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自警録 / 第二十六章 理想の実現は何処・理想の翻訳を誤るものが多い(1)

たとえば男女の心中のごとき、二人が夫婦になるのを理想とするが、不義の交際は親も許さず世間も認めぬ。この世で晴れて一緒になれぬなら、むしろあの世で蓮華の上にということになる。 かくのごとくその理想なるものを実行するさいにその翻訳の任にあたる自分の考え一つで、勝手次第に意味をとる。ちょっと聞くともっともらしく思うこともあるが、翻訳のやり方によってははなはだもっともでない実行に現れることが間々ある。たとい商売人でも役人でも、書生でもいかなる職業の人でも自分の同業者の悪口をいう。はなはだしきは人身攻撃をする者もある。して彼らの理由を訊せば、人間が世の中にいる以上は、優勝劣敗の原則にしたがい競争するを要するがゆえ、かくすると弁解する。なるほど競争とか優勝劣敗とかいうと、学理的でよく聞こえるけれども、この理屈を実行に翻訳するにあたっては勝手なやり方をする。敵を殪すにはいかなる手段方法をも用いる、嘘をついてもかまわぬというは、優勝劣敗あるいは生存競争ということを読み違えていると言わなければならぬ。 僕はたびたび耳にすることであるが、学校で試験のとき、狡猾をやる学生がある。それを呼び出して聞くと、なかなか相当の理屈がある。試験に不正を行ったのは一つの理想より出たことである、どうか早く学士になり、親に安心を与えたいと思うが、近ごろ親が病気でこうこうだとあわれげな話をする。してみると君が試験に狡猾をしたのは、親孝行のためにしたというのか、「そうでござります」という。こういうことは間々ある。

書き下し

たとえば男女の心中のごとき、二人が夫婦になるのを理想とするが、不義の交際は親も許さず世間も認めぬ。この世で晴れて一緒になれぬなら、むしろあの世で蓮華の上にということになる。 かくのごとくその理想なるものを実行するさいにその翻訳の任にあたる自分の考え一つで、勝手次第に意味をとる。ちょっと聞くともっともらしく思うこともあるが、翻訳のやり方によってははなはだもっともでない実行に現れることが間々ある。たとい商売人でも役人でも、書生でもいかなる職業の人でも自分の同業者の悪口をいう。はなはだしきは人身攻撃をする者もある。して彼らの理由を訊せば、人間が世の中にいる以上は、優勝劣敗の原則にしたがい競争するを要するがゆえ、かくすると弁解する。なるほど競争とか優勝劣敗とかいうと、学理的でよく聞こえるけれども、この理屈を実行に翻訳するにあたっては勝手なやり方をする。敵を殪すにはいかなる手段方法をも用いる、嘘をついてもかまわぬというは、優勝劣敗あるいは生存競争ということを読み違えていると言わなければならぬ。 僕はたびたび耳にすることであるが、学校で試験のとき、狡猾をやる学生がある。それを呼び出して聞くと、なかなか相当の理屈がある。試験に不正を行ったのは一つの理想より出たことである、どうか早く学士になり、親に安心を与えたいと思うが、近ごろ親が病気でこうこうだとあわれげな話をする。してみると君が試験に狡猾をしたのは、親孝行のためにしたというのか、「そうでござります」という。こういうことは間々ある。

現代語訳

たとえば男女の心中がそうです。二人が夫婦になることを理想としているのに、道ならぬ交際は親も許さず世間も認めません。この世で晴れて一緒になれないのなら、いっそあの世で蓮の花の上で、ということになります。 このように、その理想を実行する際に、翻訳を任されている自分の考え一つで、勝手に意味をとります。ちょっと聞くともっともらしく思えることもありますが、翻訳の仕方によっては、はなはだもっともでない実行になって現れることがよくあります。たとえ商売人でも役人でも学生でも、どんな職業の人でも、自分の同業者の悪口を言います。ひどい場合は人身攻撃をする者もいます。そこで彼らに理由を尋ねると、人間が世の中にいる以上は優勝劣敗の原則にしたがって競争する必要があるから、こうするのだと弁解します。なるほど、競争とか優勝劣敗とか言うと、学問的でもっともらしく聞こえますが、この理屈を実行に翻訳するときには、勝手なやり方をします。敵を倒すためにはどんな手段方法でも用いる、嘘をついてもかまわない、というのは、優勝劣敗あるいは生存競争ということを読み違えていると言わなければなりません。 私はたびたび耳にすることですが、学校で試験のとき、不正をする学生がいます。その学生を呼び出して聞くと、なかなか相当な理屈があります。試験で不正をしたのは一つの理想から出たことだ、どうか早く学士になって親に安心させたいと思うが、最近親が病気でこうこうだ、とあわれげな話をします。そうすると君が試験で不正をしたのは親孝行のためにしたというのか、と問うと、「そうでございます」と答えます。こういうことはよくあります。

解説

理想が行いに訳されるとき、もっともらしい名目で品位が落ちる例を新渡戸は挙げます。心中は結ばれたいという願いの、競争中の悪口は優勝劣敗という学説の、試験の不正は親孝行という動機の、それぞれ誤った翻訳だというわけです。当時は進化論や生存競争の説が広く流行しており、その言葉を手段の弁護に使う風潮がありました。現代でも、成果のためなら仕方ないと不正を正当化したくなる場面で、同じ構造が働きます。動機が立派でも、行いがそれを裏切っていないかを確かめる必要があります。
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この章句が説くこと

優勝劣敗競争不正親孝行理屈名目

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