自警録 / 第二十六章 理想の実現は何処・理想の実行は位地の有無に関係せぬ(2)
むかしの立派なる教育家貝原益軒、中江藤樹、熊沢蕃山等はみな塾を開いたことはあるが、今日のごとく何百人の生徒を集めて演説講義したものでない。藤樹のごときは村を散歩することが教育であった。人そのものが教育である。 人が真に教育家なら笑っても教育になる。寝ているのも教育になる。一挙手、一投足、すべて社会教育とならぬものはない。われわれの目的および理想が教育であるなら、全身その理想に充ち満ち、することなすことがことごとく教育でなくてはならぬ。位地を選んで大臣、局長、課長にならねばならぬということはない。文教の職にあたった政治家は、たくさんあるけれども、なんらの功績を残さぬ者が多い。明治以来文部大臣となりし人のなかで、今日まであの人の時にこういうことをしたと記憶される人はきわめて少ない。僕は文部省を攻撃するのでなく、ただ説明の便宜に引例したのである。して僕のいうことは教育のみに限らない。他の官衙においても同然である。 また西洋でも同じである。各国の教育史を見てもペスタロッチ、フレーベルなどは自身で鼻汁をたらした子供を集めて教えたということは残っているが、役人になったかどうか、世人は問わない。われわれの理想を翻訳するに、どの位地、どの椅子に坐らなければできぬというものでない。位地を得ればなお良いかも知らぬが、位地ばかりが理想を達するゆえんでない。否々位地を得たため、かえって理想を失する輩が多い。理想は椅子にあるものでないから、椅子を得たによってまっとうするとはいわれぬ。もし椅子によりてなしうるなら、人でなく椅子が働き、人は椅子の道具に化するようなものである。
書き下し
むかしの立派なる教育家貝原益軒、中江藤樹、熊沢蕃山等はみな塾を開いたことはあるが、今日のごとく何百人の生徒を集めて演説講義したものでない。藤樹のごときは村を散歩することが教育であった。人そのものが教育である。 人が真に教育家なら笑っても教育になる。寝ているのも教育になる。一挙手、一投足、すべて社会教育とならぬものはない。われわれの目的および理想が教育であるなら、全身その理想に充ち満ち、することなすことがことごとく教育でなくてはならぬ。位地を選んで大臣、局長、課長にならねばならぬということはない。文教の職にあたった政治家は、たくさんあるけれども、なんらの功績を残さぬ者が多い。明治以来文部大臣となりし人のなかで、今日まであの人の時にこういうことをしたと記憶される人はきわめて少ない。僕は文部省を攻撃するのでなく、ただ説明の便宜に引例したのである。して僕のいうことは教育のみに限らない。他の官衙においても同然である。 また西洋でも同じである。各国の教育史を見てもペスタロッチ、フレーベルなどは自身で鼻汁をたらした子供を集めて教えたということは残っているが、役人になったかどうか、世人は問わない。われわれの理想を翻訳するに、どの位地、どの椅子に坐らなければできぬというものでない。位地を得ればなお良いかも知らぬが、位地ばかりが理想を達するゆえんでない。否々位地を得たため、かえって理想を失する輩が多い。理想は椅子にあるものでないから、椅子を得たによってまっとうするとはいわれぬ。もし椅子によりてなしうるなら、人でなく椅子が働き、人は椅子の道具に化するようなものである。
現代語訳
昔の立派な教育者、貝原益軒、中江藤樹、熊沢蕃山らは皆、塾を開いたことはありますが、今日のように何百人もの生徒を集めて演説し講義したものではありません。藤樹などは、村を散歩することが教育でした。人そのものが教育なのです。 人が本当に教育者なら、笑っても教育になります。寝ているのも教育になります。一挙手一投足、すべて社会教育とならないものはありません。私たちの目的や理想が教育であるなら、全身がその理想に満ち満ちて、することなすことがすべて教育でなくてはなりません。地位を選んで大臣、局長、課長にならなければならないということはありません。文教の職にあたった政治家はたくさんいますが、何の功績も残さない者が多い。明治以来、文部大臣となった人のなかで、今日まであの人の時にこういうことをしたと記憶されている人はきわめて少ない。私は文部省を攻撃するのではなく、ただ説明の便宜のために例に引いたのです。そして私の言うことは教育だけに限りません。ほかの役所でも同じです。 また西洋でも同じです。各国の教育史を見ても、ペスタロッチやフレーベルなどは、自分自身で鼻水を垂らした子供を集めて教えたということは残っていますが、役人になったかどうかは、世間は問いません。私たちの理想を翻訳するのに、どの地位、どの椅子に座らなければできないというものではありません。地位を得ればなおよいかもしれませんが、地位ばかりが理想を達する道ではありません。いやいや、地位を得たためにかえって理想を失う者が多いのです。理想は椅子にあるものではないから、椅子を得たからといってまっとうできるとは言えません。もし椅子によってなしうるのなら、人ではなく椅子が働き、人は椅子の道具になってしまうようなものです。
解説

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