善を勸むるに足らず、其の毁罰を計るに、以て暴を沮むるに足らず。此れ何の故を以て
-
『慎思録』巻之四王珪魏徴の世民に事ふるや、范祖禹以為へらく、君の禄を食みて其の難に死せず、其の事ふべからざるに於て之に事ふ、皆罪有り、と。劉友益・尹遂昌の説は此と異なり、却つて理有るを覚ゆ。恐らくは優れりと為すべし。凡そ范胡二氏は、其の説厳明にして、古今の正論、歴代の権度と謂ふべし。然れども流れて偏固にして刻薄に傷る者も、亦た間之有り。之を司馬温公の説の温良易直にして穏当なるに比すれば、恐らくは及ぶこと能はず。
-
『墨子』耕柱巫馬子、子墨子に謂う、「之れ義を為すや、人、見ずして耶し、鬼、見ずして富ます。而るに子、之を為すは、狂疾有り」と。子墨子曰く、「今、子をして二臣を此に有らしめん。其の一人なる者は、子を見れば事に従い、子を見ざれば則ち事に従わず。其の一人なる者は、子を見るも亦た事に従い、子を見ざるも亦た事に従う。子、此の二人に於いて誰をか貴ばん」と。巫馬子曰く、「我れは其の我を見るも亦た事に従い、我を見ざるも亦た事に従う者を貴ばん」と。子墨子曰く、「然らば則ち是れ子も亦た狂疾有るを貴ぶなり」と。
-
『武士訓』卷三・第6段たとえば。人ありて。命を千貫萬貫にかへんかといふとも。かゆるものあるべからず。さほど大切なる命なれども。義によつて拋こと。塵よりも輕し。しかるときは。義ほどにおもきもの。世にあるべからず。源致雄歌に「いのちをばかろきになしてものゝふの道よりおもき道やらめやは(風雅集に見えたり。)

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る